日本ナザレン教団飯塚キリスト教会日本ナザレン教団飯塚キリスト教会

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今週のみ言葉と説教要旨

今週のみ言葉

2017.07.016
「福音を弁明し、立証します」エフェソ1章7~8節

日下部牧師
使徒パウロは福音の中心である​「贖罪」​を確かなものとして宣べます。これは神の御ひとり子イエス・キリストにおいてのみ実現するのです。それは神の愛、恵みなのです。彼は福音を弁明し、立証していくのです。

1、血による贖罪とは:​血はギ語で「ハイマ」と言い、新約では97回も使われています。キリストが十字架で流された「血潮」を表します。贖いとは原語で「アポリュトローシス」と言われ、旧約での「ガーアル」から来ています。「人が失った財産や権利を身代わりとなり買い戻す」との意味があります。

2、神の豊かな恵み:​罪過(ギ語パラプトーマ)とは、パラは「傍らに」、ピプトーは「落ちる、迷い出る、堕落する」を意味した合成語です。罪に落ちていた私たちをキリストは十字架にまで掛かり、その死を持って罪の赦し(ギ語アフィエーミ:放免する)を与えてくださったのです。

3、知恵と理解を与えてくださった:​神の恵み(ギ語カリス)はあふれ出るもの(ギ語プレローマ)です。知恵はギ語でソフィア、へ語でホクマと言います。理解は思慮深さと言われギ語フローネーシスと言います。私たちは「愛された者:へ語でエシュルーン」です。感謝です。

7月

2017.07.09
「今日まで復員に与っています」エフェソ1章5~6節


エフェソの手紙の2回目のメッセージになりました。パウロがいつも感謝しているのが、​福音に与った​ということです。彼の生涯に渡り与り続いたたのです。それは神の大きな犠牲があったからです。



1、福音とは:​ギリシャ語で「ユーアンゲリオン」と言います。「喜びの知らせ、良きおとずれ」と言います。難しい言葉では、「神の救いの実現と神の勝利的支配の到来を告げたものである。神の国の到来(マルコ1:14)を指している。


2、神の子となる恵み:​神の子(ギ語フィオス・トゥ・セウー)とさせていただいたのは、神の御心(ギ語セレーマ、へ語ラーソン)なのです。すべてがイエス・キリストによってなのです。


3、福音に与った(ギ語コイノーネオー)私たちの応答:​輝かしい恵み(ギ語カリス、へ語ヘーン、へセド)を心からたたえる(へ語ハレルヤ)ことです。パウロの信仰、働きを貫いたのは、この神をいつもほめたたえ、崇めることでした。私も今日まで神の福音に与っています。​何
と幸い(へ語アシュレー、ギ語マカリオス)なこと​でしょうか。感謝いたします。

2017.07.02
「エフェソ1章1~4節

いよいよ7月に入りました。本日から​「エフェソ人への手紙」​を学びます。この手紙の背景を深く理解し、神と向き合い、今の私たちの教会に、私たちに語られている神の深い御心を十分に受け止めたいと思います。

1、エフェソの手紙の背景:​エフェソは当時のローマと東洋を結ぶ海陸路の接点として、繁栄した国際都市で、政治、商業貿易、宗教上の重要な地でした。第二、第三伝道旅行で訪ね、3年間も滞在して伝道に励んだ(使18、19章)。4大獄中書簡の1つである。円熟した晩年の手紙で、今の教会に通じます。1世紀末にエフェソを中心にアジア州諸教会に回状されたものです。

2、エフェソ人への手紙の内容について:​前半(1~3章)はキリスト論(教会論)で、後半(3~6章)はそれらに基づく教え(実践論)が展開されています。  自己紹介、挨拶、祝祷が初めに続いています。

 ​3、神の祝福と私たちの信仰の応
答:​①父なる神がほめたたえられますようにと言う。②神の霊的な祝福
(ギ語ユーロゲオー)。③神の選び(ギ語エクロゲ~、へ語バーハル)への感謝、応答として喜び祈ります。

6月

2017.06.25
「青年にかなう道」コヘレト11章9~10節


6月最後の聖日礼拝を迎え、本日は若者に対するメッセージを選びました。先週は「父の日礼拝」でした。最近、教会に若者が少ないと言われています。残念なことですが、現実は確かにそうです。コへレトの言葉を通して若者に対する伝道を考える機会といたしましょう。


1、コへレトとは:​コへレ ト は以前は​「伝道の書」​と呼ばれていました。コへレトとはへ語で​「コーへレス:集会で語る者」​との意味があります。書簡の冒頭にダビデの子と言われていますから、ソロモンであろうと言われています。前書の箴言と対をなすのでしょう。雅歌も含める人が多いです。内容的には「人生の無常と虚無」を強調しているように思えます。


2、青春の教訓:若者(へ語バーハ、ギ語ネアニアス)​、青年は青春時代を有意義にのびのびと過ごせと言う。同時に12:1では「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ」と呼びかける。詩編103:2「主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない(へ語アル・シャーハハ)と言われる。



3、主の心にかなう道とかなわない道:​年を重ねて喜びがないと言わないように、今が大切です。神に喜ばれる道を真すぐに歩み、ヨエル3:1のように「息子や娘は預言をし・・・​若者は幻(へ語ハーゾン、ギ語ホラシス)を見る」。

2017.06.18
「父の教えを忘れるな」箴言3章1~7節

今年も「父の日」を迎えました。近年、5月の「母の日」に比べても代わらない記念日になって来ました。今朝はその​起源、箴言を通して父の存在、祝福​を学びます。「父母を敬え」(出エジプト記20:12a)

1,父の日の起源について:​1909年にアメリカのワシントン州に住むジョン・ブルース・ドット夫人が提唱したことから始まりがあります。彼女の思いは男手一つで6人の子どもを育て上げた父が亡くなり、その子であったドット夫人はバラの花を飾り感謝したのです。

2、家族とは:​家族はへ語でバイス、ギ語でオイキアと言われ、共同体として大切にされていました。イスラエル社会では基本単位でした。その家族は秩序を重んじました。特に神の教えを何よりも大切にし、神の家族としての誇りを持っていました。

3、箴言にある父の諭し:​箴言1~7章までは父の諭しで展開されています。神に信頼(へ語バータフ)して、知恵の道を歩むと祝福が与えられると言うのです​。①長寿と平安が与えられる。②好意と聡明が与えられる。③健康と元気が与えられる。​家長である父の教えに従い、その父を遣わした神により頼んで前向きにすすもうではありませんきか。

2017.06.11
「花の日・こどもの日」詩篇103篇14~16節


本日は「花の日、子どもの日」礼拝です。11月第2主日に「子ども祝福式礼拝」がありますので、本日は別の角度からメッセージしたいと思います。


1、「花の日、子どもの日」の起源と精神:​1856年(今から161年前)に、米国のマサチューセッツ州チエルセアのメソジスト教会の
チャールス・H・レオナルド牧師が少年少女を導くために宗教教育として提唱したものとされます。


2、花の日、子どもの日礼拝の決議:​メソジスト教会年会決議で、1866年に6月第2日曜礼拝が記念礼拝としてスタートいたしました。1年中で最も美しい草花が茂る季節に、神の恵みとして神を讃美し、感謝して花を飾り、病院や施設、日頃お世話になっている警察や消防署を子どもたちと訪問し、奉仕と感謝を子どもたちに実地に学ばされるのです。


3、神の恵みと人のはかなさを学ぶ:​詩編103:14~16において人の誕生から、人生の喜び、はかなさを「草花を」通して学び、背後に神の御手があること、神の与えてくださる「永遠の命」こそ最も尊い恵みであることを学びます。

2017.06.04
「ペンテコステ」使徒言行録2章1~4節

本日はペンテコステ(聖霊降臨日)礼拝です。イエス様が復活されて50日目(四旬節)での出来事でした。ペンテコステはギ語で「第50番目」を意味する言葉です。3大教会暦の1つです。他はクリスマスとイースターです。

1、祈り待ち望まれたペンテコステ:​イエス様が昇天されて10日間、エルサレムの2階座敷(アッパールーム)で、120名の人々が心を合わせて熱心に祈り、約束の聖霊降臨を待ち望んでいた。 クリスチャンにとって、ペンテコステは希望の日です。2000年前に起こったことは今も起こるという事です。

2、聖霊降臨の具体しるし:​①激しい風のような音が天からした。家中に響いた。②炎のような舌が分かれて人々の上にとどまった。③一同は不思議な聖霊充満の体験をした。具体的には霊が語らせるままに他国の言葉で語り、話した。

3、初めての教会が誕生した:​神の偉大な業が語られ、ペテロの説教で1日で3000人が洗礼を受け、彼らは熱心に福音を述べ伝えた。愛の共同体が生まれ、教会が出来たのです。聖霊が豊かに注がれ、預言者ヨエルの預言が実現するのです。

5月

2017.05.28

「家族の救い」使徒言行録16章25~31節


よいよイエス様が先週の木曜日に昇天されて、10日間120名の弟子たちは、二階座敷(アッパールーム)で心を合わせて聖霊降臨待望の祈りをし始めました。10日後には約束の​聖霊降臨(ペンテコステ)が実現する​のです。
本日は大切な家族(ギ語オイキア)の救い(ギ語ソーテーリヤ)について学びましょう。現在、最も必要とされているのは、家族の救いと信仰継承です。


1、獄屋に入れられたパウロとシラス:​占いの霊に憑かれた女奴隷から悪霊を追い出したために、彼女を利用して金儲けをしていた主人たちに恨まれて、投獄にまで追い込まれたのです。


2、真夜中の獄中での讃美と地震:​2人は真っ暗な獄中で祈り、讃美の歌を歌っていたのです。他の多くの囚人が聴き入っていました。突然、大地震が起こり牢の扉が全部開いたのです。囚人たちの鎖も全部外れてしまいました。看守は囚人たちが皆逃げたと思い自害しようとしますが、パウロは大声でそれをとどめた。


3、家族の救い:​囚人は誰も逃げていなく、不思議な守りに看守は神の存在に気づき、救いを求めたのです。​「救われる為には何をなすべきでしょうか」​、パウロはこたえるのです。​「主イエスを信じなさい。あなたもあなたの家族も救われます。」​全員に神の御言葉を語り、看守もその家族も救われたのす。

2017.05.21
「パウロの宣教への確信」使徒言行録16章6~10節


復活後40日間に渡りイエス様は多くの人々にその姿を現されました。今はその 復活節の真中 です。パウロとバルナバは互いに別行動をとり、パウロはシラスを伴い、シリア、キリキヤを通りデルべに行きました。バルナバはマルコを連れてキプロスへ向かうのです。パウロが中心ですから、彼は色々な所を通りてアジアにも行って御言葉を語ろうとしましたが、禁じられたのです。

1、御霊によって禁じられるということ: パウロの一行はアジアで御言葉を語り(福音宣教)たいと願っていたのです。 さらにビティニアに行きたかったが、またも聖霊が禁じたので、仕方がなくトロアスまで下って行った。 聖霊が禁じる時は、それは深い神の御心が隠されているのです。

2、パウロの幻体験: 全てが閉ざされたように思われた時に、彼はある夜に 幻を見たのです 。彼の生涯にとってこの夜は特別な出来事になったのです。マケドニア人の叫び「こちらに来て私たちを助けてください」との声だったのです。それは切なる助けを求める声でした。

3、神の導きに直ちに従う: パウロは「私たちはすぐにマケドニアに出発する」と決断したのです。 福音を告げ知らせることが最優先でした 。その幻は神の召しの確信(ギ語スムビバゾー、ヒューポスタシス)になりました。ついにあのピリピでの働きに大きくつながるのです。

2017.05.
2017.05.14

「母の教えを大切にする」箴言1章8節

本日は、世界中で「母の日礼拝」を護っています。母を贈ってくださった神様に感謝する日でもあります。

1、母の日の由来:20世紀初頭、アメリカのウエストヴァージニア州に、アンア・ジャービスという女性がいました。彼女の母親ミセス・ジャービスは、1905年5月9日に亡くなりました。お母さんは、牧師である夫を早く亡くし、さらに戦争や病気で8人の子どもを亡くしながらも、2人の娘を育てました。その傍らで社会福祉運動を立て揚げ、病気や貧しい人々を支えました。日曜学校でも26年間も奉仕を続けたのです。偉大な母を尊敬し、告別式で母の好きだった白いカーネーションを飾ったのです。

2、母の日の制定:その後アンナは、母の命日にはカーネーションを飾り記念会をしました。また、母の日の祝日を呼びかけ、1914年にウイルソン大統領により、議会を通して5月第2主日を「母の日祝日」としたのです。

3.箴言から母の教えを学ぶ:箴言とはへ語でマーシャルと言い、比較、類例との意味があります。またリビングバイブルではミシュレ―と言い、知恵の泉と言います。また、「針」との意味があります。「教えを諭す」はへ語でパナデウオーと言います。母はへ語で「エーム」と言います。家族を結び合わせるとの意味です。

07
「献身者奨励」Ⅱテモテ2章1~7

今月は「ナザレン神学校月間」です。第一聖日にはその主旨で礼拝メッセージをしてほしいとの願いがありますので​、「献身奨励」​としてⅡテモテの手紙を取り上げました。パウロが若き愛弟子のテモテに尊い牧会伝道を託した「牧会書簡」です。

1、パウロとテモテの関係について:​パウロが小アジヤのリストラ(ルステラ)で伝道した時に入信して、弟子となったと言われている。​テモテ(神の栄誉)​は、父はギリシャ人、母エウニケはユダヤ教から改宗したユダヤ人、祖母ロイスも信仰篤き人でありました。(Ⅱテモテ1:5) テモテはパウロの第二、第三伝道旅行に加わり、最後のエルサレ
ム行きにも従った。(使徒16~20章)

2、この手紙の背景:​2回目のローマでの入獄は過酷で、地下牢で手足に鎖の状態でした。彼は殉教が近い事を悟り、愛弟子テモテにパウロの遺言書(最後の手紙と言われる)を託したのです。死に立ち向かう彼のすばらしい勇気と信頼が読み取れ、最高の牧会書簡とも言われる。

3、献身とは:​キリスト教辞典で​「神の召命に応えて、神の御心のままに生きるべく、自からの意志明け渡し、その身をささげること」​とあります。直接献身(伝道者)と間接献身(教会、信徒)があります。召命(へ語カーラー、ギ語クレーシス)経験が与えられ、生涯を主に捧げることと、その職業や賜物を通して教会に仕える道があります。

4月

2017.04.30
「弟子たちの世界宣教への派遣」マルコによる福音書16章14~18


本日は4月最後の聖日礼拝です。復活節の中で、弱い弟子たちに顕現されたイエスは、彼らの不信仰と頑固な心を責められたのです。復活信仰を信じ切れない人々が多いのではないでしょうか。


1、欠けがちな教会、不信仰な弟子たち:​本来の12名でなく11名(最初はトマスもその場にいなかった)で、欠損した形で世に存在した教会でした。弟子たちも不信仰(ギ語ウ・ピステュオー)、かたくなな心(ギ語ピスマタリス、またはポロシス)でした。主は彼らを責められた(ギ語オルゲ~)。復活の主との出会いは簡単な事ではないことが分かります。甘えが許されないのです。優柔不断の信仰では主に受け入れられないのです


2、弟子たちに世界宣教を託された:​まだ彼らの不信仰が解決していないのに、世界宣教への派遣という大変な使命を託されたのです。弱い私たちにも宣教は託されているのです。あなたには何が託されているのでしょうか?「出て行きなさい」と命じられるのです。弟子たちには前には国内宣教の命(6:7)でしたが、今度は全世界宣教(英語でグレート・ミッションです。)



3、すべての造られたものに福音を伝えよ(ケリュッソー):​人だけではなく、全被造物を対象としています。被造物の世界の回復を願われているのです。救いは主を信じて洗礼を受けて成就するのです。そこに十字架の贖いがあるからです。そして信じる者に伴う「しるし(ギ語セーメオン、オース)」が語られています。すばらしい恵みですね。

2017.04.23
「エマオ途上のイエス」マタイによる福音書24章28~35


復活のイエスが多くの人々に顕現(ギ語エピファネイア)される「復活節」の40日間が開きました。40日目に召天されて、その後に10日目(復活後計50日目)に聖霊降臨(ペンテコステ)が起こるのです。​


1、顕現(ギ語エピファネイア)されたイエス:​最初に7つの悪霊を追い出していただいたマグダラのマリアに、本日のエマオ途上の2人の弟子に、11人の直弟子に、500人以上の人々に現われて行かれるのです。復活のイエスは復活前の姿ではなく多くの弟子や人々は最初分からなかったのです。


2、イエスから近づいてくださる:​エマオ村(エルサレムから西に8マ
イル:11~11、5Km)に帰るクレオパとその妻マリアにイエスが旅人の姿で途中から同行された。彼らはイエスの逮捕から十字架の出来事、そして空の墓の事など、失望と暗い思いを持ちつつ話しながらエマオに向かうのです。途中でイエスは旧約聖書の話をされて、受難のお話をされたのですが、彼らの目が遮られてイエスとは分らなかったのです。しかし不思議なことに心が燃えて(ギ語ケオー)来たのです。イエスの御言葉には力があり心が燃えるのです。


3、ついにイエスと分かる:​エマオで彼らの家にお泊りくださいとイエスにお願いして、愛さんの時にイエスが讃美の祈りを唱え、パンを裂き彼らに渡された時に、​ついにイエスと気づいたのです。​開眼(ギ語ガーラー)が実現したのです。イエスの姿が消え、彼らはすぐにエルサレムにとって帰るのです。

2017.04.16
「イエスの復活」マタイによる福音書28章1~6

イースター(復活祭)おめでとうございます。イエス様の十字架の死から3日目によみがえってくださいました。今朝はその復活(ギ語アナスタシス)信仰に立たせていただきたいと思います。

1、週の初めの明け方に墓に行った女たち:​安息日の終わった週の初めの日(日曜日)に、マグダラのマリアともう一人のマリア(ヤコブの母)が行ったのです。イエスに会いたいのと、香油を塗りたかったのです。その墓はアリマタヤのヨセフの墓で、特別に収められた横穴式の墓でした。番兵によって厳重な警戒下に置かれていました。

 ​2、空の墓と天使の存在:​大きな地震が起こり、墓をふさいでいた石がわきへ転がされていた。番兵は恐怖に青くなって震えあがっていた。天使は女たちに言った「恐れることはない。あの方はここにはおられない。よみがえられたのだ(ギ語エーゲルセー)」と言う。

3、復活信仰はキリスト教信仰の確信です:​Ⅰコリント15:14「そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。」とパウロが言っています。十字架の死と復活は表裏一体です。復活を信じて力強くリバイバルのために祈りましょう。ハレルヤ!

2017.04.09
「イエスの死」ルカによる福音書23章44~49


いよいよイエス様が十字架にお掛かりになる週​(受難週:パッション・ウィーク)​がやって来ました。祈らせていただきましょう。


1、棕櫚の聖日(パームサンデー):
 子ロバに乗られた主イエスがエルサレムに入城されました。人々は上着を  脱いで道に置き、葉の付いた枝(棕櫚、なつめヤシ)を敷いたり、振ってホサナ、ホサナ(へ語:今救いたまえー詩編118:25から引用)」と歓呼して迎えたのです。メシア(救い主)の待望だったのです。


2、受難週の出来事:
 月曜日(宮潔めの日、火曜日(教えと論争の日)、水曜日(べタニヤ
の日、香油の日)、木曜日(洗足の日,最後の晩餐)、​金曜日(受苦
日)​、土曜日(暗黒日)といわれます。


3.十字架の死(受難の出来事):​①12時から3時まで全地が暗黒(太陽が光を失っていた)になりました。神の計画の直前に起こったし
るしでした。ヨエル3:4~5に預言されていました。②神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。③3時にイエスは息を引きとられた。その場にいた人々に痛みと同情と感銘、救いを与えたのです。最後にイエスは「わたしの霊を御手に委ねます」(詩編31:6)と叫ばれて召天されました。イエスの死はわたしたちの​贖罪​のためでした。

2017.04.02
「苦難のしもべ」イザヤ書53章1~4

いよいよ新年度(2017年度)が始まりました。レント(受難節)第5主日礼拝です。イエス様の受難の箇所を学んでいます。本日は有名なイザヤ書53章の「受難、苦難のしもべ」のところです。​

1、イザヤ書とは:​BC(紀元前)8世紀の偉大な預言者イザヤが書いた書です。イザヤの名前の由来は「ヤㇵウェ(主)は救い」という意味があります。彼の活動時期は4代の王にまたがり、彼の預言は750年後に新約のイエス様によって実現しました。

2、イザヤ書の背景:​バビロン捕囚の苦難の中で「希望のメッセージ」
として国民に語られた内容です。3区分(1~39章:第一イザヤ預言、40~55章:第二イザヤ預言、56~66章:第三イザヤ預言)と言われています。本日の53章は第二イザヤ預言の中心部で、捕囚未期のものです。

3、主のしもべの歌(苦難のしもべ)​:しもべとはギ語ドゥーロスと言われ、デオー(縛る)から語源がきています。53章はほふりば場に引かれて行く小羊が出てきます。これは神の小羊イエス様を示しています。罪を贖うために十字架に掛かられたイエス様は、病(へ語ホリー)と痛み(マフォーブ)をも負ってくださいました。

平成28年度・下半期

2016年10月~2017年3月

3月

2017.03.26
「パウロに学ぶ宣教姿勢」使徒言行録20章17~27
川内研二 師

2017.03.19
「誇るものは十字架のみ」ガラテヤ書6章14~16

レント(受難節)第3週の礼拝を迎えました。ラテン語で注ぐ)​「オクリー(主に目を​」聖日と言われて、ちょうど中間点です。あと3回の聖日礼拝を経てイースター(復活祭)を迎えます。本日でガラテヤの手紙を終わります。

1、十字架(ギ語スタウロス)を誇る:​わたしたちの信仰で、この世のものや自分を誇ってはならないとパウロは言うのです。誇るという言葉はギ語でカウカオマイと言います。自分の力や肉的なことを誇るのではなく、キリスト、十字架のみを誇れとパウロは言うのです。

2、はりつけ(ギ語スタウロス)にされている:​わたしは世と律法に死んでいるとパウロは明確に言うのです。そして神との関係にの中に新しく生かされていると言うのです。この世に属する者であったパウロが、キリストの十字架の出来事によって新しく生かされて、今度は福音を述べ伝える者とされた。

3、新しい創造(ギ語カイネー・久ティシス):​創造とはへ語でバーラーと言い、Ⅱコリント5:17「キリストと結ばれた人はだれでも新しく創造された者」とあります。ガラテヤ2:20でも「もはや我生きるにあらず、キリストが我が内に生きるなり」とあります。ルターのように「信仰のみ」に生かされましょう。

2017.03.12
「肉的な生活をしない」ガラテヤ書6章11~13


ガラテヤの手紙も結びの言葉になりました。教会的にも、牧会的にも良き学びでした。互いに実践に生かして行きたいものです。


1、パウロの勧告:​目が悪く、ほとんどの手紙は弟子たちに書かせて口実筆記でしたが、パウロ自らが書いて送るという重要さが分かります。大きな字で書いてあると言うのです。受けた教会は感激したでしょう。



2、肉的な信仰と割礼:​キリスト者の信仰、行いは人に良く思われたいのか、神に良いと言われたたいのかと問われています。特に割礼に代表される律法の問題が提起されます。割礼を受けても律法を守らないものが多いのです。


3、肉について誇りたいと思う者の危険性:​ ​当時の律法主義者や偽教師の動機がパウロによって暴かれています。でも現在のキリスト者や教会が気をつけなければならない問題でもあるのです。色々な規則や目に見えない束縛に縛られて、互いの重荷を負うのではなく、なるべく負わないようにしたりします。そこには愛が冷えたり、この世的になったりして、リバイバルどころか逆に衰退してしまいます。肉的でなく霊的に生かされましょう。

2017.03.05
「この方は、まことの神の子」マルコ15章33~41
川内研二師

2月

2017.02.26

「キリストにあって歩む」コロサイ書2章6~7
川内研二師



2017.02.19
「たゆまず善を行いましょう」ガラテヤ書6章9~10


今私たちが学んでいる「ガラテヤの手紙」はパウロがガラテヤ地方の諸教会にあてて書いた手紙です。現在のトルコの国の黒海の南にあった地域です。パウロは優秀な人で小アジアのタルソで生まれ育ちました。異邦人が多くいてギリシャ文化の影響を受けて育ったので、ギリシャ語も話せ、もちろんユダヤ人でしたのでヘブライ語は当然話したのです。 


​1、絶えず善を行い続けることに心がけて行こう:​私たちは善(ギ語カロス:9節、アガソス:10節ーへ語トーブ)を行うことにためらいを覚える時があります。疲れる時もあります。 それでも​本田弘慈師は「怠らず励み、霊に燃えて、主に仕えなさい」(ローマ12:11)​と言われ続けました。


2、必ず時が来て刈り取る(収穫ギ語テリゾー)恵みがある:​種まきと刈り取りの続きです。ここでは御言葉を語る者も、聞く者も共に忍耐して、失望せず、忠実に仕え続けることが大切だと教えているのです。



3、信仰の家族(ギ語オイキア、へ語ミシュパーカー)に善を行う:​出来ればすべての人々にすることが良いが、先ず信仰の仲間にしてほしい。特に指導者を支え、仕え、善を行えとパウロは勧めている。

2017.02.12

「自分の蒔いたものは刈り取る」ガラテヤ書6章7~8


ガラテヤの手紙に戻っています。本日は​「霊的な種まき」​のお話です。背景がガラテヤ教会の置かれた状況にあります。そして「人は蒔いたものは自ら刈り取る」ことになると言うのです。厳しいですね。


1、思い違いをしてはならない:​人は結構思い違いをするのです。誤解(ギ語パレクスィギスィ)したり、勘違いするのです。真面目な面では仕方がないかもしれませんが、救われた私たちは、どうせ赦されるのなら罪(ギ語ハマルティア:罪的なことも含めて)を犯してもかまわないと思うこともあるのではないでしょうか。パウロは「思い違いしてはならないと戒めます。


2、種蒔きと刈り取り:​農業のたとえで信仰の真理を鋭く述べます。「種蒔き」はイエス様もたとえでよく取り上げられています。種(ギ語スぺルマ、へ語ゼラ)はできるだけ良い種をまきなさいと言われる。豊かな実を結ぶ(ギ語カルポス・メイネン)のです。質的から量的に祝福が広がります。


3、肉に蒔くか霊に蒔くか:​肉(ギ語サルクス)からは滅びを刈り取り(ギ語テリゾー)、霊からは永遠の命(ギ語ゾーエアイオーニオス)を刈り取ります。御霊の実を豊かに収穫しましょう。リバイバルはそこから起こります。ハレルヤ!

2017.02.05
「自分の重荷を担うべきです」ガラテヤ書6章5~6

2月に入りました。本日からガラテヤ人への手紙の連続講解説教に戻ります。もうすぐに終わります。本日のメインのテーマは​「重荷を担う」です。

1、重荷にたいする相違点:​イエス様は有名な​マタイ11:28「​重荷をわたしのもとに降ろしなさい」と言われました。パウロはガラテヤ6 :2で「互いに重荷を担いなさい」と言い、本日の5節では「めいめいが自分の重荷を担え」と言っています。これは互いに矛盾しているのではないかと問う人もいます。皆さんはどう思いますか。原語のギリシャ語では重荷の2節が「バロス」で、5節が「フォルティオン」となっています。バロスは「すごく重く、自分では負いきれないもの」で、フォルティオンは自分でしか負いきれないもの」を指します。

2、御言葉を教えてもらう人:​イエス様の働きの重要な1つに、御言葉を教えること「ギ語ディダスコ」がありました。イエスはマタイ9:35で「宣教、教育、福祉」の働きをされ、現在の諸教会もこの働きを継承しています。

3、原始共同体の分かち合い:​教師(ラビ)も信徒も一体となる。例として、フィリピの教会はパウロの経済的困難を「よく分け合ってくれた(ギ語スンコイノーネオー)」ことでした。教会は本来、単なる交わりだけでなく、主にあって分かち合いの営みがされるところです。心にしっかりと受け止めましょう。

1月

2017.01.29

「キリストに希望を置く」エフェソ1章11~14


いよいよ1月最後の礼拝です。新教会標語を分析して学んできました
が、今日はそのまとめとして展開します。すべてが 「キリストにあっ
て」 なのです。1年間キリストにあって豊かに導かれてあゆみましょ
う。


1、私たちは神の約束の相続者(ギ語エクレーローセーメン)とされま
した: キリストにおいて御心(ギ語セレーマ)のままに行われる神の計
画によって、相続者としていただいたのです。神は前もって定められて
いました。


2、キリストに希望(ギ語エルピス)を置く者: これは自分の願望とか
努力とか、人間的な事柄ではなく、神の御心に沿う計画です。ですから
私たちはただ神栄光をたたえればいいのです。

          
3、聖霊の証印(スフィラギゾ)をお
された者: これは神の保証(ギ語アラボーン)です。真理の御言葉、救
いの福音を聞き、それを信じたことによって、聖霊の証印を受けること
が出来たのです。聖霊の恵みは多くあります。特に御国を引き継ぐ恵み
は素晴らしいものです。ハレルヤ!

2017.01.22

「成長、成熟した人となる」エフェソ2章21~22


新年教会標語を分析して学んでいます。本日は​「成長、成熟」​と言うことです。私たちは意外と信仰においては幼いのではないでしょうか。ちょっとしたことで怒り、自己中に陥り相手が見えなくなったりするものです。パウロはこのエフェソの手紙で建物の建築にたとえて教会やクリスチャンの在り方を説く。


1、エフェソ教会の現状:​ローマ帝国の主要都市でアジア県首都であり、シリアのアンテオケ、エジプトのアレキサンドリアと並ぶ地中海東部の3大国際都市であった。当時エフェソには25万人もの人口であったと言われる。多くの宣教師を送り出して、その拠点とされた。


2、キリストが礎石となる:​この時代の信者は、信仰の家を建て、主にある聖なる宮となるのです。建物をギ語で​「オイコドメー」​と言います。この言葉は「建てる」というオイコドメオー​「強化する、向上させる」​との意味からきています。人と人が組み合わされて、​有機的な建物の教会​が成長して行くのです。


3、御霊により神の御住まいとなる:​Ⅰコリント6:19~20「あなたがのうちに住まわれる、​神から受けた聖霊の宮​であり・・・」とあります。神が代価を払い買い取ってくださったもので、それだからこそ自分のからだをもって神の栄光をあらわさなければならないのです。る神キリスト、御霊、父なる三位一体の聖なる​クリスチャン一人ひとりのからだ、教会に住まわれ、それぞれが聖なる宮(へ語のへーカール)となるのです。

2017.01.15

「真理を行う者となる」ヨハネ3章21節、4章23~24


新年標語の分析の2段目です。それは​「真理を語る」​と言うことです。真理はギ語で「アレーセェイア」、へ語で「エメス」と言い、「まこと」とも訳されています。今朝のメッセージの​前半は「真理を行う」、後半は「まことの礼拝」​についてです。


1、真理を行う者:​①光(フォース)に来る、②その行いは神によって
明らかにされる(ギ語ファネロー)。真実に主イエス・キリストを信じている人々は、光の中を歩むことが求められています。神に隠し事をしません。真実を語ります。聖別された神の子なのですから。聖霊が働いてくださるのです。神の御心を行わせてくださいます。何事も神に栄光を帰します。


2、真の礼拝者になりましょう:​それは霊と真理によって父を礼拝(ギ語レイトゥルギア、プロスクネオー)するのです。主イエスはサマリヤの女に真(ギ語アレーシノス)の父なる神について語られ、「まことの礼拝する者たちが、霊と真理をもつて父なる神を礼拝する時(ギ語カイロス)が来ている」と言われました。


3、キリスト者の礼拝の大切な点:​①霊とまことをもって、②真実に
よって新生された神中心のの心が必要が必要です。ローマ12:1b~2参照のこと。新生されたキリスト者には、聖霊が内なる存在として、神をハッキリ自覚し、応答していくのです。Ⅰコリント2:11b

2017.01.08
「信仰、希望、愛」Ⅰコリント13章13


新年標語が与えられ、元旦にメッセージしましたが、その項目について1月の礼拝で具体的に解きたいと思います。本日はすべてのベースになる​「神の愛」を中心に、信仰、希望についてお話しいたします。愛の章からです。


1、神の愛について:
 パウロはキリスト教のすばらしい3大項目として、信仰、希望、愛を上げています。これらすべては「キリストにあって」です。「愛」にはギリシャ語で4つあります。​①アガペー、②フィリア、③エロ-ス、④ ストルゲー​です。アガペーは神の愛で、犠牲的無条件の愛です。フィリアは友情、友愛、親密な愛、エロースは肉的、情欲の愛、ストルゲーは家族間の愛を示します。


2、信仰について:
 信仰、信心は世の多くに言われていますが、正しく理解しないとおかしくなります。ギ語で​「ピスティス」​と言われ、人が神とキリストとに対し、その働きに対して抱いている心意、信頼、決意です。神の子イエスへの生命(十字架)、復活を信じ告白することです。


3、希望について:
 ギ語で​「エルピス」​と呼ばれ、元の意味は「不安や畏れを持って将来を待つ」とあります。そこから転じて「良きこと、神の救いを喜びを持って待望する」ことになった。神が望みの源泉なのです。当然、神(愛)に基盤を置きます。

2017.01.01
「愛に根ざし真理を語り成長する」エフェソ4章15

「新年明けましておめでとうございます。」​今年も神の御言葉にしっかりと繋がり、クリスチャンとして公私の働きに励んで行きましょう。皆さんと教会の祝福を心からお祈り申し上げます。
本日は新年の教会標語からのメッセージです。一年間の目標にしましょう。

1、エフェソの手紙の背景:​獄中書簡で1~3章は「教会論」で、4~6
章は「実践論」になっています。4章の中心は「教会の一致と成長」です。ローマ帝国の統治下で、アジア県の首都で、政治、経済、宗教上の重要な都市でした。偶像も盛んでした。かつてパウロは3年間も留まり伝道し大きな教会を建てた。

2、召された者の生活規範:​①御霊の一致を保ち、一つのキリストの体(エクレシア:教会)を建て上げる。②古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着る。違った賜物を生かし、受け入れ、結び合わされて1つの体を形成するのです。

3、成熟、成長した人になる:​愛(アガペー)にあって真理を語り(アレースューオー)、あらゆる点において成長(大人になる)し、神の聖徒(知恵に満たされ、訓戒し合い、感謝に溢れ)となれとパウロは言うのです。

12月

2016.12.25

「神の御子の誕生」マタイ2章7~12節


クリスマスおめでとうございます。祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。クリスマスの意味をアドベント期間に各聖句から学んできました。



1、誕生の背景(時代):​ヘロデ大王の時代です。人々の待望していた「新しい王」が誕生するニュースがヘロデに入り、彼は恐れを持ちます。彼は老獪な政治で長期間ユダヤを収めていたのです。ミカ書5:1に預言されていたことが実現するのを恐れて、ベツレヘムの幼児を皆殺しにする残酷な王でした。



2、神の子イエスの誕生と博士たち:​預言通りベツレヘム(パンの家)で、あの馬小屋でイエスは誕生されたのです。ベツレヘムはダビデの出身地であり、イエスの父ヨセフもそのダビデの家系で、戸籍調査のためにベツレヘムに行かなければならなかったのです。東方の博士(占星術の学者:マゴス)たちに御子の誕生が星によって示された(民数記24

:17a)のです。​ 



3、最初の御子礼拝:​異邦人である東方(ペルシャ)の博士たちによって最初の御子礼拝が実現したのです。一方、ヘロデは御子を殺そうとしたのです。エルサレムの人々も不安が都中に広がったのです。その中で密かに博士」たちは星に導かれて馬小屋で、最上の献げものをし礼拝して帰ったのです。

2016.12.18
「男の子の名はインマヌエル」マタイ1章23~25節

いよいよ1週間後にクリスマス(主の降誕日)を迎えます。本日はその降誕される方「イエス・キリスト」のお名前の由来と使命を学びます。イエス、インマヌエルという名前です。されにヨセフの信仰に見習います。

1、イエスと名付けられた:
 「イエス」という名前は「主は救い、主は救う」という意味です。旧約のユホーシュア、つまりヨシュア、ホセアと同じ名前です。イエスはギリシャ語で「イエースース」です。ヨシュアはあのモーセの後継者です。​「イエシュア:主は救い」​との意味です。エレミヤの預言から600年後に成就したのです。

2、インマヌエルと名付けられた:
 この名前はイザヤ7:14からの引用です。へブル語「インマーヌーエール」で、詳しくは3つの文字からなります。​イム:共に、ヌー:私たち、エール:神​と分析され「神は我々と共におられる」と意味付けられるのです。神が人間の世界に来られ、共に住まわれたことを示しています。あなたと共に神がいてくださるのです。なんと幸いなことでしょう。

3、ヨセフの信仰:
 服従の見本としてヨセフがあげられています。彼は主の使いに命じられた通りに従った。この世的には理解出来ない点もありました。でも​最終的には主に従ったのです。彼は愛と信仰の人でした。​クリスマスは私たちの信仰が問われるときでもあるのです。

2016.12.11
「正義の若枝が育つ」イザヤ書11章1~5節

アドベント(待降節)第3主日を迎えました。本日も有名なイザヤのクリスマス(主の降誕)預言です。祈りを持って待ち望みましょう。イエス誕生の約740年ほど前の出来事です。

1、エッサイの根株から:
 その株から新芽が出たのです。先々週学んだ「若枝:へ語ネセル、ネイツァー)」です。エッサイとは偉大な王ダビデのお父さんのことです。当時大国のアッシりヤに北イスラエルは滅ぼされ、南ユダも攻撃を受け、滅亡寸前でした。何も残らないように見えた時に根株が残され、命が与えられ、若枝は育ち、成長し実を結ぶのです。根株はエッサイの切り株と呼ばれました。

2、イスラエルの復興:​イザヤ9:1にありますように、絶望的な中でイスラエルは光を受けて、希望を持ったのです。イザヤは神の約束に対する確信を持ち、救いと復興の時が与えられると預言し国民を励ますのです。

3、若枝から4つの性質を持つメシアが出る:​①王としてのメシア、② しもべとしてのメシア、③人としてのメシア、④神としてのメシアです。イザヤ4:2「その日、主の若枝は、麗しく、栄光に輝き、地の実は、イスラエルののがれた者の威光と飾りになるのです。イエス・キリストはそのようなお方です。

2016.12.04
「ひとりのみどりごが生まれた」イザヤ書9章5~6節

わたしたちはアドベント(待降節)の期間を過ごし、礼拝ごとにクリスマスの意味を代表的な聖句から学び備えています。​第一週は「預言のキャンドル(希望)」、第二週は「天使のキャンドル(平和)」、第三週は「羊飼いのキャンドル(歓び)」、第四週は「ベツレヘムのキャンドル(愛)」​と続きます。リース(クランツ)は永遠を表し、緑色のモミ、ヒイラギを使います。

1、イザヤ9章の背景:​大国アッシリアが北イスラエルに侵攻、領土の一部は占領されて、北イスラエルと南ユダの民は疲弊、精神的に追い詰められ、希望を失い危機的な状況にありました。預言者イザヤはそのような状況下で「希望の光」を示したのです。

2、その名は「みどりご(イェレド)」と呼ばれた:​一人の男の子が与えられた。権意が彼の肩にあると言うのです。そして「驚くべき指導者(ぺレー・ヨーエーツ)、力ある神(エール・ギポール)、永遠の父(アヴィーアド)、平和の君(サル・シャローム)」と唱えられるのです。

3、主の熱意(キヌアット・アドナイ)がこれを成し遂げられる:​ これは神のご計画と目的を実現される動機が明確に示されているのです。預言者イザヤは希望の光を示し、新しい統治者が起こり、全イスラエルを守り、導き、闇から光へ、死から命へと変えてくださると預言するのです。そしてイエス・キリストへの来臨につながっていくのです。

11月

2016.11.27
「正義の若枝の誕生」エレミヤ書33章14~16節

いよいよ​「アドベント(待降節)」​に入りました。4週後にクリスマスを迎えます。それまでにクリスマスの意味を各方面から学びます。クリスマスは神の御子イエス様の誕生日を祝う日です。良き備えをいたしましょう。

1、アドベント(待降節)の意味:​ラテン語アドベントゥスから来たもので、「到来」の意味があります。キリストの到来を待ち望むとの意味でもあります。ローソクの1本目に点火されます。

2,エレミヤ預言の背景:​エレミヤは南ユダ王国滅亡した時に活動した預言者です。ユダヤはサウロ王、ダビデ王、ソロモン王に続き、すばらしい繁栄を遂げました。その後に南北に分裂、大国に滅ぼされて捕囚民となるのです。エレミヤは滅亡と復興を語る預言者で、エレミヤ書は「慰めの書」と言われていす。

3、正義の若枝(へ語ツェマッハ)が生え出でる:​600年後のイエス・キリストの預言でもあるのです。彼は「公平(ミシュパート)と正義(ツェダーカ)」を持って国を治め、ユダは救われ、エルサレムは安らかに人の住まう都(イル)となるのです。「主は救いと(へ語ヨシュア)」と呼ばれたのです。イスラエルを祝福すると主は言われるのです。

2016.11.20
「実を結ぶ人生」ルカ8章11~15節

本日の礼拝は「収穫感謝礼拝」です。勤労感謝日との関係もあります。聖書からその歴史と聖句から詳しく学び、その精神を尊び、今日も生かされている恵みを感謝したいと思います。

1、収穫感謝祭の起源:​旧約の時代から豊かな収穫と働きを与えてくださる全能の神に対してささげて来ました。日本でも昔は「新甞め祭」と言い、近年だは「勤労感謝の日」として定められています。その精神は「勤労を尊び、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」です。
 1607年ごろ、当時、英国で圧迫されたピューリタン(清教徒)が、信教の自由を求めてメイフラー号で自由の新地を求めて、アメリカ大陸へ旅立ったのです。男子78名、女子24名の計102名でした。

2、新大陸のアメリカのマサセッツ州プリマス到着:​旅と過酷な冬の生活で半周の人々が亡くなったのです。アメリカ先住民(インディアン)の助けで、農作業をして、翌年に収穫を得、神と隣人に感謝して、最初の収穫物を祭壇にささげ、「収穫感謝礼拝」をしたのです。リンカーン大統領はそれを記念して、1864年11月第4木曜日を国民の祝日」としたのです。

3、実を結ぶ人生:​種まきのたとえを通してイエスは語られるのです。良い地に種(神の御言葉)を蒔き、根ざし(ギ語リゾマイ)、育ち、豊かな実を結ぶのです。そんな人生でありたいと願うのです。

2016.11.13
「子どもと天国」ルカによる福音書18章15~17節

本日は「子ども祝福合同礼拝」です。一般社会は「七五三」と呼ばれ、神社に参拝して成長期の一つの節目をしているようです。教会ではイエス様が子どもを祝福されたように、牧師先生に祝福のお祈りをしていただくのです。

1、子ども(ギ語テクノン、へ語エレド)を祝福するイエス様:​人々は子どもをイエス様のもとへ連れてきた。それは触れて(ギ語ハプトー)もらって祝福をしていただくことであった。乳飲み子(オーレール)まで連れてきたのです。

2、子どもは主の賜物(宝物):​弟子たちは子どもたちを「シーあちらに行きなさい」と叱った。これを見てイエスは憤り(ギ語オルゲー)、あえて乳飲み子たちを呼び寄せて「子どもたちを来させなさい、妨げてはならない。」と言われた。

3、神の国(ギ語バシレイアー、へ語マルクト)とは​:子どものように受け入れる人が入る所であると、イエスは言われたのです。子どもは無力で、小さいし、親に全面的に頼るのです。その子どもたちを主は愛して祝福(ギ語ユーロギア)されるのです。

2016.11.06
「先人の信仰を見習う」へブル書13章7~8節

本日は「召天者合同記念礼拝(聖徒の日)」です。プロテスタント教会も、カトリック教会も大切な記念日として、先に召された信仰者を尊び、会堂で写真を飾り、礼拝を守り、墓前礼拝をします。

1、聖徒の日:​オール・セインズ・デイと言われ、カトリック教会では典礼の最初の入祭文「レクイエム・エテルナム:永遠の安息を」で「レク イエム」と呼ばれています。プロテスタント教会では、この一年間で召された方々を中心に、諸聖徒を偲び、記念して礼拝を守ります。

2、信仰の先人を覚え(へ語ザーハル、ギ語アナムネーシス)、見倣う :聖書には、私たちが生きて行く模範になる先達がたくさん登場します。ヘブライ手紙11章では信仰について詳しく述べられています。偉大な神学者エミール・ブルンナーは「信仰とは現象的世界の背後に目を注ぐこてである」と言いました。すべての出来事の背後に神が共にいてくださるが故に、恐れたり、動揺することなく、日毎に神の御言葉に従い生きて行くことです。

3、イエス・キリストの不偏性:​人は必ず死を迎えます。けれども私たちの主イエス・キリストは永遠(ギ語アイオーン、へ語オラーム)です。霊的に永遠に生きておられ、いつも私たちを助け、慰め、励ましてくださるお方です。イエス様は私たちの​模範(テュポス)​です。ハレル
ヤ !

10月

2016.10.30
「自分を吟味してみなさい」ガラテヤ書6章3~4節

いよいよ10月最後の礼拝です。明日の31日はルターの宗教改革記念日です。1517年10月31日にウィッテンベルグ城教会に95ケ条の質問書を貼り付けたことから、教会再建、プロテスタント教会の誕生日とまで言われています。来年は宗教改革500年記念の年と言われています。

①ルターの宗教改革の意味:
中世と近世を分ける境目に「2つのR」と言われる大切なものがあります。それはルネサンスとデホルメです。文芸復興と宗教改革です。宗教改革は中世の教会の中でゆがめられ、崩れているのを再びもとの原始教会の正しい姿に帰れと主張し、教会再建運動を展開したことです。

②個人主義者への戒め: 
パウロは教会内に自分の行いに優越感をもったり、自己中に陥る者に対して、他者と比較するのは浅薄であり、かえって自分を欺いていることになると言い、最後にはサタンの手に落としこんでしまうと警告する。

③自分の行いを吟味(ギ語ドギマゾウ):
 ドギマゾウとは「よく調べ、その価値を正しく計りなさい」との意味です。たとえ誇れる(ギ語カウケーマ)と思っても深く吟味しないで誇ってはならないと言うのです。ここで信仰と言わないで「行い」と言っています。

2016.10.23
「教会成長のヒント」使徒言行録2章41~47節
川内研二 師

2016.10.16
「互いに重荷を担いなさい」ガラテヤ書6章1~22節

いよいよ10月後半に入りました。ガラテヤの手紙の最終章6章です。パウロは前章で御霊によって歩み、御霊の実を豊かにつけなさいと言いました。本章では御霊の人のあるべき姿について触れています。

1、罪過(パラプトウマ)の人に対して優しい心を持って正してあげよ :​多くの人が足を踏み外し測溝に落ちているとパウロは言うのです。パラトウマはそのような原語の意味があるのです。柔和(プレイテス)な心を持ってでなければ

​2、自分自身も誘惑(ペイラスモス)に陥(エイスフェロー)らないように気をつけよ(コルホーセ):​パウロは信仰には常に自己吟味が必要と言う。他者のことを我が教訓として常に気をつけるようにと忠告するのです。

3、互いに(アッレーローン)重荷(バロス)を担いなさい:​各自は負いきれない諸問題をかかえています。霊的な問題、肉的な問題・・・仲間の信徒はその問題を援助し、重荷を負い合うならすばらしい教会、共同体が出来上がるでしょう。それは真の律法を全うすることにつながることでしょう。

2016.10.09
「主とヨナ」ガラテヤ書4章10~11節
鈴木龍生 師


1章 主はヨナをニネべへの使者として召されました。しかし、ヨナは主の命令に背き、タルシシュへの逃亡を企てる。

2章 ヨナが感謝の祈りをささげた理由は、魚の腹の中から叫ぶと、主との交わりが回復された喜びであります。

3章 ヨナはただ悔い改めのメッセージを一日中歩き回って叫び続けただけでありました。
主は人々の悔い改めをご覧になり、災いを下されなかった。

4章 主はヨナの怒りが不当であることを、一本のとうごまとニネべの民の命とを比較しながら説明し、彼を説得されます。

2016.10.02
「御霊の実」ガラテヤ書5章22~26節


クリスチャン生活において大切なのは、肉の行いではなく、御霊によって歩み、この御霊の実を結ぶことが大切です。御霊によって導かれる人は内側から新たに造り変えられ、9つの御霊の実(ギ語ホ・カルポス)が結ばれるのです。

1、ガラテヤの手紙の特徴:パウロはここで肉の働きと御霊の働きを明確に分けています。肉の働きは古い人に属する罪の性質です。15ほどあげられています。一方「キリスト者の自由」は、御霊の実と深くかかわっています。

2、御霊の実の3区分:①愛、喜び、平安(神に向かっての関係)。② 寛容、親切、善意(人間関係:対人間)。③誠実、柔和、自制(内面の関係)。3つは互いに相互関係があり、3つの房がつまる一つの実になるのです。

3、霊に従って生き、歩みましょう:神との関係と実践を表しています。人生において新しい生活が始まると、関係作りが変わり、価値感が変わり、自己中心から神中心に変わります。

平成28年度・上半期

2016年4月~2016年9月

9月

2016.09.25
「霊の導きに従って歩む」ガラテヤ書5章16~17節

キリスト者の自由をパウロは言い続けてきました。それはいつもキリストに根ざし、生かされてこそ実現するのです。その大切な点は「キリストの御霊に導かれて」歩むことですと言います。御霊は聖霊(ギ語プニュマーハギオン)のことです。へブル語ではルーアハ(風、気、息)と言います。


1、御霊によって歩む:私たちはよく肉(ギ語サルクス)の欲望に支配されるがあります。それは滅びにつながるのです。だからパウロは聖書、教理を正しく理解し、健全に導かれなくてはならないと言うのです。


2、御霊と肉との対立:御霊はキリストにあって自由、肉は律法によって罪と死が支配する原理があるとパウロは言うのです。少し難しいですね。ガラテヤ教会も実際にこれらの問題で苦しんだのです。肉の思いは御霊に逆らうのです。パウロは両者を両立させようとする反対者たちの矛盾を暴露します。

3、新しい性質、生活:ローマ7:7~23には、神からいただいた新しい命には、新しい性質があり、御霊によって古い性質に宿る肉的な性質(ギ語エピスメオー)に勝利するのです。霊の導きに従って歩みましょう。

2016.09.18
「自由を得るために召しだされた」ガラテヤ書5章13~15節

本日の礼拝は「慶長礼拝」です。ガラテヤの手紙の講解と合わせてお話しをいたします。75歳以上のご高齢の方々に神の祝福が有りますようにお祈りいたします。


​1、敬老の日の由来:​1963年に老人福祉法が制定され「老人の日」と改称され、3年後に現行の「敬老の日」となりました。その趣旨は「多年にわたり社会に尽くしてきた老人を愛し、長寿を祝う日」です。
 聖書でも多くの箇所で「老人を尊び、祝福を受ける」・・・(レビ記19:32、詩編92:14・・・)多くあります。


2、わたしたちは自由を得るために召された:​この自由(ギ語エりューセリア)は、罪(奴隷)からの自由なのです。今度はこの自由を肉の機会にしないで、愛に従って自由を用いるように勧めるのです。隣人愛の実践です。


3、霊的破滅の危険性:​反対者たちによって起こされるかみ合いや、共食いの状況をパウロは心配して勧告するのです。肉的にならないで、霊的一致を保ちなさいと強く言うのです。反対者たちの扇動に乗せられないように気をつけよと重ねて言うのです。

2016.09.11
「主を信頼し、よりどころとする」ガラテヤ書5章10~12

本日からガラテヤの手紙の連続講解にかえります。宗教改革者ルターが「わたしの妻」と言ったぐらい大事な手紙です。


1、わたしはあなたがたを信頼(ギ語ピステウオー)する:​それは主にあって(ギ語エン・キュりオー)です。具体的には主をよりどころ(ギ語ハーサー:依り頼む)としているからです。私たちの信仰もこのようにありたいと思います。当時、あまりにも教会や信徒を惑わす(ギ語タラッセイン)者がいて、混乱が起こり、背教に多くの人々陥ったのです。


2、惑わす者は裁き(へ語ミシュバット)を受ける:​パウロが割礼を奨励していると言い張る者がいたのです。パウロは割礼の問題は十字架信仰のつまずき(ギ語スカンダロン)になると言うのです。割礼を主張する者に対して、そのような者は自ら去勢してしまえと叫ぶのです。


3、パウロの宣教:​ただ「十字架のキリスト」を宣べ伝えるだけです。割礼に代表される律法ではありません。キリスト者は主にあって真の自由を得ているのです。

2016.09.04
「父の戒め、母の教え」箴言6章20~23

9月は「ナザレン教会学校月間、敬長月間」です。それぞれのために初穂礼拝において、関連メッセージを取り次ぐことが求められています。


1、教会学校の起源:1780年に英国のロバート・レイクスによって始められました。不安と混乱の中にあって、劣悪の状況にある子どもを、何とか正しい道に導きたいとのレイクスは願いました。教育を受ける機会のなかった子どもたちは読み書きを覚え、聖書の御言葉を学び始めました。


2、長寿を祝うこと:聖書はただ長寿を祝うだけでなしに、長寿を命の源である神様の祝福と考え、神様に感謝して礼拝することを勧める聖書こそすばらしいものです。出エジプト記20:6、12


3、父(アーヴ)の戒め、母(エーム)の教え:敬虔なイスラエルの家庭では、律法(トーラ)を通してなされる戒めや教えは家訓のようなもので、世々継承される大切な命の道です。((6:23) 箴言は「ハリ」という文字で、知恵(ホフマー)の言葉というハリで、人

8月

2016.08.28
「神の平和を求めて」詩篇82篇1~8節

8月最終の主日礼拝です。まとめとして​「平和」​について考えて見たいと思います。20世紀は「戦争」の世紀でした。21世紀は​「平和と和解、愛の世紀」​となるように願われています。祈っていきたいと思います。


1、真の平和とは:​旧約で​「シャローム」​は237回、新約で​「エイレーネ」​は92回出てきます。シャロームという言葉は、単に戦争や争いのないという状態を表すだけでなく、「完成された、満たされた状態、力と生命に溢れた動的な状態」を言います。イエスはヨハネ14:27で「わたしの平和を与える」と言われました。「神の平和」こそ最も大切なものです。


2、神の裁き:​詩編82編は「預言的詩編」と呼ばれています。1節には「神は、新聖な会議の中に立ち、神々を批判し、裁かれる(へ語ミシュパート)姿を描いている。何故かと言うと、真の神に逆らう者たちの味方をする神々に対してです。さらに社会的弱者を顧みない異教と偶像の神々を裁かれる。


3、愛の実践の例:​マザーテレサの行い。彼女の奉仕の原点は「静けさの祈り」であると言われる。彼女は次のように言う「あなた自身の心の中で、イエスの御声を聞けるようになるまで・・・」再臨の時にキリストは、地の民を裁き、地を統治されます。新天新地がくるのです。

2016.08.21
「二かごのいちじく」エレミヤ書24章1~10節
説教:鈴木龍生師

①二籠のいちじく  1~3
ゼデキヤ王の問いに対するエレミヤの答えが記されていた。エレミヤは、そこで、バビロンに降伏する者だけが生き残りうると答えている。
第一回のバビロン捕囚のときヨヤキンがバビロンへ連行された後、主の神殿の前で、主は幻をもっていちじくを二籠エレミヤに示された。

②良いいちじく 4~7
良いいちじくとは、バビロンへ捕らえ移された捕囚民を表す。
神は彼らを捕囚から解放して国を建て直し、契約関係を回復される。

③悪いいちじく 8~10
悪いいちじくは、エルサレムに残った人々やエジプトに逃れた人々を表す。
神は彼らを周囲の人々の物笑いの種とし、災いによって滅ぼしてしまわれる。

2016.08.14
「律法より愛の実践」ガラテヤ書5章2~6節

パウロはキリスト者の自由で、律法(ギ語ノモス、へ語(ギトー
ラー)の問題を取り上げています。この問題は当時のキリスト教会、とりわけガラテヤ教会にとっては大きな問題でした。パウロはここで強い口調で断言するのです。

1、割礼の問題:​割礼はへ語でムラーハ、ギ語でぺリトメーと言います。イスラエル民族にとって特別な宗教儀式でした。旧約では神と民族の間の「契約のしるし」で、選民であることの象徴で、彼らは割礼を重んじたのです。受けた人は律法厳守を課せられたのです。

2、律法によって義(ギ語ディカイオスネー)とされるか:​パウロは疑問を呈するのです。そうなると彼らはキリストとの関係は何の縁もゆかりもなくなる。真の救い、恵みも失うのです。信仰義認と律法義認は全く違います。

3、愛(ギ語アガペー)の実践を伴う信仰:​愛には4通りあります。エロス(男女の愛)、フィリア(友情)、ストルゲー(親子愛)、アガペー(無償の愛)があります。パウロは「愛せよ(ギ語アガぺセイス)5:14と言います。

2016.08.07
「主は我らの救い」エレミヤ書33章14~16節

8月第一聖日は​「青年日月間」​としての聖書箇所を選び、​「平和月間」​としては28日の礼拝で語る予定です。本日は旧約の預言者エレミヤを取り上げました。エレミヤはイザヤ、エゼキエルと並んで代表的な預言者です。30年間も預言活動をし、国や人々に希望と慰めを与えました。


1、絶望から希望への間奏曲:​ダビデ王・ソロモン王の時代は、イスラエルは空前の繁栄を築いたのです。しかしソロモン王の後継者争いから、南北に分裂します。エレミヤは南王国滅亡の前後に、預言者として活躍した人物です。


2、バビロン捕囚:​エレミヤの預言通りに北イスラエルも南ユダも滅びます。王や人々がエレミヤの勧告をきかず、神の御心を第一としなかったのです。それでも彼は「国の救いと復興」を語ります。


3、エルサレムの回復:​木々が切り倒された時代から、その株から若枝(へ語ネツァール)が生え出て、育ち、その上に主の霊がとどまるのです。ギリシャ語「ナザレト」と呼ばれ、新約のキリストを指すのです。私たちも見習う(へ語ミメオマイ)、模範(テューポス)とするのです。

7月

2016.07.31
「自由な女から生まれた子」ガラテヤ書4章21~27節
説教:鈴木龍生師

  本​日はパウロが旧約聖書を引用して、ガラテヤ人並びに私たちに対する教えを、遠大な歴史の出来事を例に迫るのです。​


1、律法(へ語トーラー)の問題:  ​
 律法主義者の主張する律法すら守らないで、パウロを批判する人々に厳しく問いかけるのです。「あなた方は律法の恵みからも締め出されているのです。」と言う。


2、旧約聖書による反証: ​
 創世記16:15(ハガルからイシュマエル誕生)と21:1~5(サラからイサク誕生)を対照的に引用している。女奴隷ハガルとアブラハムの正妻サラをめぐる出来事である。3章6節以下でアブラハムの子孫の問題が取り扱われ、キリスト者こそアブラハムの子孫であると強調された。


3、2人の子の出生の原点:

女奴隷のハガルの子イシュマエルは肉から生まれ、自由の女サラからのイサクは神の約束によって生まれたのです。これらは現在の私たちに対する「予型」(へ語テュポス)です。「自由」(へ語エリューセラ)は、今のエルサレムの原型です。私たちは自由な女サラの子どもたちと表現されます。私たちも御霊によって新しいキリスト者を生む母とならなければならない。

2016.07.24
「あわれみの福音」ルカによる福音書15章1~32節
説教:鈴木龍生師






   憐みの福音

「私はあわれみは好むが、いけにえは好まない。」とはどういう意味か、行って学んできなさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。マタイ9:13

いけにえは人から自己を区別するが、あわれみは人との交わりを創造します。

憐みの福音と呼ばれるルカ15章には、神のあわれみに関するたとえ話が三つ、すなわち「見失った羊」と「なくした銀貨」と「放蕩息子」があります。

①見失った羊 5~6
羊は、罪人たちの姿そのものであり、見つけ出すまで捜し歩く羊飼いは主イエスの姿を映し出しています。

②無くした銀貨 9
銀貨は女にとっては、大切なもので、夜になっても見つかるまで粘り強く探すことも示しています。

③放蕩息子 32
神はそのあわれみによって、私たちの罪を赦し、私たちが御父のもとに戻って住むことができるように助けてくださいます。

2016.07.17
「産みの苦しみを経験する」ガラテヤ書4章19~20節


   パウロの心境が伝わる内容です。経験豊かな伝道者、牧師のパウロでさえ、途方に暮れる諸問題が山積みされているのです。成熟したクリスチャンになり、牧師を悩ませないようにしましょう。


1、わたしの子ども(ギ語テクノン)たち:
 パウロの特別な愛慕の思いを知る。彼らの父としての特別な親愛の情が感じられる呼びかけです。宣教を通して手塩にかけて育てた信徒たちや、労苦を共にした協力者すべてを含む人々と、自分を表す言葉として「わたしの子どもたちよ」と呼びかけるのです。


2、産みの苦しみ(ギ語ヒィール)をしている:

多くの異なる教えに惑わされている教会や信徒を見て、パウロはもう一度産み直したとさえ思うのです。母親の陣痛に苦しむ(ギ語オーディネイン)思いであると言う。しっかりとキリストが信徒の内に形づくられる(ギ語モルフォウ)まで、苦しみ続けている。ガラテヤ2:20が確信を持って告白出来る事を願う。

新しいクリスチャンを産み出す事が迫られた願いです。


3、パウロの願い:
① 今すぐに自分がガラテヤに行き、親しく交わり(ギ語コイノニア)たい。
② 今までと違い、親しく打ち解けて話し合いたい。

実際にパウロは途方にくれて(ギ語アポリア)いたのです。それは生まれわっ

たはずのクリスチャンが、何故に律法や異なる教えに惑わされて行くのかがわからないと言うのです。本音で話し合いたいと願うのです。

2016.07.10
「善意からの熱心さ」ガラテヤ書4章16~18節

   ガラテヤ教会の人々は、パウロを神の御使いのように迎えたのですが、しばらくして最初の良い関係が崩れてしまい悪化してしまったのです。その原因を探り私たちの働きの参考にしたい。

①パウロが真理(ギ語アレーティア、へ語エメス)を語ったこと:

 パウロは真面目に福音(ギ語エウアンゲリオン)の真理を語ったのです。彼は語らないではおられなかったのです。それはガラテヤ諸教会をかき乱す人々がいて、パウロやキリストの教えから離れる信徒が続出したからです。

②利己的熱心さ(ギ語プロテューモス)に引きづり込もうとする勢力 :

 間違った熱心さは危険です。それは真の福音から締め出す(ギ語エククレイオー)ことになるのです。教会は時として篤く燃えます。真の御霊の導きであればすばらしいのですが、人間的、分派的であれば危険です。

③善意(ギ語エウドキア)からの熱心さ:​

 パウロが言うのは同じガラテヤ5:22にある御霊の9つの実の6番目の善意です。善意の反対は偽善(ギ語ヒポクリシス)です。教会やクリスチャンは見せかけではいけないのです。「良いことで慕われるのは感謝です」とパウロは言うのです。真実、感謝、愛の交わりが真実に広がるとリバイバルが起こります。祈りましょう。

2016.07.03
「神の使いとして受け入れた」ガラテヤ書4章12~14節

  いよいよ7月に入りました。2月28日の礼拝まで「ガラテヤの手紙」を連続講解説教していましたが、教会暦等が多く入り、しばらく途絶えていました。本日から5ケ月振りにガラテヤの手紙に戻ります。


①パウロの勧告、願い(ギ語デオマイ):パウロはガラテヤの信徒に次のように訴えています。「わたしがイエス様を見習 (ギ語トュポス)ったように、あなたがたも私にならってほしい」と言うのです。パウロはユダヤ人でありながら、律法遵守や割礼が救いの条件とすることを放棄し、異邦人のようになったことを指しています。


②ガラテヤ教会(信徒)の受け入れに感謝:パウロは病になり困難をきわめていたのです。彼の第二の伝道旅行の最中に、小アジアの風土病のマラリア熱に侵されたのです。その副作用でしばしば発作現象が起こり、大変苦しみ試練となったのです。


③パウロを神の使いのように受け入れたガラテヤ教会のすばらしさ:一般的にはこのような病を持つ人は蔑まれたのです。悪霊に取り憑かれたものとして、蔑まれたのです。しかしガラテヤ教会の人々はパウロを、神からの使い、使徒として手厚く迎えたのです。パウロが弱さもすべてをありのままにさらけ出して奉仕している姿に感銘を受けたのです。

6月

2016.06.26
「教会の回復」イザヤ書49章9~13節

 6月最後の礼拝です。今朝はイザヤ書を取り上げました。イエス様が誕生なさる750年前にイザヤが「神の都シオンの回復」を預言した所です。現在にもそのまま期待されている「神の回復、教会のリバイバル」につながる所です。

①捕囚(へ語サーバーㇵ)からの回復(へ語シューブ):
 イスラエル人は古くはエジプトに、そしてバビロンにと捕囚民となり、紀元後(AD70年)にはエルサレム滅亡(ローマ軍により)と
次々と苦しみを受けました。イザヤはすべてを見ているように回復預言をするのです。神の都シオンの回復は歴史を通しての、全世界の神の民の希望です。

②イザヤ49章の回復内容:
 荒地が牧草地になり、山に道を開き、人々が遠くから、近くから、四方から集まる。世界に離散した民(ディアスボラ)が、喜び歌い、喜び踊りて帰還する。神はそれらの民を慰め(へ語ナーハム、ギ語パラカレオー)、憐れんで(へ語ラハミーム、ギ語エレオス)くださる。

③教会の回復への願い:
 今、キリスト教会は低調で、弱り果てています。何故でしょうか。神は私たちに「めざめよ、めざめよ」と呼びかけられます。へブル語で「ウーリー、ウーリー」と言い、「目覚める、覚醒する、奮い立つ」を意味します。「ウール」はイザヤ書の特愛用語で18回も出てきます。イスラエル人が2000年間も待ち続けているように、私たちも教会のリバイバルのために祈り、待ち望みましょう。

2016.06.19
「父の諭しを守れ」箴言4章10~19節

 本日は「父の日礼拝」です。5月の「母の日」に遅れての父の日です。祝福を祈りながら、その意味と箴言から「父の諭し(へ語アーヴ・ヤーレー)」を学びたいと思います。


Ⅰ.父の日の由来:
 1909年(今から約107年前)に、アメリカのワシントン州に住むジョン・ブルース・ドッド夫人が、「母の日」があるように「父の日」を作ってほしいと教会に嘆願したのが始まりです。男手一つで6人の子供を育て、世を去った父の苦労を思い、尊敬していた子供のドッドさんは父に感謝する日を提唱したのです。7年後に「父の日」は全米に認知され、1972年にドッド夫人の父の誕生日の6月第3日曜日が「父の日、国民の祝日」になったのです。


Ⅱ.わが子(へ語エレド)よ、聞け(シャマー):
 このところは「父の諭し」の箇所です。当時、家長であった父は、この箴言にあるように7章まで多くの諭し、教えをわが子にしたのです。今朝の箇所のまとめは①知恵の道(へ語ホクマー・デレフ)、②義人の道(ツェデク・デレフ)です。父は子に神に従い、道徳的にも、実際的にも真っすぐな正しい生活をしてほしいと願い、神の知恵によっていよいよ成長し、輝く人生の祝福を得てほしいと願うのです。


Ⅲ.父と母を敬う:出エジプト記20:12、申命記5:16とあります。これを使徒パウロは「約束を伴う最初の掟」と呼んでいます。見習いましょう。

2016.06.12
「神の庭に花々が茂る」詩篇92篇13~16節

 本日の礼拝は「花の日、子供の日」礼拝です。それで詩編92編を選ばせていただきました。この92編は、91編で主が自分の住まいとした者の日々の具体的な生活がいかなるものであるか、その祝福を歌っています。正しい者とは、神を信じ、救われ、イエス様に従い、生涯を送る者のことです。神の大庭に植えられた者と呼ばれ、大いなる祝福が注がれるのです。「讃美の歌、安息日のさんび」と言われる。


1、神の大庭で芽生える:神に従う人(義人:ギ語ホ・ディカイオス)の生きざまをなつめやレバノンの香柏の青々と生い茂る姿にたとえている。花咲く、芽生える、育つ、栄える(へ語バーラフ)と色々な原語的意味があります。


2、白髪になっても実を結ぶ:神に従う人は、「なつめやし」のように、神に守られて豊かな実を結ぶ。また「レバノン杉」のように、スクスクとよく育ち、優れた木材のように大切に扱われる。①命に溢れ、生き生きと成長し、②神に繋がり生きる、③神を証しする使命、喜び:若木であろうと老木あろうと、神の大庭では実を結び、みずみずしく生い茂り、豊かに成長していく。 


3、 神を信じ、神に従う者への期待:量的、質的、霊的な成長を神は求めておられます。木の寿命は長いです。たとえば桜の木だと200~300年、杉は1000年~1600年という長さです。 私たちは最後まで成長を求められます。神の祝福を生涯、証しするものとされたいと願います。

2016.06.05
「陶工の手中にある私たち」詩篇92篇1~6

 6月に入りました。​「ナザレン謝恩月間」​で、それに関係したメッセージとの教団からの要請で、エレミヤ書を選びました。陶工である神様と粘土である私たちの関係、どのように作るかは神様の御手の中にあります。

①神の選ばれた預言者エレミヤ(彼は主に高められる):
ヨ シヤ王の13年(紀元前626年)に預言者としての召命を受け、5代の王に仕えるのです。その生涯は波乱万丈に富んだものとされる。混乱した時代の中で毅然と神の御言葉によって預言し、国の平安を願うのですが、幾多の反発を受けるのです。彼が「涙の預言者」と称せられるのは、それらから来ているのでしょう。

②陶工の家に行けと命じられたエレミヤ:
 18章は神とイスラエルの関係を「陶器師(へ語ヨーツェール)と粘土(ハホーメール)」にたとえています。陶器師の仕事を見ながら、神がイスラエルの民になそうとすることを見せられ、彼の使命を再確認するのです。

③私たちも神の作品です: 
イスラエルの家が神の御手の中にあるように、私たちも卑しい器ですが、作り直し仕上げ、キリストの似姿に変えてくださるのです。神の手によって名品になるのです。ハレルヤ!

5月

2016.05.29
「賜物として聖霊を受ける」使徒言行録2章36~38節

 ぺンテコステ礼拝が終わり、いよいよ初代教会の誕生、働きが急ピッチで進められます。まさにドラマチックな展開です。きっと神様の力が働くとこのような宣教、教会が拡大するのでしょう。私たちも期待して宣教に励みましょう。

1、神がイエスを主(ギ語キュリオス)、メシアとされた:
 ペテロの説教です。「イスラエルよ知れ(聞け、覚えよ)」と力強く宣べ伝えられるのです。へブル語で「シェマー・イスラエル」と言われています。「十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、メシアとされた」と迫るのです。

2、人々は心(ギ語カルディア、へ語レーブ)を打たれる:
「わたしたちはどうしたらいいのですか」と、飢え渇いた思いで、自然に口に出て問いかける。神の御手が働くと自然に人々の心に霊の飢え渇きが起こる。

3、悔い改め(ギ語メタノイアー)、洗礼(バプテスマ)お受けること: 
 心からの悔い改め、洗礼を受けた人々には神からの聖霊(ギ語プニュマ・ハギオン)の賜物(ギ語カリスマ)が与えられるのです。聖霊は私たちの内側に働き①真理を明らかにし、②試練や困難を乗り越えさせ、③私たちを一つにするのです。教会に真の聖霊の油注ぎが起こり、リバイバルが起こりますようにと切に祈ります。

2016.05.22
「悲しみと喜びと」Ⅱテモテ4章9~22節

9 わたしの所に、急いで早くきてほしい。

10 デマスはこの世を愛し、わたしを捨ててテサロニケに行ってしまい、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマテヤに行った。

11 ただルカだけが、わたしのもとにいる。マルコを連れて、一緒にきなさい。彼はわたしの務のために役に立つから。

12 わたしはテキコをエペソにつかわした。

13 あなたが来るときに、トロアスのカルポの所に残しておいた上着を持ってきてほしい。また書物も、特に、羊皮紙のを持ってきてもらいたい。

14 銅細工人のアレキサンデルが、わたしを大いに苦しめた。主はそのしわざに対して、彼に報いなさるだろう。

15 あなたも、彼を警戒しなさい。彼は、わたしたちの言うことに強く反対したのだから。

16 わたしの第一回の弁明の際には、わたしに味方をする者はひとりもなく、みなわたしを捨てて行った。どうか、彼らが、そのために責められることがないように。

17 しかし、わたしが御言を余すところなく宣べ伝えて、すべての異邦人に聞かせるように、主はわたしを助け、力づけて下さった。そして、わたしは、ししの口から救い出されたのである。

18 主はわたしを、すべての悪のわざから助け出し、天にある御国に救い入れて下さるであろう。栄光が永遠から永遠にわたって主にあるように、アァメン。

19 プリスカとアクラとに、またオネシポロの家に、よろしく伝えてほしい。

20 エラストはコリントにとどまっており、トロピモは病気なので、ミレトに残してきた。

21 冬になる前に、急いできてほしい。ユブロ、プデス、リノス、クラウデヤならびにすべての兄弟たちから、あなたによろしく。

22 主が、あなたの霊と共にいますように。恵みが、あなたがたと共にあるように。


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※今週は、日下部牧師が鳥栖教会のご奉仕のため、

 礼拝では、佐藤彰師のビデオメッセージを視聴しました。

2016.05.15
「聖霊が降る」使徒言行録2章1~4節

本日は3大教会暦の1つで「ペンテコステ(聖霊降臨日)」の礼拝です。現在のキリスト教会が最も望んでいるのは、教会に人々が多く導かれて、宣教が前進し「真のリバイバル」が起こることです。本日のペンテコステの出来事が21世紀に生きる私たちにも体験できる事を切に望みます。 

1、ペンテコステとは:ギリシャ語で「第50番目(の日)」を意味する「ペンテーコステー(へーメラ)」に由来しています。これはユダヤ教過ぎ越しの祭り(パスカー)の50日後に行われるシャブオットの祭りに比しています。もともとは春に得られる最初の収穫に感謝する農業祭でした。

2、イエス様の約束(ギ語エパンゲリア)の成就:イエスは昇天される時に「近いうちに聖霊が降る」ことを告げられました。その日には不思議な現象が起ったのです。いずれの現象も神の業、臨在をあらわすものでした。風、炎、舌、言葉・・・。それぞれの地から集まった「ディアスボラ(離散民)」には、それぞれの国の言葉が分かったのです。

3、初代教会誕生の記念日:心を合わせて多くの人々が願い、祈った群れに聖霊が降り、教会が誕生したのです。あの使徒言行録1:8節のみ言葉が実現したのです。本日の箇所は驚くべき現象です。創世記で人間に神の息が吹き入れられたのと同じように、私たちに聖霊の息が再び吹き入れられた、リバイバルが起きたのです。リバイバルのために祈りましょう。

2016.05.08
「ハンナの祈り」サムエル記上1章9~11節

本日は「母の日合同礼拝」です。母の日は毎年来ますが、その由来についてと、聖書に出てくる代表的なお母さんの信仰について学んでいきたいと思います。またそのお母さま方を送ってくださった神様に感謝しましょう。

1、母の日の起源について:
  1905年5月9日、アメリカのフィラデルフィアに住むアンナ・ジャービスが、敬愛していたお母さんが亡くなり、その後、何とか母を敬う機会を設けたいと働きかけて、その働きが全米に広がり、1914年に当時の大統領のウイルソンが5月第2日曜日を「母の日」として制定し、国民の祝日となったのです。

2、サムエルの母のハンナの祈り:                          
 歴史を変えてた言われるあの預言者サムエルの母ハンナの祈りについて学びたいと思います。ハンナの祈りが国を救ったとも言う人がいるぐらいです。ハンナ(恵み、優美)は不妊のために苦しみました。彼女の心は痛み、激しく主に祈ったとあります。ハンナの祈りは虹のような7つの面を持ったものだと言われました。サムエルは神に聞かれたとの意味があります。

3、信仰の子サムエル(神が答えられた):
 先見者と呼ばれ、士師時代から王国時代に時の預言者、国の指導者、国を立て直し、神に向かわせててダビデを王と任命し、イスラエルを長く繁栄の基を作った神の人です。

2016.05.01
「聖霊を待ち望む」使徒言行録1章8~11節

復活節(40日間)も後半に入りました。本日はイエス様が昇天される姿を使徒言行録から見たいと思います。昇天前に弟子たちとの問答がありました。

1、聖霊降臨(ペンテコステ)の約束:先週も学びましたが、40日間にわたり弟子や多くの人々に復活の姿を見せられました。でもせっかく喜んだ弟子たちですが、いきなりイエスは昇天されるのです。でもその前に素晴らしい約束をされたのです。イエスの身代わりの霊・聖霊(ギ語パラクレートス)が降るというものです。そして力(デユナミス:爆発的な神の力)が与えられられるのです。

2、キリストの証人(ギ語マルテーリァ)となる:その働きは全世界に渡るという壮大なものでした。地の果てまでと言われています。今世界ナザレン教会は世界中の約150ケ国に宣教師を送っています。

3、昇天(ギ語アナレープシス)と再臨(ギ語パルーシア):聖書では「来臨」とも訳されています。東京では今も「再臨待望聖会」というものが続けられています。「4重の福音」の4番目のものです。十字架、復活、昇天によって神の右に座し、神と共に万物を支配しておられるキリストが、再びこの世に来られるのです。天使が言うように私たちは失望しないで、イエスを待望したいものです。

4月

2016.04.24
「天に帰えられたイエス」ルカによる福音書24章50~53節

復活節の中で多くの人々にイエス様はそのお体を見せられ、昇天されました。十字架と復活と昇天はつながりがあります。本日はそのイエスの昇天に焦点を合わせたいと思います。

1、べタニアでのイエスの祝福:懐かしいべタニア((いちじくの家、悩みの家、貧困の家)に弟子たちを連れて行き、手を上げて祝福(ギ語ユーロギア、へ語バーラク))された。ベタニアはイエスの南の本拠地です。ラザロがイエスによってよみがえりをあたえられた場所でもあるのです。

2、イエスの昇天(ギ語アナレープシス):40日間にわたり多くの人々に顕現されたイエスは、最後に弟子たちの前で天(ギ語ウラノス、へ語サーマイム)に引き上げられたのです。弟子は悲しんだでしょうか。愛する先生が視界から消えるのです。ある説教者が「別れなき別れ」と言いました。深い意味です。

3、弟子たちの姿:感謝と喜び、賛美、告白(ギ語ユーロゲオー)し続けたのです。昇天が彼らに力を与え、宣教に駆り立たせたのです。神殿で礼拝し、宣教に出て行くのです。イエスは身代わりの霊である御霊(ギ語パラクレートス)を与えたのです。「励まし、助け、支え、慰め、力を与え・・・」の霊です。

2016.04.10
「心の目が開かれたイエス」ルカによる福音書24章45~49節

復活節の中ですが、イエス様が弟子たちの中に現れたところです。まだ目が少しさえぎられて(ギ語クラテオー)いる弟子たちに対して決定的にされたことが今朝のテキストです。イエスは3つのことをされた。

1、彼らの目を開かれた(ギ語ディアノイゴー):その目的は大切な聖書を悟らせる(ギ語スュニエーミ)ためであった。それは旧約預言のイザヤ53:4に、彼は苦しみ(ギ語パソス)を受け、11節の彼らの罪(ギ語ハマルティア)を自ら負った事を示します。

2、十字架と復活と罪の赦し(ギ語アフェィシス):何人の人が毎日のあわただしい実生活の中で、心を開いて受け留めているでしょうか。また罪の赦しを得させる悔い改め(ギ語メタノイア、へ語シュブー)ているでしょうか。

3、福音宣教(ギ語ユアンゲリゾマイ ケリユソー)の証人(ギ語マルチュウリア)となる:私たち自身がこの福音を体験して、感動し、動かされる者でなければ伝わらないのです。真に心で福音を知り、聖霊をいただき「福音の証人」にならさせていただきましょう。

2016.04.03
「弟子たちに現れたイエス」ルカによる福音書24章36~43節

復活のイエス様は泣いていたマリアにご自身を現し、固く閉じられた家の中に集まっていた弟子たちの中に現れ、彼らが復活、そしてそのイエス様を信じるように導かれました。

1、イエスの方から来て、臨在された:この日の夕方、イエスが弟子(ギ語マテーテース)たちの真中に立たれた。イエスの方から来て(ギ語エルコーマイ)、臨在(ギ語パルーシア)してくださったのです。さらに「あなた方に平和(へ語シャローム、ギ語エイレネー)があるように」と言われた。

2、弟子たちの姿:①恐れおののいた(ギ語フォニュオー)。 ②亡霊、幽霊、幻影(ギ語ファンタスマ)と思った。イエスの言葉①なぜうろたえるのか(ギ語タラッソウ)、②心に疑い(ギ語エディスタサン)をおこすのか。

3、彼らの喜び:イエスの穴のあいた手と足を見て、やっと主だと分かった。喜んだけれども半信半疑であった。食事をされた姿を見て完全に信じた。

平成27年度・下半期

2015年10月~2016年3月

3月

2016.03.27 (イースター礼拝)
「イエスの復活」ヨハネによる福音書20章11~16節

本日は「イースター(主の復活日)」です。主イエス・キリストは先週の金曜日十字架に付けられ、息をひきとられ墓に葬られました。しかし3日目の朝(日曜日)早く復活し、人々にその復活の姿を見せられたのです。イースターは教会、クリスチャンにとって最も祝福されたときです。

1、マグダラのマリアに顕現:誰よりも先にお墓に行くマリアたちであった。墓が空であったことに遭遇する。彼女は泣きだし(ギ語クレオー:驚きと悲しみで泣く)、泣き続けていた。2人の天使がイエスが安置されていた頭と足の近くに白い衣を着て、座っているのが見えた。天使は「女よ、なぜ泣いて泣いているのか」と言った。

2、復活のイエスが声を掛けられる:「女よ、なで泣いているのですか。誰を捜しているのですか」と。彼女はその方が園の園丁(ギ語ケープーロス)だと思い、「あの方をどこへ運んだのですか。教えてください。わたしが引き取りに行きます」と言いました。「マリアよ」とイエスが二度目に声を掛けられたときに「ラボニー」と彼女は言った。

3、復活の恵み:復活(ギ語アナスタシスまたはエゲルシス)は、わたしたちにとって最大の恵みであり、希望です。イエスはつぎのように言われました。「わたしは復活であり、命である・・・」(ヨハネ11:25)。復活信仰にしっかりと立ちましょう。

2016.03.20
「すべてが成し遂げられた」ヨハネによる福音書19章28~30節

受難週(パッションウイーク)に入りました。本日は「棕櫚の聖日(パームサンデー)」です。群集は「ホサナ、ホサナ(主よ、救いたまえ)」と、なつめ、やしの葉を敷いて歓呼してイエス様を迎えました。しかし、いよいよ今週聖金曜日(グッドフライデー)にイエス様は十字架にお掛かりになります。十字架の意味を深く悟りましょう。

1、ゴルゴタの十字架:ゴルゴタとはへブル語で「頭骸骨」と言われ、ラテン語で「カルバリ」と言われています。過ぎ越し(パスカ)の祭りに、全国から多くの人々が神殿に参拝するためにエルサレムに来ている時に、イエスの十字架刑が執行されたのです。

2、イエスの十字架上の最後の言葉:7つの言葉の2つがここに出てきます。1つは「わたしは渇く」です。この渇くとの言葉は、へ語ツァーメーと言われ、詩篇42:2~3で「鹿が涸れた谷で水を慕い求めている姿を表すと言われています。疲労困ぱいしたイエスが最後の声を振り絞り出された叫びです。もう1つは「成し遂げられた」という言葉です。ギ語でテレオーと言います。テテレスタイとも言われています。贖い(ギ語アポルトローシス)の業の成就宣言です。

3、イエス様の呼びかけ:ヨハネ7:37~38のメツセージを私たちは心にしっかりと受肉して、受難週を祈りを持って過ごしましょう。

2016.03.13
「一粒の麦から多くの実を結ぶ」ヨハネによる福音書12章20節~26節

レント(受難節)での聖句です。来週は受難週(パッションウィーク)を迎えます。本日のところはイエスが一般人、ユダヤ人や弟子たちに教えられた最後の教えと言われています。

1、イエスの最後の教え(ギ語ディダケー):​12章は①ナルドの香油(アラバスター容器に入る)の物語、②エルサレム入り、③本日の一粒の麦の死のお話が展開されるのです。過ぎ越しの祭り(パスカ:3大祭りのひとつ)に来たギリシャ人たちが、主を求めてきたのを機会に主が一般に教えられた有名な内容です。イエスご自身の死になぞらえています。

2、一粒の麦(ギ語クリーテ)の実(ギ語カルポス):​当時の地中海世界の必需品として、穀物、酒、油は大切で、自給自足に必需品となっていました。特に小麦は農産物列挙の最初に記されているほど重要な食料でした。11月に蒔かれて翌年5月末に収穫されました。種まきのたとえにありますように、30倍、60倍、100倍に実り収穫されるのです。

3、一粒の麦としての死(十字架の死):​主イエスご自身のことを言われています。このあがないを遂げてくださらなければ、救われる者は一人もなかったでしょう。このわたしに従いなさい。真の命(ギ語ゾーエ)を得るでしょう。

2016.03.06
「聖なるものとして遣わしてください」ヨハネによる福音書17章17節~19節




2月

2016.02.28
「神から知られている私たち」ガラテヤ書4章8~11節

ガラテヤの手紙もしばらくお休みにして、来月から5月末まで教会暦メッセージに入ります。今はレント(受難節)の真中にあります。イエス様のご苦難を覚えましょう。

Ⅰ.ガラテヤの信徒の過去:諸霊(ギ語ストイケイア)の奴隷として仕えて(ギ語ドゥーレウオ―)いたとパウロは言う。それは①ユダヤ教律法主義、②偶像礼拝という2つの異なる神に従属していたのです。真の神を知らなかった時代です。

Ⅱ.真の信仰に入った今:神に知られた(ギ語ギノスコ―)今ですが、これを神の主権的恵みと言います。神を知っているのではなく、神から選ばれ(ギ語エクロゲ―)、救いに入れていただいた信徒なのです。

Ⅲ.パウロの心痛:ガラテヤの人々がこの世の霊(ストイケイア)に逆戻りしてしまう。真のキリスト信仰から脱落してしまう。パウロの今までの労した(ギ語コピアオ―)ことが無駄だったことになる。それだけ諸霊の力、誘惑が強いのです。祈ることしかありません。

2016.02.21
「神の相続人」ガラテヤ書4章8~11節

神の備えてくださった時(ギ語カイロス)が来て、神の子(成人:ギ語アンドロス)として認められた者に、すべてを相続する(ギ語クレロノミア)ように認定されたのです。

①御子の霊(ギ語エクサぺスティレン):「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊を、わたしたちに神が送ってくださつた事実から証明されます。「アッバ」という言葉はアラム語です。イエス様が「ゲッセマネの祈り」や、十字架上での最後に叫ばれた7つの言葉にもあります。父はギ語で「パテール」です。 

②奴隷(ギ語ズーロス)でなく神の子(ギ語セウー・テクノン)です:これは相続人としての資格を持った成年者であることを意味しています。

③相続人の恵み:アブラハムに与えられた約束を受け継ぐ者であり、キリストにある者は、約束の聖霊(ギ語プニューマ・ハギオン)を受けることで、すでに相続しているのです。神の相続人としての恵みが託されているのです。

2016.02.14
「時が満ちて成人となる」ガラテヤ書4章1~5節

本日よりガラテヤの手紙の4章に入ります。前回の礼拝での「私たちは相続(ギ語クレーロノミヤ)人である」を受けて4章に入りました。パウロは私たちに成熟した信仰者になるようにと勧告しています。改めて自分の信仰をここで点検して見ましょう。

1、未成年(ギ語ネ―ピオス)と僕(しもべ:ギ語ドゥーロス:この理解は当時のギリシャ、ローマ時代の社会的習慣を知らなければなりません。家長(父)の定めた日まで、子も奴隷もその管理下にあります。実に私たちも幼児であった時はこの世の幼稚な教え、また諸霊(ギ語ストイケイア)に仕えさせられていたのです。

2、時が満ちる(時の充満:プレーローマ・トウー・クロヌー):父が定めた日が来る(ギ語エルケスタイ)のです。その時に父なる神は御子をお遣わしになったのです。

3、神の子(セウー・ヒュイオス)とする:神は律法(ト―ラ)下の者を贖い(ギ語アポリュトローシス)出してくださったのです。その恵みで今あるのです。

2016.02.7
「キリストに結ばれた神の子です」ガラテヤ3章26~29節

いよいよ2月です。昨年10月以来のガラテヤ信徒の手紙に戻ります。連続講解説教です。それだけ教会暦(順教会暦含む)が重要であったのです。

①キリスト・イエスに結ばれた(ギ語ディア)神の子(ギ語ヒュイオイ・テウー):キリストにある信仰(ギ語ピスティス)がなければ「神の子」と呼ばれません。洗礼(ギ語バプテスマ)を受けてキリストに結ばれた者は、キリストを着る(ギ語エンディオ―)とされる。

②キリストにあって一つ(ギ語へイス):信徒はキリストにあって一つであることが奨励される。人種も民族も健常者もハンデキャップを持っ人も、何ら区別も差別もないのです。

③アブラハムの子孫(ギ語スぺルマ):私たちは神の約束(ギ語エパゲリア)による相続人(ギ語クレロノモ)です。アブラハムは「信仰の父」と言われ、その祝福は世々万国の民に及ぶと神は約束されました。

1月

2016.01.31
「愛にどどまる人は、神の内にとどまる」Ⅰヨハネ4章15~17節

本日はキリスト教信仰の基本的な点を学びます。以外と「分かっていて分からないキリスト教」になっていないでしょうか。しっかりと受け止めていただきたいと思います。キリスト教3大憲章(マグナカルタ)①十戒、②使徒信条、③主の祈りとあり、大切に世々の人々に守られて来ました。

1.信仰告白(ラテン語でクレド―我信ず):イエスが神の子である。ギ語で「テウ―・ヒュイオス」と言います。告白(ギ語ホモロゲオウ)で、「口でイエスは主であると公に言い表し(ギ語ホモロゲオ―)~」(ローマ10:9~10)とパウロが言っています。使徒信条の最初にあります。

2.神の内にとどまる(ギ語メノ―):真の告白者には神がその人の内にとどまり、その人も神の内にとどまるのです。相互内住と言われます。

3.神は愛です(アガペー):相互愛が展開されています。神の愛がわたしたちの内に全う(ギ語テレオウ)されるのです。小キリストにならせていただけるのです。

2016.01.17
「神の賜物を再び燃え立たせなさい」Ⅱテモテ1章6~9節

本日はあのパウロが弟子のテモテに送った励ましの手紙です。ローマからの獄中からの書間と言われ、いよいよ殉教の死が近い中で書かれた最後の書間です。牧会書間とも言われています。私たちのも参考になります。
テモテと手紙の背景:テモテ(名前の由来:神の誉れ)は、クリスチャンホームの3代目で、パウロに「わたしの愛する子」と言われ、愛情をかけられた弟子です。昼夜彼を思い祈り続けるのです。召命の自覚、宣教への情熱を訴えるのです。

テモテへの具体的な勧め:

①神の賜物(ギ語カリスマ)を再び燃えたたせる(ギ語アナゾプレオー)。

②臆する(臆病:ギ語デイリアス)霊でなく、聖霊からくる力(ギ語デイナミス)と愛(アガペー)と思慮分別(ギ語フローネーシス)の霊の再確認をせよ。

③証し(ギ語アポルトローシス)することや主の囚人であることを恥(ギ語アイスクネ―)ない。
福音宣教の励まし:神に聖なる招きで召された者は、神からの使命が与えられ、それは恵みなのです。

今年も宣教に励んで行きましょう。

2016.01.10
「若者は幻を見、老人は夢を見る」使徒言行録2章17~21節

新年の祝福をお祈りいたします。新年も神の御言葉にしっかり立ち、祈りを篤くして行きたいと願っています。新年にあたり若者も老人も皆「幻と夢」を頂き、リバイバルの実現のために伝道に励み、前進いたしましょう。

1、 今は週末の時(ギ語カイロス):皆さんは「今(ギ語ニューン)の時」をどのように捉えておられますか。聖書ではキリストの終末(ギ語エスカトン)預言のように、終わりのしるし(ギ語セ―メオン)が多く見られる時に入りました。

2、 希望の福音:ペテロはペンテコステの時に、旧約のヨエル3:1~5を引用して、会衆に「神は夢(ギ語オナル、へ語へレム)や幻(ギ語ホラシス、へ語ハ―ゾン)を聖霊によって見せていただき、実現してくださる」と語るのです。だから神の御心を切に願い、大胆に求めていくことが大切とメッセージする。

3、 新年の備え:先ず自分を吟味(ギ語バスーノ―:深く掘り下げる)(Ⅱコリント13:5)し、それから神からのすばらしい夢と幻を持たせていただきましょう。

2016.01.03
「万事が益となるように共に働いて・・・」ローマ8章28節

新年の祝福をお祈り申し上げます。本日は新年礼拝です。新しい教会標語が与えられ、これからの1年間の目標とします。祈りも持って前進して行きましょう。
新しいと言うこと:ギ語でカイノスと言います。聖書の最初の書間は「創世記」です。冒頭に『初めに・・・』とあります。古代ギリシャ語で「初めに:エン・アルケ―」と言います。この礼拝は新年最初の礼拝です。

1、ローマ書の背景:パウロの第3次伝道旅行が終わる頃で、AD(紀元)57年頃にコリント滞在中に書かれた。内容は「神の義(ギ語:ディカイシュネ―・セウ―)」を示し、イエス・キリストの死と復活を通して、罪を犯した人間が十字架で救われ、神との関係正しくされるという神の恵みが中心です。

2、キリスト者としての存在:①神を愛する(ギ語:アガパオ―)者たち。②召された(ギ語:カレオ―)者たち。③義(ギ語:ディカイオスネ―)とされた者たち。

3、万事を益(ギ語:アガトス)とする神:何と幸いな事でしょうか。神が私たちと共に働いてくださるのです。

12月

2015.12.27
「すべての恵みに感謝」詩篇103篇1~2

いよいよ今年最後の礼拝です。選びました詩篇103編は年末にふさわしい感謝の詩篇です。有名な聖書学者のヴァイザーは、詩篇103編を「最もうるわしいもの、聖書の中に咲いた1つの花」と称しています。

1、 主をたたえる(ギ語カ―べ―ド、へ語ドクサゾー):私たちは年末にあたり、1年間を守り導いてくださった主に先ず感謝(ギ語ユウカリスチア、へ語とトーダ―)し、心の内から主をたたえ(崇める)たいと思います。

2、 礼拝(ギ語ラトレイアー)にあたる心の整え:ダビデは礼拝にあたり、自分の心を整えました。神から受けた恩恵(ギ語カリス、へ語カンナー、へーン)を思い起こし、悔い改めの心を持ち神殿礼拝に出たのです。

3、 主の御計らい(へ語ゲムール)を思う:年末にあたり、主がなしてくださった御計らいを、何一つ忘れてはならない(へ語シャ―カハ・アル)と述べられています。逆に言うなれば、しっかり心に留めよとのことです。

2015.12.20
「真のクリスマス礼拝」マタイ2章9~12

クリスマス(主イエスの御降誕日)の祝福をお祝いいたします。旧約聖書で預言され、人々に待望されていた救い主(メシア)が、今日誕生されたのです。先週に引き続き誕生告知が博士たちにあったこと、そして彼らが何よりも御子礼拝を最優先にしたことを学びます。

1、 御子に会える喜び:長い困難な旅、そしてヘロデ王の計略を苦にしないで、終始変わらない星(ギ語アステール)に導かれて、御言葉に勇気づけられて御子のいる家に入ることができたのです。

2、 幼子イエスへの礼拝:①飢え乾いた心でイエスに会う。②イエスの前にひれ伏す(ギ語プロスキュオ―)。最上の物を献げる。何とすばらしい博士たちの礼拝の姿でしょう。私たちも見習いたいと思います。

3、 新生した博士たちの姿勢:聖霊(夢の御告げ)に素直に従った。ヘロデ(この世の権力の象徴)の所には戻らなかった。救われた者には新しい生き方があるのです。クリスマスはそんな新しい旅立ちです。感謝。

2015.12.15
「博士たちの来訪」マタイ2章1~7節

いよいよ1週間後にクリスマス礼拝を迎えます。本日はその良い知らせ(エヴァンゲリオン:福音)が、遠い東の国の博士達に知らされて、来訪、礼拝奉献という出来事が起こる。

Ⅰ、博士達とは:時はヘロデ大王の時代でした。東方の国(中央アジアのペルシャ、バビロン地方)の博士(マゴス、マギと呼ばれていた)達に御子誕生が告知されたのです。、天文学(占星術)に長けていた博士達はメシア待望については知識を持ち、そのしるしとしての赤星に導かれて旅をする。

Ⅱ、ユダヤの王ヘロデの宮殿に表敬訪問した博士達:彼らのもたらしたニュースに王も市民もエルサレム中が恐れ、戸惑ったのです。特に王は自分の身が危ないことを悟るのです。その御子誕生地がベツレヘムと判明。

Ⅲ、博士達の訪問と御子礼拝:彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開け、最上の献げものをした。黄金、乳香、没薬は真の王、大祭司、十字架の犠牲の死を予表した献げ物であった。

2015.12.06
「ヨセフへのみ告げ」マタイ1章18~24節

本日のアドベント(待降節)第2聖日メッセージは、日頃スポットライトを当てられないヨセフを通して語ります。ヨセフの信仰について学びます。

1、 ヨセフについて:マリア(高められた人、高貴)の夫となる人で、ヨセフとは「主が恵みを増し加えたもう」との意味があります。ダビデ家の子孫で、本籍はベツレヘムですが、大工職人としてナザレに住んでいました。「正しい人(ギ語ディカイオス:敬虔な、神を畏れる人)」でした。

2、 ヨセフの決心:悩み苦しむが、マリアを守るために離婚を決断するのです。しかし神は天使を用いて夢顕現されて「恐れず妻マリアを迎えなさい」と言われたのです。ヨセフの不安は完全に除去される。

3、 神の御子の誕生:①「イエス」と名付(ギ語カレセイス)けよ。この名前は「ヤハウェは救い(ギ語ソーセイ)である」との意味です。②「インマヌエル」と呼ばれる。これはイムマ―(共に)、ヌー(我々)、エル(神)のヘブル語です。幸いなイエス様の誕生です。

11月

2015.11.29
「喜ばしい知らせを伝える」ルカ1章10~17節

いよいよ本日から「アドベント(待降節)」に入り、クリスマス(主イエス・キリストの誕生)に備えます。本年もすばらしいクリスマスを迎えましょう。

1、 アドベントとは:待降節と言われます。ラテン語(アドベントゥス)からきたもので、「来臨:キリストの到来」の意味です。「救い主よ来てください(ラテン語:マラナタ)と願い、祈り、犠牲を捧げます。

2、 祭司ザカリアを通して御子誕生の備えがされる:ザカリア(ヤハウェは覚えておられたの意味)、妻エリザベツ(わが神は誓い)、その子ヨハネ(ヤハウェはいつくしみ深い)が示される。二人は祭司の家系であり、信仰深く神の前に正しく生きてきた。ただ子供が与えられなかったのです。

3、 神様の御計画:①神殿で香を焚く祭司の役目が、特別にザカリリアに当たったのです。4つの役目の中で最も光栄な奉仕でした。②不妊の女エリザベツに赤ちゃんが与えられるという喜び。その子ヨハネこそが「バプテスマのヨハネであり、イエス様の道備えをする人物です。私たちはこの不思議な神の業を信じたい。

2015.11.22
「労苦の実りにあずかる」ヨハネ4章35~38節

本日は「収穫感謝礼拝」です。その起源と今の伝道の使命について学びたいと思います。

1、 収穫感謝礼拝の起源:1620年9月16日にメイフラワー号に102名のピルグリムファーズ(清教徒)が乗り、信仰の自由を求めてイギリスの地を出発しました。大西洋4400Kmを66日間もかけて航海し、着いた時は冬でした。苛酷な越冬を強いられた結果、半数が寒さと飢餓のために無くなりました。

2、 原住民のワンパノワグ族の助け:彼らの助けによって生き延び、翌年の秋に多くの収穫物を得て、彼らをも招待して収穫物を粗末な祭壇に献げ、感謝の礼拝をしたのです。これが「Thanksgiving Day」の由来です。かれらこそがアメリカ合衆国の祖となったのです。

3、 イエスの霊的な魂の刈り入れの勧め:サマリアの黄金色に実る麦畑を見ながら、弟子たちに教えられました。刈り取りを待つ実を実際に刈り取らなければ、収穫出来ません。そのためにあなた方を遣わすと言われました。伝道とは実際に出掛けて行き、働くことです。

2015.11.15
「子どもの祝福」マルコ10章13~16節

昔からユダヤでは家庭を大切にしていました。特にイエス様は家族を大切にして、働き(大工)をしながら大家族を養われました。この聖書箇所でも家族問題(結婚、離縁等)をファリサイ派の人々と議論し、次に子供問題に入られた。

1、 子供の祝福:一般に軽んじられていた子供(ギ語パイディオン)を、イエス様は何よりも祝福(ギ語ユーロゲオ―、へ語バ―ラフ)されたのです。詩篇127:3「見よ、子らは主からいただく嗣業。胎の実りは報い。」なのです。教会で子供を祝福するのは幸いです。

2、 ユダヤの宗教教育:3歳から父親(へ語ア―ヴ:教師)によって初歩の読み書きの練習が始まる。巡礼祭に神殿への参詣もならわしとなっていた。6~7歳で会堂(シナゴ―ク)で聖書本文を習う。イエス様は12歳で律法学者と対等に議論されたぐらいです。

3、 イエス様の愛:イエス様に子供を祝福していただくために親たちは連れてきた。弟子たちは追い返そうとした。イエスは憤られて(ギ語エ―ガナクテ―セン)て、妨げてはならない(ギ語メ―・コーリュエテ)と言われ、按手(ギ語バプティモス)し祝福された。

2015.11.08
「助けて下さる主」詩篇145篇17~21節
説教:鈴木龍生 師

助けて下さる主  詩篇145:17~21
14節では、 主は倒れようとする人をひとりひとり支え、うずくまっている人を起こしてくださいます。
もし、重荷の下で屈し、倒れてしまいそうだと感じるならば、助けを求めて神に向かおう。
神は、あなたを持ち上げてあなたの重荷を負う準備をしておられます。

①主を呼ぶ人  18
主を呼び求める者の近くにおられる。
例、神、イスラエルの叫びを聞く(エジプト2:23~25)。

②主を畏れる人   19
主はご自分を畏れる者の望みを満たし、その叫びを聞いて、彼らを救われる。
例、サムエル、民を救う(1サムエル7:5~11)。


③主を愛する人 20
主はご自分を愛するすべての者を守られる。
例、獅子の洞窟で守られたダニエル(ダニエル6:19~24)。

2015.11.01
「がんどうがえし」出エジプト記14章5~18節
説教:市橋隆雄 宣教師


市橋隆雄師

10月

2015.10.25
「律法が成就されて義となる」ガラテヤ書3章23~25節

律法(旧約)とキリストの救い(新約)の時間的な変遷のなかで、パウロは律法がキリストのもとへ導く養育係となったと言うのです。

1、律法(へ語ト―ラ―)の位置づけ:キリストの救いが来るまでは、監督(ギ語エピスコポー:監視)の役目、養育係(ギ語パイダゴ―ゴス)をしていたとパウロは言うのです。

2、人は救い(ギ語ソーテ―リヤ)の時(ギ語カイロス)が来るまで閉じ込められて(ギ語タ―タラス)いた:
具体的には、信仰(ギ語ピスティス)が啓示(ギ語アポカルピス)されるようになる時まででした。

3、信仰によって義とされる(ディカイオ―):キリストの十字架によつて真の救い(信仰)が実現(成就:ギ語テレイオーシス)したので、わたしたちはもはや律法(養育係)のもとにはいないのです。ある説教者は,律法を「キリストに至るまでの養育係」と訳し、パウロは「律法を呪い」と言うほど厳しく捉えています。

2015.10.18
「神の約束は信仰によってのみ与えられる」ガラテヤ書3章21~22節

キリスト信仰(真の救い)以前の律法の役割についてパウロは述べています。神様の御心はアブラハムから主イエスの時代まで少しも変わりませんでした。そして私たちの2000年代の今も変わりは有りません。なおやがてイエスが来臨される時までも同じです。

1、 律法(へ語ト―ラ―、ギ語ノモス)と神の約束(ギ語エパンゲリア)について:パウロは私たちに問いかけるのです。「律法は神の約束に反するものでしょうか?」
「断じてそうではない(ギ語メ―・ゲノイト)」と言います。2つは同じレベルで討議するものでは無いと言います。だから対立や否定概念ではないのです。

2、 聖書(旧約律法)が人を罪(へ語ハッタ―)の下に閉じ込めた:律法は真の救いであるキリストのもとへ導く養育係であったのです。

3、 イエス・キリストによって与えられる救いの約束:先に出たギ語のエパンゲリアは、単なる約束ではなく「一方的恵みによより保証された約束、祝福を意味する」と言われています。

2015.10.11
「救い主はイエス・キリストの名で成就されます」使徒言行録書4章8~12節

本日は「ナザレン日礼拝」です。世界中のナザレン教会の人々と共に、主の礼拝を守れていることは幸いです。

1、 ナザレン教会の起源と精神:18世紀の英国国教会の司祭であったジョン・ウェスレーが設立した「メソジスト教会」に起源をもつのです。彼は信仰復興運動を起こしました。それが19世紀末にアメリカでブリジー博士によりメソジスト運動の発展として第一ナザレン教会が、135名の会員で組織(1895年10月第2主日)されました。

2、 日本のナザレン教会:1915年1月にアメリカから帰国した喜田川広師が郷里の熊本で伝道し、その年のイースターに18名の洗礼者が出て、最初のナザレン教会が組織されました。

3、 ペテロの宣教に学ぶ:逮捕されたペテロたちですが、聖霊に満たされて尋問に堂々と答えたのです。逆にこの機会を利用して証しするのです。「救い(ギ語ソーテーリア)はイエス・キリストの名以外に天下の誰によっても有りません。」

2015.10.04
「神の契約は無効になりません」ガラテヤ書3章15~17節

いよいよ10月に入りました。今朝は神の救いの確かさを、契約、約束、遺言という形で表現している。

1、 人間の約束(ギ語ハイ・エバンゲリアイ)、遺言(ギ語ディアセ―ケー)と神の契約(へ語べリース):ガラテヤの手紙の主題は「人はどのようにしたら神様から救われるか。」です。ルターは信仰によってのみ救われる」と言いました。

2、 アブラハム、その子孫(ギ語スぺルマ)への祝福(べラカ―ハ)の契約:アブラハムから2000年後という長い歴史の血筋からイスラエルの民が生まれ、御心に留められたのです。何と長い契約の成就でしょうか。

3、 神によって結ばれた契約は有効です:アブラハム契約(創22:17)はモーセによって430年後にも果たされて、奴隷の地エジプトから脱出する事が出来たのです。この救いは今もイエス・キリストによって続いてます。またこれからも継続されて行くでしょう。神の契約は永遠の約束で無効にならないのです。

平成27年度・上半期

2015年4月~2015年9月

9月

2015.09.27
「異邦人に及ぶ祝福」ガラテヤ書3章12~14節

ガラテヤの手紙を学んでいますが、この手紙はキリストの福音とユダヤ教の律法との関係という問題に、深く取り上げ、鋭く展開しています。私たちにとっても大事な点が多く見られます。

1、 律法を生活の原理としている人々へ:前に学んできました「信仰義認」との関連から、①「信仰によって生きること」と、②「律法によって生きること」(レビ記18:5)とは両立しません。新約においてはパウロは②はむしろ呪われる(へ語ア―ラ―、ギ語カタラ)とまで言うのです。

2、 キリストの贖い(ギ語アポリュトローシス):律法に束縛されてがんじがらめになっている人々を、キリストは十字架の出来事を通して、贖い出して(ギ語エクサゴラセイン:買い戻す、解放する)下さいました。

3、 異邦人(へ語ゴーイ、ギ語エスノス)への祝福:当時、ユダヤ人(ヘブル人、イスラエル人)以外には救われないと言われていました。選民思想が徹底していました。パウロは異邦人にこそ祝福(へ語バラカ―、ギ語ユウロギア)が及ぶと宣言するのです。ハレルヤ!

2015.09.20
「正しい者は信仰によって生きる」ガラテヤ書3章10~11節

本日は「敬長祝賀礼拝」です。お年寄りの方々を敬い、祝福を祈り、その信仰に見習いたいと思います。

1、 敬老の日とは:以前は9月15日でしたが、今は9月第3月曜日が祝日になりました。法律では「多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」となっています。「としよりの日→老人の日→敬老の日」に変わりました。
2、 聖書の教える敬老の心:有名なレビ記19:32があります。また素晴らしい聖句として、イザヤ46:4「わたしはあなたがたが年老いるまで変わらず白髪になるまで、あなたがたを持ち運ぶ・・・。」ある人が次のように言っていました。「敬老の心は敬神の心」何と幸いな言葉でしょう。

3、 信仰義認(ギ語ディカイオー)の祝福と律法の呪い(ギ語カタラ):パウロは言うのです。「律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないことは明らかです。」ハバクク2:4「義人は信仰によって生きる」を引用して、力強く述べるるのです。

2015.09.13
「信仰による祝福」ガラテヤ書3章7~9節

当時のガラテヤ教会に入り込み、異なる教えを説き、混乱を起こさせた偽教師たちがおり、パウロは本当に義と認められ祝福に与るのはどういう人かを勧告する必要があった。

1、 当時のユダヤ人の理解:血のつながりのある自分たちこそアブラハムの祝福(へ語べラーカー、ギ語エウロギア)を受け継ぐ子孫であると考えていた。それに対してパウロはそうではなくて「信仰(ギ語ピスティス)によって生きる人々こそ、アブラハムの子とわきまえよ」と反論する。

2、 アブラハムへの祝福が、キリストによって異邦人(ギ語エスネー)に及ぶ:なぜアブラハムは神から大いなる祝福を受けたのでしょうか。彼の信仰が義(へ語セデク、ギ語ディカイオスネー)と認められ、受け入れられたのです。(ローマ4:9)

3、 信仰による人々が、信仰の父といわれるアブラハムと共に祝福を受ける:異邦人、そしてすべての人々が受ます。神の祝福は大変に重いものです。

2015.09.06
「福音を聞いて信じた」ガラテヤ書3章3~6節

本日は9月第一聖日礼拝です。ガラテヤの手紙の中心教理、信仰の在り方を学んでいます。3章の中で霊的な信仰、肉的(代表は割礼)信仰が問われています。

①霊によって始めた(ギ語プニューマティ・エンアルコマイ)が、肉によって仕上げた(ギ語サルキ・エピテレオ―)愚かさ(ギ語アノエートス):最初に福音(ギ語ユーアンゲリオン)を聞いて(ギ語アコウオー)信じた(ローマ10:17参照)ものである。

②あれほどの経験(ギ語パスコー)が無駄(ギ語エイケ―)になった:イエスを信じる信仰によって義と認められた(ガラテヤ2:16)というすばらしい経験こそ、なにものにも代えがたいものです。だのに肉的に仕上げようとしている。

③代表的なアブラハムの信仰を提示して問いかけている:創世記15:6で単純な信仰の原点がのべられています。義(ギ語ディカイオスネー)と認められるのは「聞いて信じる(ギ語ピステゥオー」ことです。

8月

2015.08.30
「信仰の明確な根拠」ガラテヤ書3章1~2節

8月最後の聖日礼拝です。ガラテヤの手紙も3章に入ります。3章~5章は「教理的(弁証)教え」と言われています。今日のところはパウロが彼ら(ガラテヤ人)の信仰体験を問い、ガラテヤ人に外側の惑わす人たちの言葉に左右されずに、神の教え、聖霊の導きを受けよと諭すのです。

①ああ物分かりの悪いガラテヤの人たち:ギ語でアノエートス(愚かな、思想のない、理解力、判断力のない)と、パウロは憤慨し、嘆くのです。それはガラテヤ人たちを惑わした(ギ語パスカイノ―:魔法にかける)者たちにも向けられのです。

②福音の本質は明確です:「十字架に架けられたイエス・キリストの救いのみ」をハッキリ示す(ギ語プログラフィー:掲示して公に示す)ことです。律法の行いで救われるのではないのです。

③信仰をもって聞いた(ギ語アコエー・ピスオ―ス):十字架の言葉(福音:ギ語ユウアンゲリオン)を聞いて、言葉(ギ語ロゴス)と共に働く聖霊の力(ギ語プニューマ・ハギオン)によって救われたのです。

2015.08.23
「内住のキリスト」ガラテヤ2章19~21節

本日の聖句は各聖会で最も用いられる所です。信仰の奥義と言われ、多くのクリスチャンが暗唱している聖句です。でも本当に信じて力強い信仰生活を送られている方々は何人おられるでしょうか。

①神に生きるためには律法(へ語ト―ラ―)に死ぬ:その人々はキリストと共に新しい命(ギ語アイオンゾ―エ―)に生きるのです。「十字架と復活信仰」に徹するのです。

②内住のキリスト(ギ語パラクリ―ト、ラ語アドポケート):キリストの霊の御霊が、私たちの心(ギ語カルディア)に住んでくださるのです。それは神の命(ゾーエ―、肉体の命はプシュケー)です。

③神の愛(ギ語アガペー)と私たちの信仰(ギ語ピスティス):今、私たちが生かされているのは、ただ神の恩寵(ギ語カリス、祝福ユーロゲア)です。この恵みの信仰に感謝して前進させていただきましょう。

2015.08.16
「イエス・キリストへの信仰のみ」ガラテヤ書2章19~21節

本日は有名な「信仰義認(ギ語エロギスセー)」のところです。ルターの宗教改革の3大原理の一つです。他は「聖書のみ」、「万人祭司」です。大切な信仰による義(ギ語ディカイオ―)です。

①人は律法(へ語ト―ラ―)の行いによっては義と認められず、ただキリストを信じる信仰によってのみ義と認められる(ギ語ディカイオオマイ)のです。法律、法廷用語でもある。

②一般のユダヤ人の考えは、ユダヤ教の戒律で生きるべきである言うのです。民族意識と自負心が福音の真理を妨げて来たのです。一般的に「異邦人の生活原理で生きている罪人(ギ語エク・エスノ―ン・ハマルトロイ)」と言われて来たのです。

③2:16節はガラテヤの手紙の心臓部と言われています。福音の中心でもあります。異邦人であろうと、ユダヤ人であろうと「信仰(エク・ピステオ―ス)という原理で生きている」ことが大切です。義とされることは、単に罪ゆるされるとの消極的な面だけでなく、神と交わる(新しい命)資格が与えられたという面が大切です。

2015.08.09
「神の平和のために祈りましょう」マタイ5章9節

本日の聖書箇所は有名な「山上の垂訓」(5~7章)といわれる所です。8つの至福(幸い:ギ語マカリオス)と言われます。特に「平和」についてのメッセージです。

①平和とは:へ語では「シャ―ローム」、ギ語で「エイレーネ―」です。イエス様は「平和をを実現する者」を言われています。平和はすばらしい言葉です。でも実現しないと空しいものです。ギリシャ語で「エイレーノポイオス」という珍しい言葉で表現されます。

②幸いであり、神の子と呼ばれる:「幸いな」はへ語でエシェル、ギ語でマカリオスと呼ばれ、イエス様の語られた至福の1つです。暗い時代の中で人々に愛と希望の福音を示されたのです。

③真の平和とは:①神の平和(ギ語エイレーネー・ツウ・セウー)です。②神との平和を持つ。③神と人との平和を作る。戦後70年にあたり、戦責告白を改めてし、平和憲法を守り、真の平和実現のために祈りましょう。

2015.08.02
「貧しい人々のことを忘れない」ガラテヤ信徒への手紙2章7~10節

いよいよ8月に入りました。私たちはガラテヤの手紙を引き続き学んで行きます。パウロがエルサレム教会の指導者たちと話し合いの結果、一致を見てそれぞれの働きに遣わされるのです。

①パウロの異邦人伝道の承認:ペテロには割礼者の伝道が託されたように、パウロには割礼を受けていない人々に対する福音伝道の働きが託されたのです。

②エルサレム教会の指導者(ヤコブ、ケファ、ヨハネ)との一致:その一致のしるしとしての右手(握手)を指導者たちからしたのです。

③彼らの福音宣教の大切な共通点:貧しい(ギ語プト―コス:ちぢこまる、うずくまるの意味)人々のことを忘れない(ギ語ムネ―モネウェイン)とのことであった。これは聖書の不変のテーマです。当時もへ語でアムハ―レツ(地の民)が大多数の時代でした。

7月

2015.07.26
「主は私たちのための広い所」創世記26章22節
説教:鈴木龍生 師

主は私たちのために広い所  創世26:17~22

詩篇118:5 あなたは私を敵の手に渡さず、私の足を広い所に立たせてくださいました。
神は私たちに真の自由を与えてくださいました。

①エセク(争い)20節
イサクは争うことをせず、平和のために譲歩しました。

②シトナ(敵意)21節
イサクは、自分への敵意は祝福をもたらした神への敵意と見て、更に後退しました。

③レホボト(広い場所)
イサクはレホボトに至ってようやく安んじて水を得られる井戸を見出しました。
それは一族が安心して生活できる場を得ました。

2015.07.19
「神は人を分け隔てしません」ガラテヤ書2章4~6節

パウロの長い備えの17年間(3年間と14年間)の伝道の後に、パウロはキリスト教の聖地であるエルサレムへ、バルナバとテトスを同伴して行くのです。

1、 にせ兄弟との対決:彼らはへびのように巧妙に忍び込むのです。ある学者がサタン的アプローチと表現しました。パウロの先回りをして、悪いうわさをあちこちに言い広げていたのではないでしょうか。

2、 パウロの信念:福音の真理については絶対妥協はしないのです。福音の真理を語りながら、ユダヤ教の律法に誘導するような彼らに断固、抵抗したのです。

3、 神は本質的に人を分け隔てをされない:エルサレム教会の主だった使徒たちは、パウロを差別しませんでした。イエス様についてもマルコ12:14で人々が「あなたは人々を分け隔てをされないで、真理に基づいて神の道を教えておられます」と言っていました。教会も、我々クリスチャンもそうで有りたいと願います。

2015.07.12
「福音宣教は神の啓示によるもの」ガラテヤ書2章1~3節

7先月、取り上げました聖書箇所と一部重なっていますが、講解説教として角度を変えて取り次ぎます。先週に学んだエルサレム教会訪問から何と14年経過したお話しです。

1、 第二回エルサレム教会訪問:バルナバ(ア語:慰めの子)が同行しました。彼は回心後のパウロを初代教会に紹介し、またパウロの伝道旅行に同労者となった人でした。14年間という長い間、パウロは独自に伝道して、将来の異邦人伝道に備えていたと推測されます。

2、 パウロのエルサレム上京は、啓示(ギ語アポカリユプシス:人々に隠されていた事柄が、神によって明らかに示される)によるものでした。人の側での都合で実現したものではなかったのです。

3、 彼が語って来た福音をエルサレムの主だった人々に語る:その目的は、異邦人宣教の使命と証しとして大胆に語るのです。公式な会談の前に語ることは、会談が円滑にするためで、賢明な判断でした。今までして来た事は決して無駄(ギ語マティオス)にならなかった。

2015.07.05
「パウロの働きの備えの時」ガラテヤ書1章18~24節

7月最初の礼拝です。本格的に3月1日以来のガラテヤの手紙の講解説教に戻ります。その間に多くの教会暦、順教会暦、行事があって、その関連のメッセージをしました。

1、 パウロの書間と働き:パウロは13の手紙を書きました。その中でパウロの4大書間(ローマ、コリントⅠ、Ⅱ、ガラテヤ)があります。ガラテヤの手紙は、ガラテヤ諸教会にあてられたもので、第一次伝道旅行で建てられたものです。

2、 最初のエルサレム教会訪問:使徒9:26~30節に述べられていますが、召命を受けて3年後に訪問、指導者ペテロ、使徒で中心人物のヤコブに会った(ギ語エイドン)のです。先ず知り合い(ギ語ヒストレオウ)になり、自分の伝道方針を理解してもらうためでした。15日間も滞在したのです。

3、 異邦人伝道に旅立つ:エルサレムから遠く離れたシリヤとキリキヤに出掛ける。シリヤは彼の伝道の拠点となり、キリキヤは彼の生誕地です。最初の異邦人伝道が14年にも及んだのです。困難な異邦人伝道を推進したのは、神の業です。神の御心です。

6月

2015.06.28
「福音の真理がいつも留まっている」ガラテヤ書2章1~5節

いよいよ6月最後の礼拝になりました。パウロはガラテヤの手紙をはじめ多くの書間で「自己の召命と使徒職」が神からのものであることを弁明してきた。やっとエルサレムの使徒たちに承認されたことを報告している。

1、 パウロは今回はバルナバ、テトスを連れて第一回エルサレム訪問から14年間経って、2度目のエルサレム訪問をするのです。それは啓示(ギ語アポカルプシス):神託によってでした。

2、 同行者バルナバとテトス:バルナバ(慰めの子)は聖霊と信仰とに満ちている人でした。エルサレム教会にも信頼厚い人物で、パウロの執り成し手として最適であった。テトスはギリシャ人で、パウロの協力者でコリント教会との交渉にあたり、エルサレム会議でも重要な役割を果たした人物です。

3、 ニセ兄弟(ニセキリスト者)との対決:彼らは密かに忍び込み、キリスト者は、律法と割礼を受けねばならないと吹聴した。パウロはそれは福音の真理に反すると主張し、絶対屈しなかった。

2015.06.21
「父の諭し」箴言4章20~27節

本日は5月の「母の日礼拝」に続いて、「父の日礼拝」です。母の日が有名でしたが、最近は父の日も大切に覚えられています。お父さん方を遣わしてくださいました神様に感謝。

1、 父の日の起源:1909年にアメリカのワシントン州スポケーンのソノラ・スマート・ドッドが男手ひとつで自分たちを育ててくれた父を讃えて、教会の牧師にお願いして父の誕生日である6月に感謝の礼拝を持ったのが起源と言われた。正式に記念日となったのが1972年6月第3日曜日でした。

2、 箴言から「父の諭し」として引用:箴言は知恵(へ語ホクマ―)文学と言われ、箴言の箴は漢方医術の鍼を意味します。へ語「マーシャル」と言い、教訓、類例、比較の意味があります。「ソロモンの知恵」とも言われます。ソロモンは「心」に焦天点をあてます。

3、 父の諭し:子に対して心(へ語レ―ブ)を傾けて聞けと言う。心を正しく守ると、命の泉が湧くと言う。全身を持ち、御霊に満たされて歩みなさいと勧める。

2015.06.14
「シャロンの輝きに飾られる」イザヤ書35章1~2節

本日の礼拝は2つの特別な意味を持つ幸いな礼拝です。1つは「花の日、子供の日特別礼拝」です。2つ目は紫園香さんを迎えて、証をしていただく特別礼拝です。感謝です。


1、 花の日、子供の日の起源:1856年6月第2日曜日に、アメリカのマサチューセッツ州のチュルシイ市の教会のチャールズ・レオナルド牧師が、児童が信仰に歩み、花のような清らかな歩みをし、両親も子供を神に捧げてほしい事を願い礼拝を守ったのが起源です。


2、 イザヤ35章の背景:イザヤは大預言者と呼ばれ、BC(紀元前)740年~690年に働き(神の救い)をなしたすばらしい預言者です。当時のイスラエルの状況はまさに荒野、荒れ地、砂漠のような厳しい絶望的な状況でした。


3、 イザヤの解放、回復の預言:神の恩寵の業が自然界の営みを通して語られます。荒野に美しい花が咲きます。しおれて衰えると言われたレバノン、カルメル、シャロンが以前のすばらしい姿に回復します。新約のキリストがこの世に遣わされたのも、イザヤ預言の成就でした。十字架を通して真の救いが実現したのです。

2015.06.07
「愛の原始共同体」使徒言行録2章43~47節

ペンテコステ(聖霊降臨日)で生まれた教会は、原始共同体の教会(ギ語エクレシア)と呼ばれた。ルカは感動を持って報告するのです。最初は整った規則や機構を備えた大きな組織ではありませんでした。ここには初期のクリスチャンの生活、信仰、教会の姿が素朴に描かれています。

1、 初代教会の4つの特色:①使徒の教え(ギ語ディダケー)で3~4章、②相互の交わり(ギ語コイノニア)、③パン裂き(ギ語アガぺー)、④祈りをする(ギ語プロセウケ―)で、模範的な姿であった。

2、 不思議な業(ギ語エルゴン)としるし(ギ語セーメイオン)が生じた:教会内に聖霊が働き、一同は畏れに満ち、使徒たちを通して奇跡が行われた。聖霊充満。

3、 初代教会の共同体、原始共産生活:心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まりパンを裂き、信者たちは皆一つになり、すべてのものを共有、必要に応じて分かちあった。イスラエルの「キブツ」に姿を見る。

5月

2015.05.31
「神の視点」ルカによる福音書13章1~5節
中垣通彦師

いろんな問題を抱えて生活している私達の視野は狭くなっていないでしょうか?
主イエスは最も大切な事を私達に見せてくださいます。

①日本の少女がローマ教皇に手紙で尋ねました「東北の災害で何故多くの罪のない人々が死ななければならなかったのですか?教皇の答えは「私にも分かりません」でした。

②ユダヤ人達もイエスに「同胞に、なぜ被害が降り掛かったのか」と問い、ヨブも自分の上に降ったいわれのない神の仕打ちに悩みました。

③イエスは彼らの「なぜ?」の疑問を満たす回答を与えませんでしたが、私達の視野を広げて、よろ大切な真理を見せてくださいます。

2015.05.24
「若者は幻を見、老人は夢を見る」使徒言行録2章17~21節


本日はペンテコステ(聖霊降臨日)と言われ、キリスト教3大教会暦の1つです。イエス様が復活されて、40日間に渡り、多くの人々に復活の姿を見せられました。そして天に引き上げられ、10日後(復活後50日目)に約束の聖霊が豊かに降臨したのです。

1、 ペンテコステのとは:この原語の意味はギリシャ語で「50番目(の日)」という意味で、ペンテーコステー(・へーメラ)に由来します。ユダヤ教で過越の祭りから50日目に「7週の祭」と呼ぶ、小麦の収穫を祝う祭りがありました。

2、 ペンテコステは教会の誕生日:聖霊降臨によって力を与えられた弟子たちが、教会(初代、原始)を誕生させてたのです。宣教によって次々に教会が生まれた。

3、 ぺテロの説教で3千人が救われる:旧約のヨエル書3:1~5節を引用して、彼は力強く語ったのです。
① あなたたちの息子と娘は預言(へ語ナ―ビー)する。②若者は幻(へ語ハ―ゾーン)を見る。老人は夢(へ語ハ―ローム)を見る。③僕やはしためにも聖霊充満(ギ語パラクレートス)が与えられる。

2015.05.17
「私の聖なる日に」イザヤ書58章13~14節
説教者:鈴木龍生師

わたしの聖なる日  イザヤ58:13~14

安息日は聖なる日として神にささげると共に休息としての喜び楽しみます。

①安息日はすべての働きから離れる日でありますが、それは決して重荷ではなく、喜びの日であります。そして、それを主の聖日として尊ぶならば、豊かな祝福の中に入れられると約束されています。

②イエスは安息日の主  
キリスト教会では、週の初めの日に礼拝を守ります。イエス様が死から復活したその日を記念するためでありました。

③ヤコブの嗣業とは、イスラエルの民にとってはカナンの地であります。
ヤコブは正しいことも間違ったこともあるが、彼を選び、彼を愛し、選民となさいました。

2015.05.10
「幸いな母」箴言31章10~12・28節

今年も「母の日」がやって来ました。神様がお母様方を与えてくださいました事を心から感謝いたします。
1、 母の日の起源について:アメリカのメソジスト教会で、長い間(26年間)、日曜学校の先生を務めた信仰篤いジャービス夫人を偲んで追悼記念会が、彼女が好きだったカーネ―ションを飾り行われたのです。それは彼女の娘のアンナの願いから起こったことでした。

2、 地域社会に尽くしたジャービス夫人:当時の社会は医療水準も低く、彼女は地域医療、衛生環境を改善しようと「Mothers Day Work Club」という団体を組織し医療活動を続けていたのをアンナは知っていたのでした。その母は公私共々すばらしい女性でした。

3、 母の日の美しい歌:箴言31章10節~「優れた妻、女性像」を描いています。主を畏れ、家庭を収める妻、勤勉で全ての人に暖かい手を差し伸べる女性でした。

2015.05.03
「新しい契約を結ぶ」エレミヤ書31章31~34節

復活節の中で「エレミヤ書」を取り上げました。31章は3大預言書(他はイザヤ書、エゼキエル書)の一つであり、本日の箇所は最重要な章句の一つと言われています。新約のヘブライ人の手紙8:8~12にも引用されています。

1、 エレミヤとその書について:エレミヤ(主は建設する)は若くして預言者としての召命を受け、40年の長きに渡りエルサレム、及びユダの町々で預言し続けた。イザヤが希望の預言者と呼ばれたのに対して、「涙の預言者、嘆きの預言者」と呼ばれた。

2、 30~31章は慰め(へ語ネハ―マー、ギ語パラクレーシス)の書:31章31~34節は2つの契約(へ語べリ―ト、ギ語ディアテーケ―)、つまり「新しい契約と古い契約」が対比されている。古い契約とは、イスラエルの先祖がエジプトから導き出された時、主との間で結んだものであり、新しい契約とは「来るべき日に主がイスラエルに結び直される契約です。

3、 回復預言:世の終わりにイスラエル全民族(全世界)が回復される時に成就する恵みと約束です。


4月

2015.04.26
「弟子派遣」マルコ16章14~18節

復活(ギ語アナスタシス)の主が、弟子(ギ語マテ―テース)たちに顕現(ギ語エピファネイア)された出来事を通して、私たちにも復活信仰と使命が教えられるのです。

1、 弟子たちを咎められた(ギ語オルゲー)イエス:不信仰とかたくなな心(ギ語ポロシス・カルディア)が問題でした。私たちも気をつけたいものです。

2、 大宣教命令(ギ語ケリュセイン・エクレヨー、英語グレート・ミッション):出掛けて行ってすべての造られたものに福音(ギ語ユーアンゲリオン)を宣べつたえよと、弟子たちに命令された。

3、 信じる者に伴うしるし(ギ語セメイイオン):宣教に踏み出すと主も共に働いてくださり、不思議なしるしが現れるのです。リバイバルが起こるのです。教会の業は何と言っても宣教です。励んでいきましょう。

2015.04.19
「弟子たちに現れた復活の主」ヨハネ20章19~23節

復活節の中で私たちは、イエスが言わんとされている真の復活の意味を、色々な面からメッセージをいただいています。

1、 イエスの顕現(ギ語エピファネイア):弟子たちがユダヤ人を恐れて、部屋に閉じこもっていた時に、イエスの方から来てくださった。それも超不思議な方法で部屋に入り込まれて、弟子たちの真中に立たれた。

2、 平和(ギ語エイレーネー、へ語シャローム)があなたがたにあれ(ヒューミン):イエスの平安はこの世の安らぎとは違います。苦痛や労苦から解放された安息です。神が共におられるのです(へ語インマヌエル)。

3、 聖霊(ギ語プニューマ・ハギオン)を受けよ:「父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14:25) わたしたちはいつも重要な事を思い起こさなければならないのです。復活は当然ですが、今あなたにとって大切な事は何ですか。

2015.04.12
「人生の同伴者イエス」マタイ24章28~35節



復活後にイエスに出会い、変えられた2人の弟子のお話しです。弟子は私たちでもあるのです。

1、 エマオ途上のイエス:エルサレムから失意の中を故郷エマオへ帰る弟子に、姿を変えたイエスが同伴され、絶望していた彼らの話しに耳を傾けられるのです。

2、 聖書の解きあかしをされるイエス:彼らの心の目が閉じられていたので、主の復活の件は何ひとつ理解出来ていなかったのです。

3、 食卓の愛さん:旅人がパンを取り、祝福され、パンを裂かれて渡された時、二人はその方がイエスだと分かり、その目が開かれた。イエスが生きておられることを知り、心が燃えたのです。イエスの復活こそ私たちの信仰の命です。ハレルヤ!

2015.04.05
「イエスの復活」マタイ28章1~10節

私たちの信仰にとって「イエス様の十字架の死と復活」は最も大切な点です。十字架の死により私たちの罪が許され、復活により永遠の命が与えられたのです。

1、復活とは:英語で「イースター」、ギ語で「アナスタシス」と言います。過ぎ越しの祭り(へ語のパスカ)にイエス様は十字架で死なれ、3日目に復活されたことを記念する主の日で、復活祭とも言われます。

2、イエス様はよみがえられた(ギ語エ―ゲルセエー):安息日が終わり、新しい週の日曜日の早朝、ご遺体に香油を塗るために女性たちは墓に駆け付けたのです。地震が起こり入口の大石は転がされて、イエス様はよみがえり、墓にはおられないのです。

3、復活の信仰:①イエス様が神であることが明らかになり、驚くべき力があることが示された。②復活信仰には希望がある。③私たちに霊的な新生の恵み、救いの確かさ、永遠の命の保証となった。

平成26年度・下半期

2014年10月~2015年3月


3月

2015.03.29
「イエスの十字架の死」マタイ27章45~55節

長い受難節(レント)の中で、受難週にはいりました。今週の金曜日にイエス様は、私たちの罪の身代わりになられて十字架に掛かられるのです。

1、エルサレム入城:群衆は歓呼の声を持って「ホサナ(救いたまえ)」:詩篇118:25」とイエス様を迎えたのです。棕櫚やヤシの木の枝を道に敷いて迎えたのです。ところがイエス様は子ロバに乗り入城されたのです(ゼカリヤ9:9~10)。

2、ゴルゴタの丘での十字架刑と死:金曜の朝9時にイエス様は十字架に掛けられました。そして昼の12時頃、全地は暗黒になったのです。イエス様は十字架上で7つの言葉を発せられました。今朝はその中でも特に「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(詩篇22:2)
が叫ばれ、最後にヨハネ書では「成し遂げられた」、口語訳では「すべてが終わつた:ギ語テテレスタイ」と叫ばれたとあります。

3、十字架の死によって:神殿の仕切りの幕が真二つに裂けた。イエス様の贖罪死によって、神と人を隔てていた幕が永遠に取り去られたのです。また墓が開いて先に召された聖徒たちが生き返えったのです。また異邦人が救い与ることになったのです。

2015.03.22
「あなたを癒す十字架の愛」イザヤ書61章1~3節

※メッセージ:李ヨンス 師

2015.03.15
「悲しみの道からゴルゴダへ」マタイによる福音書27章32~37節


 受難節の真中になっています。イエス様の十字架死についてのプロセスを学んで行きます。
1、 十字架を担うイエス様:不当な死刑判決を受けられたイエス様は、やがてご自分が掛けられる十字架(ギ語スタウロス)を担わされて、あのヴィア・ドロローサ(ラテン語で悲しみ、苦しみの道:約1キロ余り)を兵士や人々の罵倒の中を歩まれるのです。イザヤ書53章に予表された。

2、 助け人クレネのシモン:苛酷な裁判、死刑判決、ムチたたき、不眠等で心身ともに疲れ果てておられたイエス様には、重い十字架(横柱約数十キログラム)を長い距離を担ぐ体力は残っていませんでした。倒れたイエス様に代わりシモンが担うのです。

3、 ゴルゴタの丘:アラム語のグルガルタ(どくろ、骸骨)と呼ばれ、処刑場であった。イエス様はここで死刑になられたのです。私たちの罪の身代わり(贖罪ギ語アポリトロシス)として十字架に掛かられたのです。

2015.03.15
「順風の日も逆風の日も」コヘレト7章13~14節

※ビデオメッセージ:佐藤 彰 師

2015.03.01
「神の選びと恵みにより」ガラテヤ書1章11~17節

 劇的な回心を受けたパウロの証し(ギ語マルツゥリア)と、神からの選び(ギ語エクロゲー)、召し(ギ語カレオー)の恵みが語られるのです。神の不思議な計画です。

1、 福音の根拠:パウロが福音(ユーアンゲリオン)を告げ知らせた(ギ語ケリユソー)は、人から教えられ、受けたものでなく、キリストの啓示(ギ語アポカルプシス)によるとパウロは言います。

2、 パウロの証し:かつてはユダヤ教に徹していたのです。べニヤミン族のユダヤ人で、ファリサイ派に属し、高名なラビのガマリエルのもとで学んだのです。熱心なユダヤ教徒の立場からキリスト教徒を迫害した。しかし天からの光とキリストの言葉によってキリスト教徒になった。

3、伝道者パウロの誕生:サウロからパウロへ。神によって選び、召し出されたパウロは偉大な異邦人(ギ語エスノス)
伝道者と呼ばれるまで用いられたのです。大切な福音を異邦人に述べ伝えるのです。

2月

2015.02.22
「真の福音と反する福音」ガラテヤ書1章6~9節

 ガラテヤの手紙は数々の例えで表現されています。「福音信仰のマグナ・カルタ(大憲章)」、「爆発的な書間、怒りの手紙」、ルターは「自分の妻、私はこの手紙と結婚した」とまで言いました。私たちにも良き学びになります。

1、 ほかの(異質)の福音:一部のガラテヤ信徒が真の福音(ギ語ユーアンゲリオン)から、他の異質な教えに移ったのを聞き、使徒パウロはあきれ果てて(ギ語サウマゾー)います。別の福音などは存在しないと明快に言うのです。

2、 真の福音は覆せない:ニセ教師は、もう一つの福音があるように宣伝するのです。迷わされていけないとパウロは勧告します。彼らの惑わし(ギ語アパタイト)に心を寄せてはいけないと説くのです。

3、 異なる教えを吹聴する者:彼らは呪われる(ギ語アナテマ)のです。なびいたものも同様であると厳しく言うのです。大切なのは律法でなく純粋な福音です。

2015.02.08
「キリストは私達の神です」ガラテヤ書1章1~5節

 本日からガラテヤの信徒への手紙に入ります。この手紙はパウロによって書かれたすばらしい手紙です。小ローマ書と言われ、宗教改革者ルターのバックボーンにしたものです。

1、 ガラテヤとは:小アジヤ中部から北部にかけての高原地帯(標高7000~1000メートル)。ガリヤ人(ゴウル人:ギ語ガラタイ人)の住地との意味がある。パウロの時代には南部も入れてガラテヤ県と言われて拡大されていた。それ故にこの手紙はガラテヤの諸教会宛てと言われている。

2、 挨拶:ガラテヤ教会はユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンの両方がいた教会でした。単なる挨拶ではなく、パウロの使徒職としての権意において、自らの教えを確証し、信仰義認(信仰のみによって救われる:ローマ書にも記載)を強く勧告している。

3、 恵み(ギ語カリス)と、平安(へ語シャ―ローム)の源なるキリスト:今の悪(ギ語カコス)の世(アイオーン)から人々を救い出す(ギ語エクサイレオ―)神の業を示す。十字架の死と復活こそ中心です。

2015.02.01
「平和を保ちなさい」Ⅱコリント13章11~13節



 いよいよコリントの手紙の最後です。皆さんはこの手紙でどのように導きを受けられましたか。感謝を持って終わらせて頂きます。

1、 先ず5つの徳目を挙げています:①喜び、②完全、③慰め、④1つ心、⑤平和・・・それぞれの者になりなさいとの勧告です。皆さん如何ですか。どれも重い言葉ですね。教会はイエス・キリストにより集められた共同体:ギ語エクレシアです。聖なる神の家族です。そこに愛と平和の神が共にいてくださるのです。

2、 お互いに聖なる挨拶をせよ:新約においては口づけは、性的な意味合いでなく、聖なるアガぺーのしるしとして取り扱ったが、その後に論議、意義が起こりしなくなった。

3、 祝祷で終わる:三位一体の神の名(イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の交わり)が、一同と共にありますようにとの祝福の祈りです。そして私たちはこの世に派遣されるのです。主も共にいてくださるのです。アーメン。

1月

2015.01.25
説教者:鈴木龍生 師
「見よ!あなたがたの神」イザヤ書40章9~11節

 「見よ。あなたがたの神を」  イザヤ40:9~11私たちは、何を見つめて歩むべきでしょうか。


①神を仰ぎ見よ  9節

 イザヤ45:22 地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。



②見よ。神は力強い  10節

 2テモテ4:17 主は、私と共に立ち、私は力を与えてくださいました。それは、私を通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、

 すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした。




③見よ。神は羊飼い 11節

 ヨハネ10:14 わたしは良い羊飼いであり、自分の羊を知っている。わたしの羊もまたわたしを知っている。

「知る」は、両者の間に信頼と愛の関係、心の交流があることを意味する。主ご自身を見つめて歩む時、力を新たにし、鷲にように翼を生やし、力衰えることなく走り、疲れることなく歩む。

2015.01.18
「何事も真理に従い生きる」Ⅱコリント13章7~10節



本日の中心課題は、真理に逆らわず、真理に従って歩みなさいとの事です。真理とはキリストであり、神の教え(御言葉)です。コリント教会は真理に逆らう人々がいたのです。

1、 悪(ギ語カコス、へ語ラ)を行わないように:どのような状況でも善(ギ語アガトス、グロスべ)を誠実(ギ語エムーナー)に行えとパウロは言うのです。自分が不利と思えてでもです。

2、 真理(ギ語アレーセイヤー)に従う:たとえ自分が弱く(ギ語アスセネイヤ)ても、教会や信徒が強く(ギ語パリオン)あれば喜びますと言う。

3、 教会を健全に造り上げる(ギ語オイコドメオ):教会(ギ語エクレシア)は真理からそれると、壊れ(ギ語スパオ)ます。最近「健康な教会」という言葉をよく聞きます。御言葉(霊の食べ物)と祈り(霊の呼吸)によって建て上げましょう。

2015.01.11
「自分の信仰、生き方を吟味せよ」Ⅱコリント13章4~6節

  本日から講解説教の続きのⅡコリントの手紙に戻ります。13章は最後の結びの言葉です。「弱さと強さ」との点について展開されていますが、3節ではキリストは強いお方であると言われたのです。

1、 キリストの十字架の死(ギ語スタウロス・サナトス)-(弱さ:アスセネイア)と復活(ギ語アナスタシス)-(強さ:ドロモス):これは信仰の最重要な点です。キリストが神の力で生きて(ギ語ゼーン)おられるように、私たちも神の力によって生かされているのです。

2、 信仰の吟味(ギ語ドキマゼイン)する:パウロは信仰者の生き方を反省し、自らを吟味せよと言うのです。その結果で適格者(ギ語ドキモス)か、不合格者(ギ語アドキモス)かを判定する。

3 パウロが失格者、不適格でないと認定(ギ語ギノースコー):同様に信仰者(コリント信者)も神の前に確かな信仰に立っていることを悟るべきであると言うのです。

2015.01.04
「御霊によって生き、前進しよう」ガラテヤ5章25節

  新年も聖書の御言葉と真理に導かれて、礼拝を守らせていただきたいと思います。本日は新年(2015年)の教会標語に基づいてメッセージをさせていただきます。1年間の目標です。

1、ガラテヤの信徒への手紙の背景:パウロがガラテヤの諸教会にあてた手紙です。ユダヤ主義者(パウロの使徒職批判、福音信仰でなく律法主義)の入り込みへの警戒、真の救いは割礼でなく、主イエスの十字架の贖いのみであることを勧告する。

2、クリスチャンの基本生活:御霊によって生きる(ギ語エイ・ゾーメン・プニュマティ)ことです。それはどのようなことでしょうか。御霊(ギ語パラクレートス)は神の霊(聖霊:ギ語プニュウマ・ハギオン)です。聖霊は「キリストの霊、主の霊」とも呼ばれ、三位一体(父、御子、御霊)の3番目の神の働きです。御霊の導きに委ねて生きましょう。

3、御霊の支配に服従:「キリストが私の内に生きておられる。」(ガラ2:20)との固い信仰に立ち、御霊によって(プニューマティ)前進(ギ語ストイケオ―)しましょう。御霊に逆らうと互いに肉的、人間的に走り、分裂が起こり恵みが離れてしまいます。日々、神様に生かされて(ギ語ゼイン)歩みましょう。

12月

2014.12.28
「救い主にあったシメオン」ルカによる福音書2章25~32節

  いよいよ本年最後の礼拝を迎えました。年末感謝礼拝です。今年は皆さん方にとりましてどんな年でしたか。どうぞ良き新年をお迎えください。

1、 すべての恵みを心にとめましょう:詩篇103:1~2にあります。クリスマスには世界中の人々は、心を開けて「救い主を受け入れ」られたのではないでしょうか。毎朝の早天祈祷会でも、「主の恵みと祝福を感謝してほめたたえよ」と詩篇104を学んでいます。

2、 幼子イエスさまを迎えたシメオン:誕生されたイエスさまはユダヤの習慣に従い、8日目に割礼を受けられ、40日目(7日と33日)過ぎて神殿で献児式が行われたのです。その時に神殿で長い間待ち望んでいたシメオン(正しく、信仰篤つく)は、幼子イエスさまを抱いて祝福、祈ったのです。

3、 シメオンの願い:イスラエルの慰められるとの望んだとあります。イエスさまを抱きながら、もう思い残すことは有りません、万民の救いが約束されたのですから。シメオンは聖霊に導かれて、特別な神からの啓示を受けて、讃美(シメオン讃歌:ヌンク・ディミティス)したのです。

2014.12.21
「救い主の誕生」ルカによる福音書2章8~14節

 クリスマスおめでとうございます。皆さんの上に主の恵みが豊かに注がれますようにお祈りいたします。

1、クリスマス(主イエス・キリストのご降誕日:ギ語ゲネシア)とは:4週のアドベント(待降節)を経て、本日は4本目のキャンドル (ベツレヘムの愛)に点灯されました。クリスマスはキリストのミサ、祭りとの意味があります。私たちの罪の救い(メシアとして)のためにお生まれくださいました。

2、良き知らせ(福音:ギ語のユーアンゲリオン)が羊飼いたち(ギ語のポイメーン、へ語ローエ―)に:当時の社会で最下層(アムハ―レツ)で、原野で羊の番をしていた羊飼いになぜ知らされたのでしょうか。恐れと喜び、信仰を持ち「幼子イエス」に会うのです。

3、クリスマスは讃美の時です:天使たち(ギ語アンゲロー)から福音のメッセージを聞き、共に主を讃えてたのです。世界で最初のクリスマス讃美でした。「天、地、人の栄光、平和、愛」が豊かに歌われたのです。私たちも御心にかなう人になりましょう。ハレルヤ!

2014.12.14
「アヴェマリア」ルカによる福音書1章26~33節

 アドベント(待降節)第3主日を迎えました。来週はいよいよクリスマス礼拝です。本日の礼拝で点火されたキャンドルは「羊飼いのキャンドル」と呼ばれ「喜び」を象徴しています。

1、 受胎告知:天使ガブリエルから、イエスの母マリアへのお告げと言われています。皆さんはマリアさんに対してどんなイメージを持っていますか。マリアとは旧約のヘブル語「ミルヤーム(ミリヤム)」から由来。「アヴェ・マリア」とは、「おお!祝されたマリア」との意味です。「マドンナ:わが淑女」とも呼ばれました。聖母マリアとして尊敬されています。

2、 マリアの恐れ、驚きについて:①天使ガブリエルがこの貧しい者に臨まれたのか。②天使祝詞。③男の子を宿す。④神の子イエスであるとのこと。その子はイスラエルの民が待ち望んでいたメシアであるとのこと。 

3、 マリアの姿勢:色々な戸惑いはあるが、最終的には「信仰をもって従います。御心のままになしたまえ」と祈り、この喜びを讃美(マリア讃歌:ラ語マグニフィカート)に変えるのです。私たちもマリアさんの信仰に見習いましょう。

2014.12.07
「平和の君として」イザヤ書9章5~6節

アドベント(待降節)第2主日の礼拝を迎えました。キャンドルの2本目(天使のキャンドル:平和)が灯されました。本日は「平和」が主題です。昔も今も平和が全世界の人々にとって大切です。

1.イザヤの預言:イザヤの時代はとても平和を期待出来る状況ではなかったのです。イザヤは「闇の中を歩む民、死の陰の地に住む民」と言っています。強国アッスリアに苦しめられて暗黒にあるイスラエル国民に、イザヤは希望の預言をするのです。

2.ひとりの「みどり子(へ語イェレド)が与えられる:このみどり子は4つの性質を持ち、メシアと呼ばれ、インマヌエルとも呼ばれた 「イエス・キリスト」を予表しているのです。

3・みどり子の性質:①驚くべき指導者(へ語ペレー・ヨーエーツ)、②力ある神(へ語エール・ギポール)、③永遠の父(へ語アヴィーアド)、④平和の君(へ語サル・シャ―ローム)です。特にこの「平和」は絶えることなく、あの聖霊の実の3番目にも挙げられています。ギ語では「エイレネ」といい、「キリストの平和があなたがたにありますように:ラ語キリエ・エレイソン」と祈ります。

11月

2014.11.30
「エッサイの株から若枝が育つ」イザヤ書11章1~5節

本日からアドベント(待降節)に入ります。4週後の12月21日(日)に主の降誕日:クリスマスを迎えます。4本のキャンドルに1本火が灯りました。皆さんと共にクリスマスを待ち望みましょう。

1、 アドベント(待降節)の意味:この言葉は「到来」を意味するラテン語(アドベントゥス)から来たものです。ギリシャ語のエピファネイア(顕現)と同義です。アドベントはこの世界にキリストの到来、そしてキリストの再臨(ギ語パルーシア)を意味する大切な時です。

2、 イザヤ預言よりのイエス誕生:紀元前(BC)740年前にイザヤにより預言されたすばらしい御子誕生の内容です。ダビデ王の父のエッサイを根株にたとえて、木々が倒され、荒廃した時代の中で、イザヤは希望の預言を伝えたのです。不可能に思えて切り株から若枝(へ語ネーツェル)が萌えいでる(へ語パーラフ)のです。ハレルヤ!

3、 主の霊(へ語ルーアハ)が現臨(ギ語パルーシア):知恵、識別、思慮、勇気、主を知り、畏れ敬う霊に満たされ(へ語プレロー)、弱い人、貧しい人を弁護する。

2014.11.23
「主に聞き従う者の幸い」箴言8章32~36節

本日は「収穫感謝記念礼拝」です。一般社会では「勤労感謝記念日」と言われています。この日を「勤労を尊っとび、生産を祝い、国民が互いに感謝しあう」としています。  


1、収穫感謝祭の起源:
 1620年9月6日にイギリスの清教徒(ピルグリム・ファーザーズ)たちと呼ばれる102名(男78名、女24名)のクリスチャンたちが、メイフラワー号に乗り、アメリカ大陸に新天新地を求めて出汎したのです。困難を極めた結果、翌年収穫をして神様に感謝の献げ物をして、礼拝をしたのです。

2、記念日制定:
アメリカ合州国第16代大統領のアブラハム・リンカーンが、1864年11月第4木曜日を国民の祝日と定めた。日本では戦前に「新嘗祭」と言い、天皇がその年の新穀を祖先に供える儀式でした。その後、11月23日を「勤労感謝の日」として祝日となった。

3、神の知恵(へ語ホクマー)に従う道(へ語デレク):
私たちは神の知恵、御言葉に従う訓練を受け入れることが大切です。教訓(へ語ムーサール)は、何が大切であり、大切でないかを知る。

2014.11.16
「子どもを祝福するイエス」マルコ10章13~16節

本日は「子ども祝福合同礼拝」です。子どもたちと一諸に礼拝を持ちます。礼拝の中でCS教師によるCSショートメッセージも組み込まれています。

1、 子ども祝福式とは:日本では「七、五、三のお祝い、お宮参り」と言われてお祝いされています。教会では11月15日に近い日曜日の礼拝で「子ども祝福式」をし、お祝いをします。ます。昔ソロモンという賢人王と言われた方が「わが子よ、わたしの教えを忘れるな。わたしの戒めを心に納めよ。」(箴言3:1)との数多くの言葉を残され、箴言集におさめられました。

2、 イエス様の例:3歳頃に南の地方からナザレの村に帰られ、5歳頃から毎週2回お父様のヨセフに連れられて、村の教会学校で先生から旧約聖書を学びました。12歳頃までには「律法の書」を全部勉強してしまわれたのです。

3、 子どもを祝福されたイエス様:大人の世界、子どもの世界、天国の世界が出てくる。神様は無条件にすべての子どもたちを愛され、祝福され、天国への道を模範とされる。私たちも見習いましょう。

2014.11.09
「キリストを模範としなさい」フィリピ2章1~4節

本日の主要なテーマは「模範(ギ語ヒュポトゥポーシス)」ということです。現在流で言えば、モデル、マニュアルというようになるでしょう。聖書が示す生き方のモデルはイエス・キリストです。従って行きましょう。

1、私たちの内にキリストからの4つの心があるでしょうか。①励まし(ギ語パラカレオー)、②愛の慰め(ギ語パラクレーシス)、③霊による交わり(ギ語コイノニア)、④慈しみ(へ語へセド)、憐れみ(へ語ラハミーム)です。

2、 心が一つとなる。①思い、②愛、③喜びにおいてです。キリストを模範、まねようとすれば一致が生まれてきます。神との関係が確立し、人間関係に調和が保たれ、一致の喜びを得られることでしょう。信仰の原則です。

3、 他者のことに注意を払う:利己心や虚栄心を捨てて、へりくだって

2014.11.02
天国に国籍を持つ」フィリピ3章17~21節

本日の礼拝は「聖徒の日、召天者合同記念礼拝」です。先に召された方々を偲び、記念する日です。写真を見ながらそれぞれの立場で礼拝を捧げます。これらの方々はすでに天において神の御手の中に抱かれておられるのです。

1、 聖徒の日の起源:グレゴリウス3世(731~741年)の時に、「諸聖徒の日」として11月1日に定められました。カトリック教会では「レクイエム・エテルナム(永遠の安息を)」、通常は「レクイエム」と呼ばれています。プロテスタント教会では通常「召天者記念会」として、1日に近い11月第一日曜日の礼拝で守ります。

2、 私たちの国籍(ギ語ポリティウーマ)は天(天国:ギ語パラディソス)にあります:地上で国籍を持つと同時に天国でも国籍を持つ「神の国の市民」なのです。フィリピは当時、ローマの植民地でした。ローマ市民権を持つパウロには数々の特権がありました。

3、 天に国籍の有る者の喜び:イエスを信じた人は、新しく生まれた人です。生きる基準、価値観が変わります。地上の物に価値を置くと、それらは必ず変動します。でも昨日も今日も変わらないイエスを知った私たちは、永遠の命を持ち、天国に召される身という特権に与るのです。

10月

2014.10.26
「聖書のみ・恵みのみ・信仰のみ」ローマ3章21~25節

本日は「宗教改革記念礼拝」です。1517年10月31日昼頃にドイツのウィテンベルグ城教会の扉に、ルターによって大きな紙に95ケ条の質問書が貼り付けられたのです。これがプロテスタント教会の誕生日と言われ、最も近い日曜日に世界中の教会が記念礼拝を持っています。

①宗教改革記念の背景:16世紀のローマカトリック教会は、強い権力を持ち、ただ宗教的な内面の世界だけではなく、政治的、社会的にも支配者として君臨していました。中世と近世を分ける境目に2つのRがあったと言われています。ルネッサンスと宗教改革です。ルターの改革の直接の「贖宥券(免罪符)」と「罪の許し」の問題でした。

②宗教改革の要素:大きな面では「教会再建、正しい信仰」であり、崩れかけていた中世の教会のゆがんだ面をもう一度、原始教会の正しい姿に帰れとの主張でした。要約は①ただ聖書の福音のみ、②ただ信仰によってのみ救われる、③万人祭司の3点です。

③信仰義認:本日の聖書の要約はこの一点にしぼられます。従来の律法による義ではないのです。色々な律法の行いを重ねても人は義とされません。大切なのは神の義であり、神の恵みです。

2014.10.19
「ピース・チャイルド」Ⅰコリント1章26~31節
説教者:市橋隆雄 師

2014.10.12
「聖なる生活を送りなさい」ローマ6章19~23節


本日は世界のナザレン教会の創立記念日礼拝です。世界の約150万人(約13000教会)のナザレン信徒と共に記念礼拝を守っています。その歴史、教理を学び、その一員としての確信を堅く持ち、ナザレン教会、会員としての使命に生かされたいと思います。

① ナザレン教会創立:1895年10月にP・Fブリジ―博士とJ・Pウイド二―医学博士を中心にして、135名の創立会員を持ってロサンゼルスで第一ナザレン教会としてスタートした。

ジョン・ウェスレーの「新生と聖化」の教えを大切にする教会です。マタイ2:23「彼はナザレの人と呼ばれる」に基づいて名付けられました。
② 日本ナザレン教会の創立:1915年熊本で最初のナザレン教会が組織され、来年100周年を熊本教会は迎えられる。ステープルス宣教師夫妻、喜田川広師、諌山修身師、エコール師等が関わられた。その後全国にナザレン教会が宣教師により開拓され、日本人の牧師に引き継がれ現在に至る。

③ 聖潔について:汚れと不法、罪の奴隷の生活から解放され、キリストの十字架の死の犠牲により救われ、永遠の命を頂き、新しい生活に入る恵みを与えられたのです。聖なる生活を送りなさいと神は言われます。ハレルヤ!

2014.10.05
「私たちはキリストにあって強い」Ⅱコリント13章1~3節

 いよいよ10月に入りました。まさに「初穂の礼拝」を主から与えられて、年度の後期を始めます。パウロのⅡコリントの手紙も最終の13章に入りました。結び(まとめ)の所です。
① 使徒(ギ語アポストロス)としての覚悟:彼のコリント教会への訪問は3度目になるのです。今回は厳しい訪問になります。2度目はエペソから短期間の訪問でした。それは非常につらい訪問になり、帰ってからこの「涙の手紙」を書き、愛弟子のテトスに託しました。

② 3人の証人(ギ語マルテュス)の口による確定:以前に何回も事実(ギ語パス・レーマ)がねじ曲げられ、パウロが窮地に陥ったことがありました。それ故に「使徒権」にかけて反逆者や罪を犯した人々に対抗、容赦(ギ語ナーサ)しないと強く言うのです。

③ 真の証拠(ギ語マルテュリオン)とは:彼らはキリストに証拠を求めているのです。確かにパウロは柔軟に話して来ていたのですが、弱いとか使徒職を持たないとか言ったのです。私はキリストと共に生き、働き、言うのです。弱く有りません。

平成26年度・上半期


2014年4月~2014年9月


9月

2014.09.28
「全ては造り上げるためです」Ⅱコリント12章19~21節

 伝道者パウロはコリント教会に対して心配と、彼自身の弁解をしている。これを見ると如何に教会形成、牧師と信徒の関係の難しさが分かります。聖霊の執り成しがないと、とても教会の成長なんてはありません。

①パウロの弁解と語り:パウロは今までの手紙や言葉は、自己弁護(ギ語アポロギー)のために与えて来たと思われてたのではないかと危惧していると言うのです。でもパウロは常にキリストに結ばれて(ギ語エン)語り(ギ語ケリュッソー)続けて来たと言う。

②コリント教会(信徒)を造り上げる(オイコドメオー)ために:コリント教会を愛する(ギ語アガパオ―)がゆえに語り続けてきたと言う。そして造り上げて成熟した教会、信徒になってほしいと願うのです。

③お互いの理解の相違:互いの期待の違いが出てしまい、不信感が生じてしまったと言う。不道徳な行為が多くあり、それが悔い改めないでそのままになっている。またパウロの面目(ギ語オウトセバスロー、エクスシーア)が潰れるような事は、神はなされないと信じる。

2014.09.21
「私は使徒であることを実証します」Ⅱコリント12章11~14節

 コリント第二の手紙に帰ります。パウロの使徒職の実証です。私たちも時として、クリスチャンとしての実証が必要なことが教えられます。それが証し、伝道につながるのです。

①愚か(ギ語モーリア)者になった:愚か者として語り、愚か者として誇ってしまった事は、私の願いではなかったのです。そうしないではおれなかったのです。あえて意図的に語るようになってしまった。あなたがたが強いてそうさせてのですと言う。

②使徒(ギ語アポストロス)としての働き:ニセ使徒、大使徒と自負している人々にコリント教会の信徒が騙されていたかが分かったのです。真の使徒としてのしるし(ギ語セメーイオン)は、忍耐強く(ギ語エン・パセー・ヒュポモネー)実証(ギ語デモステネス)されています。

③愛を求めてパウロ:彼は3度目にコリント教会に行く希望を持っていました。彼らに負担をかけないようにと願っていました。彼が望んでいたのは、彼らと交わり、悪いうわさを打ち消したかったからです。パウロが彼ら自身を愛していたのです。

2014.09.14
「生涯の日を正しく数える」詩篇90篇9~12節

 本日の礼拝は「慶長礼拝」です。75歳以上の方々の祝福をお祈りして守らせていただいています。それに基づいて詩篇90編を選ばせていただきました。90編、91編、92編には共通テーマがあります。それは「神を住まいとする」と言うことです。

①敬老の日(慶長の祝福)の制定:1966年に「多年にわたり社会に尽くしてきた良人を敬愛し、長寿を祝う日」との精神で制定されました。私たちの日本は完全に「少子高齢化」時代に入りました。家庭でも地域社会、日本全体でも老人問題は大きな課題になっています。教会でも同様です。

②時の流れの速さ:口語訳90:9~10「われらの年の尽きるのは、ひと息のようです。・・・その過ぎゆくことは早く、われらは飛び去るのです」とあります。ある人がこの聖句を受けて3つまとめました。☆過ぎ去った人生は、もとに戻らない。☆人生は、限られており、終わりがある。終わりが来たら、それ以上は手に入らない。「終わり」はギ語テロスで「目標、目的、完成」との意味が含まれています。キリスト者は「人生の終わりは永遠です。」

③永遠なる神の御顔を拝しつつ道を歩ませていただきましょう。

2014.09.07
「神の教えを守る子どもたち」箴言8章32~36節

 9月に入り、「ナザレン教会学校月間」を迎えました。11月にも「子ども祝福式」がありますが、今回は旧約の箴言から教えを学びたいと思います。子どもを大切にする教会でありたいと思います。

①箴言について:箴言はへ語でマーシャルと言われ、「比較、類例、針」との原語の意味があります。箴言は知恵(へ語ホクマ)文学と言われ、知恵ある者の教えであります。信仰による生き方を実践的に説いています。神の教え(トーラ―)と言われました。

②子どもに対する教え:子ども(へ語エレド、ギ語パイデス)は、神の教え(へ語ト―ラ―)を守り、備えられた道(へ語デレク)を守る(へ語シャーマル)ときに、正しい生き方があたえられるのです。私たちにも神は今日も「聞き従え:へ語サーマ・ハ―ラク」と呼びかけられています。

③神からの教訓(へ語ムーサール):この言葉には「懲らしめ、訓練」との意味もあります。逆らう(ハ―ター)人は罪(ギ語ハマルティア:的はずれ)を犯します。いつも、どこででも上を見上げて真面目に進みましょう。主も共に働いてくださいます。

8月

2014.08.31
「私は弱い時にこそ強いのです」Ⅱコリント12章7~10節

 Ⅱコリント信徒の手紙12章の締めくくりに、パウロは自分の弱さ、経験を述べつつ逆説的に展開している。私たちは霊的、トータル的にこの内容を捉え、自身の信仰生活に生かしたいと思います。

①前回でパウロはすばらしい神秘的な体験をしました。彼自身の深い恵みになりました。今度は逆に彼が高慢(ギ語ヒュブリス)にないようにと、肉体に一つのとげ(ギ語スコロプス:針、杭)が与えられたと言う。それは彼を打つサタンの使いでもあると言うのです。

②パウロの願い:とげを取り去ってくださいと3度も祈るのです。とげとは何でしょうか。それは数々の肉体的苦痛、精神的苦痛であったのです。肉体的には眼病、バセドウ病、急激な発作、マラリア・・・。ほとんどこの面を指していると言われています。その他で迫害、誘惑、侮辱、苦しみ、経済・・・もトータル的には有ったと言われています。

③神の恵みは弱さの中に現れる:パウロの切なる祈りに対する主の答えが、「私の恵みは、あなたに十分である(ギ語アルケイ)・・・」と言われたのです。それを受けて、パウロは弱い私をキリストの力が覆う(ギ語エピスケーノオー)と告白している。喜んで私の弱さを誇り(ギ語カウカオマイ)ますと言う。

2014.08.24
「弱さ以外に誇るものはない」Ⅱコリント12章1~5節

 今日からⅡコリント12章に入ります。全体的なテーマは「霊的奉仕者の資質」です。コリント教会には余りにも人間的な働きを重んじる傾向があり、パウロは自身もニセ使徒たちに使徒職を傷つけられましたが、弁明と同時に、教会の役員や信徒に霊的な奉仕、各自の資質(英語クオリティ―)の大切さを勧告するのです。
①パウロの受けた主の幻(ギ語ホラシス)と啓示(ギ語アポカルプシス):パウロは、自分が天国(パラダイス)にまで引き上げられた話しをします。自分のことを客観的に話すのです。自分に注目が集まるのを、良きにつけ、悪しきつけ避けているのです。すべてをキリストに栄光(ギ語ドクサ)と誉れと威厳があると言うのです。

②具体的な神体験について:その人は14年前、第三の天(楽園)にまで引き上げられました。パウロはその不思議な体験を通して自分の召命(ギ語クレーシス)を確信したのです。

③11章から続く「誇り(ギ語カウカオマイ)」について:主からのこのようなすばらしい体験を誇りに思いますが、私自身は自分の弱さ(ギ語アスセネクヤ―)以外は誇りに思いませんと言う。何と謙遜(ギ語タぺイノホロスネー)な伝道者でしょう。

2014.08.10
「主の道を守る者の幸い」箴言8章32~36節・マタイ5章9節

 本日は平和月間に合わせて、最初にナザレン教団社会委員会が作成された「執り成しの祈り」を交読いたしました。また有名なフランシスコの「平和の祈り」を紹介いたしました。

①平和とは:へ語シャ―ローム、ギ語エイレネです。今日のマタイ5:9節はイエス様の大切な「山上の教え:8つの幸い」の1つです。私たちが 「平和を実現する人々は、幸いである」とあります。英語では「ピース・メーカー」と言います。つまり「造り出す」との意味です。幸いはへ語で「アシュレー」、ギ語で「マカリオス」と言います。祈り、各自がその立場で努力しましょう。

②箴言8章より:箴言は知恵(へ語ホクマー)の書と言われ、箴言の言葉もへ語でマーシャルといわれ、昔、漢方医が治療に用いた竹の針を例にとり、竹編で書かれて、私たちが生きる道(へ語デレク)で非常に大切な教え、指針となっています。

③神を見出し、従う者の幸い:混乱し、間違いの道が備えられそうな現在社会にあって、神の正しい諭し(へ語ピックード)、知恵に従い天国に向かい、共に前進させていただきましょう。

2014.08.03
「青年の歩む道」詩篇119篇9~16節

8月に入りました。8月は「ナザレン青年日、平和を祈る月間」です。本日は特に「青年」にたいするメッセージです。詩篇119編です。9節から16節は「若い人、青年」に対する奨励です。

①青年を取り巻く現状について:若い人はどのようにしたら、自分の道、人生を清く保てるかがテーマです。誘惑が多く、道を外すことも多い時代です。ユダヤの子どもは3歳から12歳までで律法を覚えると言われています。日本人はそうはいかないのです。

②神の御言葉を蓄えること:御言葉を通し、神を讃美し、告白するところに生涯の生きる拠り所があるのです。神を畏れ、神の御言葉に従って生きる時に、清めと幸いが生まれてきます。

③神の言葉を喜びとする:人生の道を歩み、生活するベースとして、諭しが正しく与えられ、歩むべき道が備えられる幸いを何ものにも代えがたいものと感謝しています。誘惑や惑わしに打ち勝ち、勝利と喜びに満ちた人生を送らせていただきましょう。

7月

2014.07.27
「パウロの数々の試練」Ⅱコリント11章21~27節

いよいよパウロの反論はクライマックスに達するのです。ニセ教師の攻撃に耐えていたが、ついに燃えあがり、この反論がコリント教会の信徒のためにもなると思ったからです。


①パウロの謙遜(ギ語プトーコス)と弱さ(ギ語エンドュナモオ―)について:当時のギリシャ社会には「強い者は善なる者、価値ある者、弱い者は悪い者、価値なき者」という考え方が広がっていました。ニセ教師たちはその論理でパウロ批判を展開したのです。


②パウロの姿勢:謙遜(ギ語プト―コス)と弱さ(ギ語エンドュナモオー)に徹していたが、さすがにニセ教師には反論して、主にあって誇り(ギ語カウオマイ)を持ち、キリストに仕える(ギ語ヒュポタッソウ)姿勢を強く出した。


③パウロのあった試練(ギ語ぺイラスモス):彼ほど多くの試練にあった伝道者はいないでしょう。ここに列記されているだけで17個もあります。原語では「試錬:ギ語ドキミオン」という言葉です。刀を精錬する様子に例えられます。だからこそ彼は「患難をも誇る」「弱い時こそ強い」と言うのです。

2014.07.20
「愚かな者のように誇ります」Ⅱコリント11章16~20節

今朝の箇所は偉大な異邦人伝道者パウロの弁明の本論が始まるところです。高ぶって誇る論敵にたいして「愚か者の誇り」というアイロニーを用いた手法です。主に有る愚かさ(ギ語アフローン)と誇り(ギ語カウカオマイ、へ語ガーア)、そして弱さ(ギ語アスセネイア)が中心点です。私たちもパウロに見習いましょう。

① 誇りについて:コリント教会に入って来た偽使徒が多くのことについて誇ったので、信徒が迷わないようにパウロもしかたがなく「彼の誇り」について証しする。彼は偽使徒と違い「弱さを誇る」のです。アイロニー(反証、逆説)手法と言われます。

② 愚か者(ギ語アフローン:道理をわきまえない者、無分別な者)について:偽使徒たちは肉によって誇り、霊的に低い教えをし、パウロを糾弾するのです。教会はそうなると低調になり、分派が起こります。祝されないのです。

③ パウロの我慢、忍耐(ギ語ヒュポモネー、マクロスモー):信仰には我慢、忍耐が必要と言われます。パウロは想像を絶する色々な事をされました。でも主にあって守られ、最初のビジョンを貫いてきました。必ず主の御心は行きとどきます。

2014.07.13
「偽使徒に気をつけよ」Ⅱコリント11章10~15節

パウロはコリント教会を愛し、心配しています。主にある誇り(ギ語カウカオマイ)がけがされて偽使徒(ギ語プセマ・アポストロス)に攻撃材料として利用されている。すべては神がご存じ(ギ語ギノスコー)と言う。


①パウロの誇り:自分の欠乏をマケドニアから来た兄弟たちが、進んで補ってくれたこと。アカヤ地方でもパウロの誇りは決して禁じられていなかつた。自給伝道や万事につけて偽使徒は批判したのです。使徒ヨハネも偽教師が教会に入り込むのを警告しました。 


②コリント教会に警告:偽使徒の入ったのを防がないで、異なる福音が宣べられ、間違った教理が教えられ、創始者パウロを排除しようとしていることの数々の出来事を指示している。


③ 偽使徒の働きを断ち切る(ギ語アポ):彼らはキリストの使徒に変装(エブンビオン)していると言う。サタン(ギ語ディアボロス)に例をとる。サタンは光の天使(ギ語フィオス・アンジェ)を装う(変装ギ語ヴォルポーネ)ぐらいです。注意せよと言う。

2014.07.06
「いつも必要が満たされる」Ⅱコリント11章5~9節

偉大な異邦人伝道者パウロの弁明(自身の牧会伝道、生活、他者に対する姿勢等)が展開されます。理想論でなくて、実際の日々の働き、生活が戦いの連続であったことが分かります。

①パウロ自身の有りのままの姿:大使徒(ギ語フぺルリアン・アポストローン)と自負し、一部の会員も認めている指導者と比べて、パウロは「確かに話しぶりは素朴(素人:ギ語エラシテクニス)かも知れないが、正しい知識(ギ語ディカイオス・グノスィ)は深く持っている」と言う。あなた方を高めるために自分を低くしたと言う。

②生活の面に関して:無報酬(ギ語アンレクイー)がいけないのでしょうか。最初は働いて自給伝道し、不自由な時は不思議と助けがあり、今まで守られて来たと言う。だから誰にも負担をかけなかったのです。いつも生活費(ギ語ビオス)が備えられたのです。

③コリント教会の創立:パウロの伝道で出来た教会です。最初はプリスキラとアキラの家で働き(天幕職人)、無報酬の自給伝道したのです。そしてシラスとテモテがマケドニヤ教会からの献金を持参して、伝道に専念することが出来たのです。

6月

2014.06.29
「神への熱い思い」Ⅱコリント11章1~4節

私たちのキリストの神は、熱情(ギ語ゼロス、へ語キィナァ)の神です。別の表現ではへ語「エール・カンナー」と呼ばれています。パウロもコリントの教会をこの神の熱愛(ギ語アガパオー)を持ち、熱い思いで愛しています。英語で「パッション」とも言います。

①パウロのお願い:私の少しばかりの愚かさ(ギ語エーウィル)を我慢(ギ語マクロスモ:寛容)してほしいと言う。もうそのようにしてくれていると感謝する。

②キリストと教会を婚姻関係に例える:コリント教会は純潔な処女として、キリストに献げたのです。しかしサタンや偽教師により、純潔が汚がされているのではないかと心配していると言う。

③違った福音を受け入れない:正しい福音(ギ語ユーアンゲリオン)からそれないように、我慢して正しい教理(ドクトリン)を学んで、聖書にあるキリストの福音を宣べ伝えて(ギ語ケリュソー)ほしいと願う。

2014.06.22
「各自の信仰の成長を願う」Ⅱコリント10章15~18節

今日の聖書箇所の中心語は「誇り」(ギ語カウコーマイ)という言葉です。前回でパウロは限度を超えては誇らないが、神が許してくださった範囲内では誇ると言いました。

①コリント教会の人々の信仰が成長(ギ語アウクセーシス)して、宣教(働き:ギ語パース)が増大すれば感謝であるとパウロは言うのです。だから、あえて他者の労苦(ギ語パスコー)を、限度を超えて誇らないのです。

②他の地域まで福音が告げ知らされる(ギ語ユウアンゲリゾー、ケリュソー)を願っている。他の人々によってされた活動(ギ語エクソシス)を誇ることはしません。

③パウロは「誇る者は主を誇れ」(エレミヤ9:23引用)と言う。どんな時にも、奉仕にも、何においても主に委ね、自己推薦(ギ語エクセレサス)でなく、主に推薦される人になりたいものです。

2014.06.15
「父の諭し」箴言6章20~23節

本日は「父の日合同礼拝」です。5月に「母の日礼拝」がありましたが、6月も「父の日」として、世界中のキリスト教会と共に守らせていただく幸いを感謝します。

① 父の日の起源:1909年、アメリカのワシントン州のソラナ・ドッド(ジョン・ブルース・ドッド夫人)は、「母の日」の説教を聞いて、「父の日」もあるべきだと考えました。自分の母親亡き後、ソナラと5人の兄を男手一つで育ててくれた父を尊敬していました。父の日記念礼拝が「教会、州、国」と広がり、1972年には国民の祝日となりました。

② 父の諭し:箴言はコへレト(伝道の書)、ヨブ記と並ぶ知恵文学で、古代イスラエルにおいて知恵(へ語ホクマー:神から来る)は重視されていました。父の諭し(へ語エードゥース)は最も大切な教え(へ語ヤーラー)の一つでした。箴言には何と1~7章と多くあります。

③ 父の戒め(諭し)と母の教え:私たちの人生を歩む灯、光となるのです。敬虔なイスラエルのクリスチャンの家庭において、家訓の一つでした。教えを肌身離さず持っていたのです。

2014.06.08
「福音に生きる教会」使徒言行録2章42~47節

本日は3大教会暦の1つで、ペンテコステ(聖霊降臨日)と言われています。また「花の日、子どもの日」と重なりました。今回はペンテコステのメッセージに中心を置きます。

①ペンテコステとは:ギ語で「第50番目(の日)」を意味するペンテーコステー(・へーメラ)に由来し、ユダヤ教の過越祭(ギ語パスハ)の50日後に祝われる祝日(七週の祭:シャヴーオート)で「五旬節」とも呼ばれています。イスラエルでの重要な祭りには、世界中のディアスポラ(離散民)が一時帰還して祝います。

②キリスト教会の誕生日:120人の祈りに答えて、約束の聖霊が天から降り、彼らはその力に満たされて宣教に励みました。ペテロの説教で3000人も救われた出来事も起こりました。

③史上最初のエルサレム教会の原点:聖霊の力と宣教で前進したのです。4つの特色がありました。「使徒の教えを守り、相互の愛の交わりを大切にし、パンを裂くこと(愛餐、聖餐)、祈ること」に熱心であったのです。私たちの教会も初代教会に学びましょう。
貧しい中で物を共有し、地域にも分け与え、共同体としての働きを重んじて、教会内外の人々から信頼されました。

2014.06.01
「上辺だけの信仰の愚かさ」Ⅱコリント10章7~11節

 異邦人伝道者であり、コリント教会に深いパウロは、彼を偏見の目で見る(ギ語プレべテ)人々に弁明するのです。パウロが色々な非難の目に会っている姿が分かります。伝道者の現実の厳しさを知らされます。

①上辺(ギ語プロソーポン)だけの批判(非難):彼が直弟子でなかったこと、以前にキリスト者の迫害者であったこと、外観が見栄えしなかったこと、気性が激しかったこと・・・。

②教会、信徒を造り上げる:そのための権意についていささか厳しすぎたかも、また誇りを持ったかも知れないと言う。そのことは恥にはならないと思うと言う。教会を健全に建て上げる(ギ語オイコス)は大変なことなのです。

③コリント教会の人々への心得:パウロはいつも同じ信仰、接しかたをしていると言うのです。あなたがたの方が色々憶測で、上辺で判断してしまっている。伝道者は決して「ぶれない」のです。


5月

2014.05.25
「キリストの優しさ・心の広さに見習う」Ⅱコリント10章1~6節

 Ⅱコリント人への手紙も10章に入りました。1~7章はパウロの務めについて、8~9章は母なる教会であるエルサレム教会への献金の訴え、10~13章はパウロの使徒職の弁明です。急に厳しい内容に変わります。「涙の手紙」の一部とも言われています。

①パウロはコリント教会に入り込んだ「偽教師」の非難、中傷(面と向かってはおとなしく見せているが、離れていると偉そうな強がりを言う)と批判するのです。信徒と彼を離そうとしたのです。

②パウロの弁明:キリストの優しさ(ギ語プラユス)と心の広さ(寛容(ギ語エピエイケイア)を持って人々に接していますと言う。使徒として重大な責任があったのです。

③パウロの戦いの宣言:それは肉に従う(ギ語カタ・サルカ)ものではなく、神から与えられた力(ギ語デュナミス)を持って戦うのです。人間的なものによらず、絶対的な神の権威である聖書と愛を持ち、働き伝道していると述べている。

2014.05.18
「実際的な奉仕の技」Ⅱコリント9章12~15節

 母なる教会(ギ語エクレシア:呼び集められた者の群れ)と呼ばれたがエルサレム(ギ語で神の平和、都)教会へ、パウロ先生の呼びかけで小さなマケドニア諸教会が献金(ギ語ロゲイア:贈り物)したことで、大教会であるコリント教会も合わせて献金した恵みが述べられています。

① 献金は神への奉仕の働き、業:神の恵み(ギ語カリス)にたいしての応答、感謝の献げもの(ギ語ドレア)です。神はその心を喜ばれます。恵みをかみしめ、数えつつ、祈り心を持って惜しまず献げよとパウロ先生は勧めます。

② 惜しまず献げた人、奉仕した人、教会に対して:神は惜しみなく何倍にも与えてくださいます。その結果、多くの人々が神の恵みをほめたたえて、感謝に溢れ、教会も大いなる祝福を得ます。

③ 私たちの全ては神から預けられています:経済的なこと、健康、仕事、家族・・・すべてです。恵みに変えられたコリント教会は、人々から慕われる(ギ語エピポソ)ようになりました。感謝

2014.05.11
「神が喜びとされる女性」イザヤ書62章1~5節

 本日は「母の日礼拝」です。出エジプト記20:12「あなたの父母を敬え」とあります。母の日を敬虔な思いを持って送らせていただきたいと思います。

① 母の日の由来について:1908年にアメリカのウェスト・ヴァージニア州のウェブスターという小さな町にある「メソジスト教会」で、ジャービス夫人の記念会が行われました。娘のアンナが母が好きだったカーネーションを飾り、多くの方々が感動したのです。その後、5月第2聖日が母の日としてカーネーションを飾り、お母様方に感謝する時となったのです。

② シオン(エルサレム)の回復:イザヤ62章は第3イザヤ(56章~66章)にあり、あのバビロン捕囚(苦しい50年間)から解放されたユダヤの人々が、預言者イザヤに励まされて再建に取り組むのです。神はエルサレム(神の平和、神の都)をこよなく愛しておられます。イザヤの時代から800年近くして、預言されていたメシアが誕生して、世に真の救いが成就するのです。

③ 「母なるエルサレム」の輝き:「彼女の正しさが光と輝き出で、彼女の救いが松明(たいまつ)のように燃え上がる」イザヤ62:1

2014.05.4
「惜しまず豊かに蒔く人」Ⅱコリント9章6~10節


 久し振りにⅡコリントの手紙の講解説教に帰ります。本日の箇所は9:6~10節です。8~9章は献金の問題が展開されていました。本日は種蒔きと、成長(成熟)そして施しの問題です。

①献金を種蒔きのたとえに教えています:惜しまず捧げる(ギ語エピコレゲオ)者の幸いが書いてあります。パウロは捧げることは蒔く事で、芽を出し、実を結ぶことを意味すると言う。

②豊かに捧げる(ギ語エプ・ユーロギアイス)ことが大切で、いやいやながら、また強いられてでもなく、心で決めたとうりさせていただくのが献金であり、奉仕なのです。

③神が増やし、成長(ギ語オ―キシン)を与え、実を豊かに満ち足りて(ギ語パーサン)結ばせてくださいます。捧げること、施し(ギ語ネモー)は神の大きな恵み(ギ語カリス)です。



4月

2014.04.27
「大漁の奇跡」ヨハネによる福音書21章3~6節
説教者:鈴木龍生 師




 弟子たちは、主がガリラヤへ行くようにと言われた御言葉に従い、ガリラヤに来ていました。そこには七人の弟子たちがいました。

①主が七人の弟子たちに現れる (1節)
 主は「何か食べる物があるか」と言われると、彼らは「ありません」と答えました。その時、大魚の奇跡がありました。ヨハネは以前の奇跡を思い出して、すぐに主に目を留めたのです。

②復活の主のご馳走を得る (13節)
 主はパンと魚を取り、彼らにお与えになりました。

③あなたはわたしを愛しますか (15節)
 みな弟子たちとして失敗した者ばかりであります。わたしはあなたに聞きたい。主を愛するから、主の小羊を養うことに自分自身をささげること、ほかの人のために生きなさいと主は仰せられました。

2014.04.20
「生ける主に出会う」ルカによる福音書24章28~35節


 イースタ―の祝福をお祈りいたします。イースターは3大教会暦の1つで重要な日です。復活がなければ今日のキリスト教は無いと言われています。祈りつつ復活信仰に立たせていただきましょう。

①復活の言葉:ギ語の原語で「エゲイロー」と言い、立ち上がらせる、上にあげられるとの意味です。他の言葉で「アナスタシス」とも呼ばれます。十字架の死と復活は最も重要な教理です。

②エマオ村に帰る2人の弟子に、旅人の姿で同行されたイエスは、何時間も一緒におられ、語り合っていながら、なぜ彼らにとって見知らぬ人であったのでしょう。それは「彼らの目がさえぎられて」、イエスを認めることが出来なかったのです。

③パン裂きをされるイエスの姿を見た時、彼らの目が開かれ、思い起こさせ、復活の事実にあたるのです。復活の大切な点は、復活こそ力であり、命であり、希望なのです。感謝いたします。

2014.04.13
「主の聖餐」ルカによる福音書22章14~20節

 レント(受難節)もいよいよ受難週に入り、本日はイエスがエルサレムに入城される「棕櫚の聖日(パームサンデー)」です。金曜日に十字架に付けられ、我らの罪の身代わりとして、死んでくださるのです。来週はイースタ―(復活日)です。

① 最後の晩餐:ラスト・サパーと言われ、聖餐の原型になっています。イスラエルには3大例祭というものがあります。過ぎ越し祭り(ぺサハ)、七週の祭り(シャヴォート)、仮庵の祭り(スッコートまたはスコット)です。ここではぺサハに起源を持つものです。イエスが弟子との最後の晩餐をされ、パンとブドウ酒を通して、十字架の死を記念するのです。

② 聖餐の意味:ギ語ユーカリストと呼ばれ、5つの内容があります。プラカ―(父なる神に感謝)、アナムネーシス(キリストの記念として)、エピクレーシス(聖霊の呼び求めと授与)、コミュニオン(交わり)、ミッション(宣教)です。

③ 聖餐の目的:新しい契約(へ語べリット)を結ぶこと、その新契約が血によって保証される。主の十字架をいつまでも記念し、主の体である教会の一致を呼び求める。大切な点です。

2014.04.06
「贖罪」へブル9章11~15節

レント(受難節)の中での関連メッセージです。同時に本日は記念すべき新年度(2014年度)の最初の礼拝です。
説教題が難しい「贖罪(しょくざい)」とのテーマをつけてしまいました。十字架でイエス様が私たちのすべての罪を贖ってくださいました。イエス様の「十字架の死と復活」は信仰の核心です。

① ヘブライ人への手紙は、主の無現の愛を、主イエスの贖いの血潮が流されたことによって証しているのです。旧約において、人間を罪から清めるために、神殿において牛や羊の動物の血が振り掛けられ、大祭司を通して至聖所で年に一度の祈りがされました。

② 贖罪について:代表的な3つのヘブライ語があります。パーダー、ガーアル・ゴーエル、カーファルという語です。ギリシャ語では「アポリュトローシス」と言い、「あがない」と言われています。
旧約のレビ記16章に語られている大祭司による贖罪の儀式を、キリストが十字架で成就してくださいました。

③ キリストの血:「血」という言葉は、へ語ダーム、ギ語ハイマと呼ばれ、聖書では魂が血の中にあると言われています。血が生命作用と極めて密接な作用をもつからです。キリストの血が人の命を救いました。人には贖罪が必要なのです。

平成25年度・下半期

2013年10月~2014年3月

3月

2014.03.30
「病と痛みを担われた主」イザヤ書53章4~6節

 本日も先週の礼拝説教に続いて、「苦難の僕」のメシア預言です。内容はより具体的に展開されています。そして十字架への苦難と死につながります。イザヤの預言はなんと鋭い視点でしょうか。

①苦難の僕の病、痛みとは:病とはへ語(ホオリ)で、痛み、苦しみとはへ語(マクオブ)です。背景には「捕囚の苦しみ、悲しみ」があります。今の平和付けになった我々にはほど遠いお話しです。
イエス様は自らも苦しみ、悲しみ、病をも負うておられたのです。

②病の意味:メシア説では、「罪」を表す象徴的表現、一般説では「苦しみ」を表すと言われている。メシアであるイエス様は両方を体験されていた。現代医学を超えた病の現象です。

③神の小羊:古代では神に供える犠牲・生けにえの動物として用いられたのです。有名な捕囚の地エジプトでは、「過ぎ越しの小羊」として神が彼らの災いを除かれた。700~800年後に「神の子羊イエス」が、我らの罪の身代わりとして十字架について、贖いの業が成就するのです。何と遠大な神の救いの業でしょう。

2014.03.23
「彼は軽蔑され、見捨てられた」イザヤ書53章1~3節

 受難節(レント)に5日から入っています。今日からその関連メッセージに入ります。イザヤ書はエレミヤ書とエゼキエル書と並んで3大預言書と言われています。イザヤから約800年後に預言されていたメシアである「イエス・キリスト」が誕生されるのです。イザヤ53章は第二イザヤ(40~55章)の中心にあります。

①苦難の僕(しもべ):へ語:マサツ、エベドの代表的な箇所です。
11章1節にある「若枝:へ語ナシャール(ネーゼル)」に表現されるメシアは、絶望的な中から芽生えて来るのです。

②メシアの容姿と心とは:見る影もない姿で、軽蔑(へ語バーザー)され、見捨てられ(へ語サバクタニ)た。さらに彼は人々の多くの痛み(へ語マクオブ)と、病(へ語ホオリ)を知っていたのです。

②イエスの苦難と死:イザヤ預言の「苦難の僕」に原点があったのです。「いけにえの小羊」として、身代わりの犠牲として(英語:スケイプ・ゴウト)屠り場に引かれて行く(53:7節)小羊は、まさに十字架へのイエスをあらわし、すべてが私たちの罪の赦しのためでした。

2014.03.16
「クリスチャンの熱意」Ⅱコリント9章1~5節

 Ⅱコリントの手紙の講解説教も、本日でしばらくお休みです。レント(受難節)に入っていますので、来週から「受難節メッセージそして復活のお話し」に入ります。

①パウロは献金の問題を単なる経済的な問題に留まらず、信仰の本質的な事項として重んじている。私たちの考えと異なるように思う人々も多い。異邦教会とエルサレム教会が一体となり、神の民が対立や数々の障壁が取り除かれた事は尊い出来事だった。

②献金からくる奉仕(ギ語ディアコニア)、加わる恵み(カリス)、贈り物(ユーロギア)、愛の交わり(コイノニア)が生まれてきた。

③パウロはコリント教会の熱意(ギ語エンテオス)を感じ、誇り(カウケーシス)に思うと書いています。だから側近のテトスや信頼出来る兄弟たちを送ったと言う。ここでの募金(へ語テルマー)の問題は宣教はじめ諸問題に密接に関わってくるのです。

2014.03.09
「クリスチャンの誇りと証し」Ⅱコリント8章23~24節

本日の箇所はパウロがコリントへ派遣する人たちの紹介記事です。パウロが最も信頼するテトスをはじめ他の兄弟(弟子)の推薦です。

①愛弟子テトス(尊敬すべきとの意味)について:彼は私の仲間(ギ語コイノノス)であり、私とコリント教会の仲保者(ギ語メシテス)で、協力者、同労者(ギ語スュネルゴス)なのです。改めてコリント教会にテトスを推薦します。

②二人の弟子について:テトスと同伴するのです。彼ら二人は全教会の代表であり、パウロは彼らを「諸教会の使者(ギ語アントロポス)、キリストの栄光(ギ語ドクサ」とまで言っています。

③ パウロがコリント教会に願うこと:パウロは今回の件をただ献金の問題とだけにあつかわず、信仰の問題、愛と信頼の問題として重んじている。私が抱く誇り(ギ語カウケーシス)を彼らに示してほしいと願う。

2014.03.02
「公明正大にふるまう」Ⅱコリント8章20~22節

パウロは教会間における「募金:へ語テルーマー、ギ語コイノニア」については細心の注意を払ったのです。募金は神の恵みの反映であり、信用につながるものですから信頼出来る弟子を送るのです。

①献金の取り扱いについて:パウロは特に慎重であり、誰からも非難されることのないように気を配り誠意をみせた。コリント教会にはテトスと他の信頼出来る2人の弟子を送るのです。

②教会での献金の取り扱いについて:パウロは主の前でも、人前でも「公明正大」(公正:ギ語ミシュパート、へ語ターミーム)でなければいけないと言う。コリント教会からエルサレム教会に派遣されて行くのです。

③パウロの心を心とする同志について:テトスはコリント教会との間を取り持つ役目をした同労者でした。ひとりは福音の宣教者であり、もうひとりは熱心な教会の補助者であったと言われています。3人とも共通する点は、主とパウロの前「熱心:ギ語ゼロス、ラ語ゼールス」であったのです。彼らはよろこんで奉仕:ギ語ディアコノスしたことです。

2月

2014.02.23
「同伴者として任命される」Ⅱコリント8章16~19節

パウロは弟子(ギ語マテーテース)であり、同労者(ギ語スネルゲー)であるテトスを信頼していました。大切な献金の件でテトスの同伴者(ギ語カイネーディアテーケー)として、信頼出来る2人の兄弟(諸教会から任命された)を遣わしたのです。

①テトスはパウロと同じ熱心な思いを持ち、進んでコリントの教会に行こう(ギ語エクセールセン)としています。パウロは諸教会から推薦された優秀な2人の兄弟(働き人)を同伴させます。

②パウロは献金の問題を、ただ単にお金の問題だけとしてしては取り扱わない。いつも信仰の問題として扱い、具体的な業により表れると信じたのです。神の恵みへの応答なのです。

③献金は神への信頼、誇り(カウケーシス)です。3人をコリント教会に遣わすのはパウロの誠意であり、パウロに対する信頼回復、コリント教会の献金(ギ語ロゲイヤ)が母なるエルサレム教会の助けになるためでした。最終的には神の栄光(ギ語ドクサ)になるためです。

2014.02.16
「今、必要なことをやり遂げなさい」Ⅱコリント8章10~15節

パウロはⅡコリントの手紙では、悲しみが祝福に変えられ、8~9章では、キリスト信仰の真髄の「十字架と復活の恵み(ギ語カリス)」に真に与ったクリスチャン、教会は生き方が変えられ、献げる人生と変えられて行くと述べる。例として貧しいマケドニア州の諸教会の母なるエルサレム教会への献金をあげている。

①主キリストは富んでおられたのに、貧しく(ギ語プトーケウオー)なられた。ご自分の命まで捨てられました。その死により私たちは新生し、富む者とされたのです。

②イエス・キリストは「人にしてもらいたいと思うことを何でも、人にしなさい(黄金律」(マタイ7:12)、「与えなさい。そうすれば、あなたがたも与えられる」(ルカ6:38)と言われました。

③「献金」は何よりも「恵みのわざ」です。「命じられてするのではなく、自主的に喜んでするものですと」とパウロは言うのです。愛と交わり、相互扶助の精神が主を中心として展開されます。

2014.02.09
「主の貧しさに与る」Ⅱコリント8章8~9節

 本日の聖書、Ⅱコリント8章は「恵みのわざ」について書かれています。私たちのお手本であるイエス様は、富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられたとパウロが言うのです。
 そしてⅡコリントの手紙8、9章の中で母なる教会のエルサレム教会に対する献金依頼を呼び掛けているのです。

①パウロはコリントの教会に対して、あのマケドニアは極度の貧しさ(ギ語プトーケイア)にもかかわらず、母なるエルサレム教会に献げもの精一杯したのです。彼らはいつも次のように言っているんおです。「なぜならキリストの恵み(ギ語カリス)と愛の思いやり(ギ語メトリオパセオー)に与っている(ギ語コイノニア)から」と。何と幸いな信仰でしょうか。

②パウロはエルサレム教会を援助するにあたり、直接には「献金」という言葉をつかわずに、別の色々な言葉で言い表しています。慈善の恵み、奉仕、豊かさ(献金)、贈り物、礼拝、交わり・・・これらはすべて「献金」と結びついています。

③献金はお賽銭では有りません。また教会の維持会費でも有りません。信仰(十字架の死と復活を信じる)のあらわれです。神の恵みに応答する信仰の業、神への献げものです。

2014年1月

2014.01.26
「イエスの名により立ち上がりなさい」使徒言行録3章4~8節

 今朝の内容も先週に続いて「伝道に関する」ことです。パウロとヨハネが長年(40年以上)に渡り苦しんでいた足なえの人への慈しみといやしの記事です。現在も何と多くの人々が苦しんでおられることでしょう。神の愛の伝達が速やかに実現しますように。

①この出来事の背景は「美しの門」の外側で、3時の祈りを捧げる人々に施しを乞う足なえの男の人の姿です。美しの門は神殿の異邦人と婦人の庭の間にある豪華絢爛たる門です。9時、12時、そして3時の祈りの時があるのです。

②ペテロとヨハネに施しを乞うこの男の人に、2つのことを言いました。「わたしたち見なさい(ギ語ブレポー)」、「金銀は無いが、イエス・キリストの名(ギ語オノマ、へ語セーム)によって立ち上がれ(ギ語エゲイロー、アニステーミ)」と言い、右手を取り彼を立ち上がらせた。

③彼の人生は劇的に変わり始めました。イエスを信じて立ち上がり、新たに歩き始めたのです。彼は福活(エゲイロー)したのです。人として新しい人生に踏み出したのです。踊り上がりながら神を讃美しました。一緒に神殿に入り神を礼拝したのです。

2014.01.19
「すべての人々が救われますように」Ⅰテモテ2章1~7節

本日はテモテ第一の手紙を通して、「正しい礼拝、教会での集いの秩序」を学びます。そして神様は「すべての人々が救われて真理を知ること」を」願っておられ、我々にその伝道の働きを求めておられる。今回の「グラハム宣教大会」が絶好のチャンスです。

①パウロ先生は最後まで仕えた忠実な愛弟子テモテ(神を崇める者)に、何よりも神様に感謝(ギ語ユーカリスト)し、祈りから始めよと言われる。祈りの4要素は「願い、祈り、執り成し、感謝」だと教えられる。

②私たちはこの世に生きるものですから、王や高官のためにも執り成しの祈りをしなければならないと言うのです。クリスチャン生活の4要素「信心、品位、平穏、落ち着き」が示されています。

③神様は自らを贖い(ギ語ガーアル)の備え物として捧げられました。救われた私たちは「証し(ギ語マルツリア)」のために、宣教(ギ語ケリュグマ)、使徒(ギ語アポストロス)、教師(ギ語ディダケー)として任命されたのです。それぞれに使命があります。

2014.01.12
「預言の言葉を確かなものにする」Ⅰペテロ第二の手紙1章19~21節

ペテロ第一の手紙は、暗闇の時代の中で多くの試練(火のような)を前にして、堅く信仰に立ち、耐え忍ぶことが教えられています。
 このペテロ第二の手紙では、偽教師や異なる教え(グノーシス主義等)が入り込み、混乱を起こしていたのです。
① 神様から与えられた尊く純粋な信仰を守り、常に聖書の言葉に耳を傾け、キリストを深く聖霊により知り、礼拝ごとに「真に信仰告白」をせよ勧める。
② 偉大な預言者(へ語:ネビイーム)を通して語られた聖書の預言(へ語:ナービー)の言葉(ギ語:ロゴス)を、常に学び、自分勝手に解釈すべきでないと言う。ペテロは真の知識の確証として、確かな預言の御言葉を持つかどうかにかかっていると言う。
③ 暗闇の中に光として「明けの明星(へ語へーレール)」が昇るごとく、人々は待ち続けたのです。キリストにあっては「再臨の時(ギ語パルーシア・カイロス)」として備えられるのです。キリストはやがて「義の太陽:マラキ4:2」として君臨されます。

2014.01.05
「ひとつの事を主に願い、それだけを求めよう」詩篇27篇4節


本日は新年礼拝で、新年の「教会標語」からメッセージをいたします。今年の目標として心に刻んでおいてください。標語は「ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。」詩篇27:4aです。

①詩篇51編は大変有名です。ダビデがその子アブシャロムの企てが破れて、勝利が与えられた時に歌われたものと言われています。
1~3節は戦場の様子が描かれ、厳しい戦いの中で主が「希望の光、真の救い、強固なとりで」となってくださった告白しています。

②ダビデの最も優先にし、守ったものが4節の言葉です。生涯を通して求め、大切にしたものは「主の家で、主との交わり」でした。神様が臨在される宮で、神様からの御言葉を頂き、讃美と祈りを献げることでした。つまり「真の礼拝」を捧げることでした。

③へ語「シャーアルティ アッハト」の意味は、「一つのことを私は願った」とのことです。私たちの人生において、最も大切なことは何でしょうか。優先順位を第一に神様(信仰)と位置づけているでしょうか。ダビデは宮で主の麗しさを仰ぎ見て、喜びと感謝で黙想したのです。信仰者にとって礼拝こそ最優先の恵みです。

LinkIcon2014年1月5日・礼拝説教


12月

2013.12.29
「すべての出来事を心に留めよ」フィリピ4章8~9節

 今朝の礼拝で今年最後のメッセージです。パウロの書いたフィリピの手紙でも「おわりに、兄弟たち、色々なあったことを心に留め(ギ語:キゾマイ、またはロギゼスセ)なさいと言っています。私たちも今年あったことを心にしっかりと留めて、新しい年を迎えたいと思います。

①フィリピ教会の背景:最初にパウロがヨ―ロッパ大陸に伝道した地です。当時のローマの植民地で、マケドニヤの東の隅にある地方第一の都市であった。有名な幻の中で、マケドニア人の叫び、懇願に応えて、聖霊の特別な導きにより行き、伝道した地です。

②熱心な信徒ルデヤをはじめ多くの信徒に助けられ、開拓伝道は実を結んで行くのです。しかし迫害により投獄されます。しかし不思議な神の力により助けられ、獄吏の一家が救われるような出来事も起こる。

③その後、エルサレムにパウロは帰るのですが、再び迫害を受け、カイザリヤに2年間も幽閉されるのです。後にローマに護送されるのです。この手紙は「獄中書間」といわれていますが、もう一方では「喜びの書間」といわれています。キリスト教倫理の数々をしっかりと心に留め、聞いたこと、見たことを実行しなさいと彼は愛を持って勧めるのです。

LinkIcon2013年12月29日・礼拝説教

2013.12.22
「世界中に喜びのおとづれが」ルカによる福音書2章8~20節

 クリスマス(神の御子イエス様のご降誕日)おめでとうございます。今朝はルカの福音書2章から、有名な羊飼いたちへの「救い主誕生の告知」を学びます。

①羊飼いたちにクリスマスの最初の御告げが:ベツレヘムの野原(標高700メートル)の丘陵地帯での羊飼い(当時の最下層民)に、天の使いが光と共に神の御告げをした。それは「きょうダビデの町ベツレヘムに救い主が生まれた」という内容であった。

②主の栄光と讃美:光が彼らをめぐり照らし、神を讃美する天の大合唱が始まった。彼らは非常に恐れた。世の暗闇の中に、救いの光が照らされたのです。「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたのために伝える~。」驚くべき天の讃美が始まるのです。全地に響き渡るのです。

③讃美の内容:「天に栄光、地には御心にかなう人々に平和がありますように。」でした。何と幸いなことでしょうか。クリスマスは神を讃美し、平和を祈る時です。その神の愛を伝える宣教の時です。

LinkIcon2013年12月22日・クリスマス礼拝説教

2013.12.15
「イエス誕生の予告」ルカ1章26~38節

 いよいよアドベント(待降節)第三主日礼拝を迎えました。本日は聖母マリアに天使からの「受胎告知」があり、マリアは信仰を持って応答し、神の御子イエスをこの身に宿すことを受け、祈り備えるのです。

①おとめマリアとは:ダビデ家のヨセフのいいなずけであった。ナザレの村で育っていたのです。彼女に天使が神の受胎告知をするのです。「おめでとう、恵まれた方(ギ語でカイレ、アヴェマリア)」。

②天使の励まし:「恐れる(へ語でヤーレー)ことはない。神からの恵みとして、イエスというすばらしい子を産む。その子は聖なる子、神の子であり、すべてをおさめ、救い主となられる方となられる。」

③マリアの信仰と応答:「はしため(ギ語でドゥーレー)」としての自覚、すべてを委ね切った信仰、仕える者(ギ語のディアコノス)としての姿に、わたしたちは感動を覚え、教えられるのです。でもある面では命がけの信仰でした。イエス様も「十字架の死まで従順であられました。」(フィリピ2:8)。

LinkIcon2013年12月15日・礼拝説教

2013.12.08
「正義の若枝が生まれ出る」エレミヤ書33章14~16節

 アドヴェント(待降節)第二主日礼拝を迎えました。良き備えを持ってクリスマス(主イエス様のご降誕日)を迎えましょう。

①本日の聖書のエレミヤ書背景:紀元前(AD)7世紀にイスラエル北王国はアッシリアに滅ぼされ、その後、南王国のユダも新興国バビロンに征服されて、捕囚民となるのです。預言者エレミヤは滅亡に瀕したエルサレム(神の平和)にあって、ダビデ家の復興と、救い主メシアの到来を預言し、人々に希望を与える。

②正義の若枝が生え出でる:「エッサイの切り株から一つの芽が萌え出て、その根から一つの若枝(netzer)が育ち~」(イザヤ11:1)とあります。エレミヤは「若枝(若木)」という言葉で「メシア」を表現しました。

③公平(公義)と正義のキリストの復興預言:真の預言者、王、大祭司であるキリストが、イスラエル人を解放し、神殿を立て直し、平和を取り戻し、神の国へと導いて下さいます。涙の預言者エレミヤの言葉は、じつに信じる者にとって「希望のことば」です。

LinkIcon2013年12月8日・礼拝説教

2013.12.01
「イエス誕生の旧約預言」イザヤ書9章5~6節

 本日から「アドヴェント(待降節)」に入ります。4週後に来ます「クリスマス(キリストの誕生日)」を祈り、待ち望みましょう。この期間がひとりひとりにとりまして静まり、悔い改め、清められた時となりますように祈ります。

①アドヴェント(待降節)の意味:5世紀ごろから始まったと言われています。キリスト誕生の準備期間として4つの主日(週間)をさします。アドヴェントは「来臨、到来」の意味があります。ラテン語で「アドべニオー」から来て、アド「前へ」、べニオー「行く」との原義があります。クランツ(冠:崇敬)に4本のローソクが立てられ、最初に1本のローソクに火が灯されました。ローソクは希望、平和、喜び、愛をそれぞれ表します。「主の御降誕」を祈り待ち望みましょう。

②メシア預言:このイザヤ書9:5~6節は、あの有名な7:14節に続いて、キリストが地上に誕生される750年程前に「メシア預言」として表された箇所です。イザヤは南王国ユダで活躍した大預言者です。特にアハズ王の時に活躍したのが有名です。

③「みどりこ」の誕生預言とその4つの性質:ひとりの男の子であり、それは「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の神」と尊称された。苦難と暗黒の中に苦しみあえぐ民に、神はイザヤを通して希望の約束を与えられるのです。イザヤとは「主は救う」との意味があります。やがてこの預言の成就は実現します。

LinkIcon2013年12月1日・礼拝説教

11月

2013.11.24
「荒れ地から牧草地へ」イザヤ書49章9~13節

 本日は「収穫感謝礼拝」です。世界中の教会でその主旨で守っています。日本では「勤労感謝日」として昨日の祝日が有りました。

①収穫感謝日の起源について:
1620年(今から393年前)9月16日に、英国の清教徒(ピリグリムファーザーズまたはピュリタン)102名がメイフラワー号で大西洋を渡るのです。信教の自由を求めてでした。それは長い苛酷な船旅でした。

②北アメリカのプリマスに上陸したのが寒い11月でした。そこから厳しい越冬が始まるのです。食べる物も着るものも少なく、農耕のすべも知らず、半数の人々が死にました。やがて春になり、親しくなった原住民(インディアン)に種子をもらい、農耕を教えてもらい種をまき育て、秋に収穫を得ました。初穂を神に献げて感謝祭(礼拝)をしました。アメリカではそれらを記念して11月第4木曜日が祝日となり、建国のルーツとされています。

③捕囚の民の回復:歴史は民族や人々の運命を超えて進みます。捕囚の民は解放の時を迎えました。荒れ地は牧草地になり、彼らはもう飢えることもなく、神が喜びと自由を与えて下さったのです。


LinkIcon2013年11月24日・礼拝説教

2013.11.17
「子どもを祝福するイエス様」ルカによる福音書18章15~17節

 今日は「子ども祝福合同礼拝」」です。CSの子どもたちや、教会員のお孫さんたちが参加して、牧師先生から祝福の祈りを受けます。子どもたちの為に祈りましょう。

①一般的には「七五三のお参り」と言われ、平凡社百科事典を見ますと、「この日は五歳の男児・三歳と七歳の女児を神社に連れて行き、子どもの成長を承認し祝う儀礼」と書いてあります。元々ユダヤでも同じような習わしがありました。

②ユダヤでは3歳から宗教教育を開始し、宗教行事(祭り等)に参加、5歳でミクラ(聖書)を学び、7歳になると近くの会堂(シナゴーク)付設の初等学校(義務教育)で聖書本文、歴史等を学ぶのです。教会では子どもを大切にし、祝福を祈ります。

③本日の聖書本文では、子どもを会堂司(ラビ)のところに連れて行き、頭に手を置いて祝福のお祈りをしていただく光景が描かれています。特にイエス様に祝福していただくために連れて来た。弟子たちは「たしなめて、子どもを連れ出そう」としたのです。イエス様は憤られ、「子どもをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない、神の国はこのような者の国である」と言われた。


LinkIcon2013年11月17日・礼拝説教

2013.11.10
「惜しみなく捧げる喜び」Ⅱコリント8章1~7節

 教会は常に生きて働き、多くの業がなされています。パウロはマケドニアの諸教会(ピリピ、テサロニケ、ペレヤ)の例をあげ、激しい迫害、困難、極度の貧しさの中にあっても多くの人々に惜しみなく施し(ギ語:ハプロテース)をしたことを感動を持って伝えています。

①8~9章は「献金、施し」の事について伝えています。使徒の働き16、17章を見ますと、パウロはマケドニア諸教会で激しい迫害と患難に耐えながら福音を語り、それぞれの教会の現状、貧しさも知っていました。その中で彼らは精一杯献金、奉仕、自分を主に奉げている姿に感動を覚え、手紙で彼らの信仰を伝えた。

②パウロはコリント教会の信徒たちの長所を幾つか挙げている。信仰、言葉、知識、熱心、愛・・・である。御霊の実や賜物には富んでいた。さらに献金という恵みのわざにも富んでほしいと願う。

③献金の3つの祝福(恵み:ギ語カリス)挙げる。
与える喜び、礼拝の応答、真髄を学ぶ、キリストの御姿に近付けてくれる。パウロの思い以上にマケドニア諸教会は霊的に成長していたのです。献金、奉仕の奥にある献身が心を打ったのです。

LinkIcon2013年11月10日・礼拝説教

2013.11.03
「人生の港」詩篇107篇28~32節

 本日は「聖徒の日:召天者記念礼拝」です。先に天に召された方々(前に置かれている写真の方々)を偲び、この方々と共に記念礼拝を守らせていただいています。時や場所を越えて、共に讃美し、祈り、尊い交わりの時が備えられています。感謝なことです。

①聖徒の日(召天者記念日、永眠者記念日)とは:時を定めて死者を記念する事は、初代教会から色々な形で行われて来ました。グレゴリウス3世(731~41年)の時に、「諸聖徒の日:オールセインツーデー(万聖節)」として、11月1日に定められ、後にプロテスタント教会は、11月最初の聖日を聖徒の日礼拝として守って来ました。

②聖徒の日の精神:「想起:ギ語でアナムネーシス」です。元々この言葉は「聖餐式」に用いられるものでした。聖餐も含めて、私たちが「忘れないため」という精神が大切なのです。60周年を迎えたこの教会に、多くの信仰先達がおられ、教会を守って来て下さいました。私たちは「多くの証人」に囲まれています。

③詩篇107:30「望みの港」に導かれています。今の讃美に有りましたように、嵐の時も、困難な時も私たちを守って下さる神は、「いと静けき港に着き」と、天国への道に導いて下さる。

LinkIcon2013年11月3日・礼拝説教


10月

2013.10.27
「外には戦い、内には恐れがある」Ⅱコリント7章5~9節

 パウロの重要な教理や教訓を、この手紙を通して私たちは学ぶことが出来ます。2000年前の出来事が現在の私たちの問題と少しも変わらないことを知り、驚きを持って受け留めます。

①パウロはエペソ伝道を終えて、トロアスに行き、愛弟子のテトスに会いコリント教会の諸問題を解決する予定であった。ところが会えなかったので、マケドニヤに渡った。

②最初は彼の心身(ギ:プニューマ・サルクス)には「安らぎ:ギ語でシャローム」」がなかった。「外なる戦い、内なる恐れ」があった。しかし神からの慰め(ギ:パラクレーシス)があったのです。気落ち(ギ:タぺイノス)した者に慰めを下さる神です。

③到着したテトスからコリント教会の信徒が、誤解を解き、パウロに対して慕情(ギ:エピポテーシス)を持っていることを聞き、彼もその慕情に答えて熱愛(ギ:ゼーロス)したのである。まさに涙の手紙、涙の交流の姿に深く教えられます。

LinkIcon2013年10月27日・礼拝説教

2013.10.20
「生死を共にする神」Ⅱコリント7章1~4節

 コリント第二の手紙は「パウロの涙と慰めの手紙」と呼ばれています。コリント教会の兄弟姉妹たちを愛し、愛するが故に「世的なもの」から霊的に分離(聖別:ギ語でハギオス)されなさいと勧告するのです。神を畏れ、聖きを全うしなさいと言うのです。

①7:1は前章を受けた要約であり、私たちナザレン教会が最も大切にしている「聖め、聖化」の信仰が両面に展開されている。消極的と積極的な面です。聖なる者(ギ:ハギオイ)なりましょう。

②心を大きくして、開いて行く大切さ:パウロはなぜこのような訴えをしたでしょうか。一部の信徒の心がかたくなで、パウロに対して閉ざされていた点があったのです。互いの信頼(ギ:パレーシア)関係が大切なのです。

③生死を共にする関係:厚い信頼、慰め(ギ:パラクレーシス)、喜び(ギ:カラ)が深められて行きます。苦難(ギ:パスコー)の中にあっても喜び、感謝(ユーカリスティア)に満ちています。

LinkIcon2013年10月20日・礼拝説教

2013.10.13
「各人は生ける神の神殿」

 本日は「ナザレン教会創立記念日」です。全世界のナザレン教会は記念の礼拝を持っています。18世紀にジョン・ウェスレーが英国で創立したメソジスト教会の流れをくむ、「新生と聖化」の教えを大切にする教会、教団です。私たちもこの教理を大切にしましょう。

①ナザレン教会の創立精神:1895年10月、アメリカ西部において、アメリカ・メソジスト教会から分離した「ブリジー博士」を中心に135名の創立会員を持って、カリフォルニア州ロサンゼルスで第一ナザレン教会が結成されました。日本では色々な経緯はありましたが、実質的には1915年1月に喜田川広師が郷里の熊本で伝道を開始されたのがスタートと言われています。

②心を広くする:コリント教会には非常に排他的な考えや、心の狭い人々がおりました。パウロの使徒職に対しても、その権威を損なうような発言をする人々がおりました。彼は正当性を主張し、弁明をするのです。

③2つのものの対比:しっかり神の側に立つことが要求される。そして私たちは神の神殿であると2回も出てきます。神の霊が内に住んで下さるのですと言います。旧約時代は生ける神が民に会われる場は、幕屋とよばれる所でした。(Ⅰコリ6:19参照)

LinkIcon2013年10月13日・礼拝説教

2013.10.06
「今は恵みの時、救いの日」Ⅱコリント6章1~10節

 有名なⅡコリント6章です。頑固なコリント教会の人々に勧告するのです。前章でキリストの使者としての役目の尊さを説いたパウロは、その務めが無駄にならないようにと私たちにも勧めるのです。

①神の協力者(ギ語:スネルゲオー)としての勧告(ギ語:パラカロー):尊い務め(ギ語:レイトルギアー)が無駄にならないようにしなさいとパウロは言います。なぜなら「今は恵み(カリス)の時(ギ語:カイロス)、救い(ソーゾー)の日だからと言うのです。700年前のイザヤ49:8からの引用です。

②パウロは自身の9つの戦いを述べ、ここで求められるのは「大いなる忍耐(ギ語:ヒュポネー)」であると言う。あらゆる場合に神に仕える者として8つの御霊の実をいただき仕えているのです。

③信仰の逆説(パラドックス):ここで6つあげています。どんな時も神からの義の武器を持ち、人からどのように言われて(良いことも、悪いことも)も真すぐに前進して行きますとパウロは言います。私たちも主を信じているなら愛において成長し、主イエスを心から証しさせていただきましょう。一人がひとりを導きましょう。福音にふさわしく歩ませていただきましょう。

LinkIcon2013年10月6日・礼拝説教

平成25年度・上半期

2013年4月~2013年9月


9月

2013.09.29
「クリスチャンの新創造」Ⅱコリント5章16~21節

 ① パウロの人を知る基準:かつては「肉によって」(ギ語でカタ・サルカ)、「人間的基準で」人を知っていたが、キリスト者になった今は「霊的な思い」で知るように変えられたと言う。

②新しい創造:キリスト者は、古い者から新しく造られた者です。全く新しく創造(ギ語:メタモルフォーシス)、新しく(ギ語:カイネー、ゲゴネン)生まれ変わった(新生)者です。創造はギ語でクティゾー、へ語でバーラーと言います。主キリストが新しい心、新しい性質を与えて下さるのです。

③和解の務め:神はキリストにあって、この世をご自分と和解(カタラッソー)させる(和解の福音)ために、キリスト者を使者として世に遣わされるのです。全権大使(プレスビューオウ)なのです。何と尊いことで、重要なことでしょうか。


LinkIcon2013年9月29日・礼拝説教

2013.09.22
「復活の主のために生きる」Ⅱコリント5章11~15節

 本日の説教の中心は「強く迫るキリストの愛、復活の主の為に生きる」ことです。主を恐れ(畏敬)、良心の導きに従って生きることのたいせつなことが教えられます。

①主を恐れ(ギ語:フォボス)ることを知り、最後にキリストのさばきの座に立たされることを知っていたパウロだからこそ、ウソやごまかしを語らないで、真実の心で彼らに弁明をしたのです。

②彼の自己弁明は、自己推薦、誇りとは違います。彼は主から立てられた本当の使徒であり、伝道者なのです。うわべでだけ誇る人々ではないのです。彼には根拠が明確にあったのです。

③彼の熱心さに気が狂っていると一部の人々から批判を受けたのです。彼はいつも深い思いやりを持ち、冷静さを持って教会の人々と接し、教会の徳を建てようとしました。いつも復活のイエスのために生きたのです。私たちも主の十字架の死と復活の命に与り、力強く生かされて行きましょう。

LinkIcon2013年9月22日・礼拝説教

2013.09.15
「老いを生きる」コヘレト12章3~14節

 本日の礼拝は「慶長祝福礼拝」です。高齢者(75歳以上)の方々を祝福して、幸いな礼拝を持たせていただきます。教会に高齢者が多くおられる事は幸いなことです。

①「敬老の日」の起源について:教会には多くの祝日が有りますが、敬老の日は日本独自の祝日と言われています。諸説ありますが、聖徳太子が悲田院という現在の老人ホームのような施設を建て、開院したのが9月15日であった。1947年に兵庫県の村で35歳で村長になった門脇政夫さんが「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村づくりしょう」と、農閑期の9月15日を「としよりの日」として敬老会等を開いた。後に50年に兵庫県、66年に国が祝日とした。

②長老の原語の意味:ギ語で「プレスビテル」と言い、後には多くのキリスト教では「司祭」という名として呼ぶようになった。老人は「クブナ」とよばれ、尊敬されていました。有名なイザヤ書64:4「老いる日まで、白髪になるまで背負って行こう・・・」

③コへレトの言葉を学び、敬老記念にさせていただきましょう。最後にホイヴェルス神父の「人生の秋に」を朗読して終わります。

LinkIcon2013年9月15日・礼拝説教

2013.09.08
「神の永遠の住か」Ⅱコリント5章1~10節

 聖書は私たちの肉体とことを「地上の幕屋」と呼び、地上の生活は仮の住まい(ギ語:オイキア)であると言うのです。前回はこの土の器のような私たちの内側にイエスの命という宝物を頂いていると教えられました。

①土の器を「地上の住みかである幕屋:ギ語:スケーネー、へ語オーヘル」と言い換えています。滅びやすいものであると言うのです。建物にたとえて、私たちには天の永遠の住みかが備えられ、幕屋の上に永遠の住みかを着ているのです。

②私たちの地上の幕屋(肉体)では、うめき苦しんでいるのです。しかし、霊によって新たに生まれたクリスチャンは、復活の霊的な体が与えられるのです。神は保証(ギ語:アラボーン)として御霊を与えて下さるのです。

③パウロはいつも心強いと繰り返します。それは永遠(ギ語:アイオーン)の住みかを信じる彼の心には、安心感と信頼心があるからです。天からの永遠の住まいを着るという恵みがあるからです。

LinkIcon2013年9月8日・礼拝説教

2013.09.01
「内にある人は日々新たにされる」Ⅱコリント4章16~18節

 いよいよ9月に入りました。私たちは今朝もしくしくとパウロの手紙を学びたいと思います。4章の前半を受けてパウロ先生は経験を通しながら、私たちに内なる人の恵みと希望を奨励するのです。
①外なる人とは:昔の文語体では「外なる人は破るれども」とありました。前半では「土の器」と書かれ、私たちは弱い肉的な体で、破れ、傷つき、病気にもなります。パウロもそうでした。

②内なる人とは:心の部分であり、神とのかかわりにおける霊的機能を持つ部分です。「外なる古き人」に対して、「内なる新しい人」と言います。ギ語で「外なる人:ホ・エクソー、内なる人:ホ・エソー」と言う。

③見えないものに目を注いで生きる尊さ:見えるもの(へ語:バーサール)、見えないもの(へ語:ネフェシュ)と呼ばれ、申命記6:5に「心を尽くし、魂を尽くして・・・主を愛しなさい」とあります。宝石、真珠(ギ語:マルガリテース)のような主イエス様の命を内に頂いています。何と幸いな私たちでしょうか。


LinkIcon2013年9月1日・礼拝説教

8月

2013.08.25
「貴い宝を土の器に収める」Ⅱコリント4章7~15節

 本日の聖書の内容は、有名な「土の器」のお話しです。パウロ先生自身が自分を「弱い土の器」と称し、この中に貴い神の霊、キリストの光、命が与えられていると証しするのです。 創世記2:7やエレミヤ18章に人間の存在が示されている。

①土の器とは:粘土から作られた器は、壊れやすく、見栄えもない者で、パウロ自身が称しています。私たちも同じです。土の器はギ語で「オストラキノス」に由来し「一般的、平均的で価格の高くない土器」を表します。人間存在を表しています。

②土の器の中に宝を:へ語で宝は「オザール」と言い、前節のキリストの御顔(ギ語:プロソーポン)の光の輝き(ギ語:ランポウ)という神の霊を示します。何と幸いなことでしょうか。

③パウロの証しと確信:死ぬべきこの身に「イエスの死(ギ語:ネクローシス)と復活(ギ語:アナスタシス)の命(ギ語:ゾーエ)」をいただいている。私たちもこの信仰に固く立たせていただき、宣教(ギ語:ケリュグマ)に前進して行きましょう。

LinkIcon2013年8月25日・礼拝説教

2013.08.18
「主であるイエス・キリストを宣べ伝える」Ⅱコリント4章1~6節

 最大の異邦人伝道者パウロ先生は、いつも神に仕える僕として忠実に「神の福音(キリストの十字架の死と復活)」を、どんな厳しい状況下でも宣べ伝えたのです。私たちも見習いましょう。

①各自には神様からの務め(ギ語:レイトルギア)がある:私たちは神様から大きな憐れみ(ギ語:エレオス、へ語:ラハミーム)を受けた者として、「ヘビのように賢く、ハトのように素直になりなさい」(マタイ10:16b)で歩ましていただきましょう。

②宣教は主イエス・キリストを宣べ伝える事です:パウロ先生は常に「自分を誇ったり、自分を宣べ伝えたり」はしませんでした。この世の人々には、福音に覆いが掛かっているので見えなくなってしまっています。それ故に信じられないのです。

③キリストの栄光(ギ語:ドクサ、光:フォース)が私たちの心を照らして下さったから、福音の光によって救われたのです。「闇から光が輝き出よ」は希望と恵みです。この神の光によって全てが明らかになるのです。勇気を持ってキリストを宣べ伝えましょう。

LinkIcon2013年8月18日・礼拝説教

2013.08.11
「主の霊と自由」Ⅱコリント3章12~18節

 本日はパウロの手紙の中でも、旧約の代表的なモーセの出来事を通して私たちに御霊の導きのすばらしさ、律法から解放されたクリスチャンの真の自由を力強く書いています。

①モーセはあのシナイ山で、40日40夜にわたり神との語り合いにより、神からその律法のあかしの板2枚(十戒、律法)をいただいたのです。下山した時に人々は彼の顔が光輝(へ語でモルフェー:栄光の輝き)き、見据えることが出来ないほどでした。

②ここで問題点は「覆い」(へ語でロート)ということです。パウロは人間の心に覆いが有る限り、神に向き合う時にその教え、導きがわからないのです。聖霊により覆いが除けられて初めて受けることが出来るのです。自由な神の栄光から栄光に導かれるのです。

③覆いという律法が有る限り、私たちには自由は有りません。頑固さを捨てて、主の方に向き直れば聖霊によって私たちは変えられるのです。やがて栄光から栄光へ、主の御姿(イマゴ・デー)に造りかえられていきます。

LinkIcon2013年8月11日・礼拝説教

2013.08.04
「霊に仕える務めと資格」Ⅱコリント3章4~9節

 本日の主な内容は、神が私たちに与ええて下さっている「霊に仕える資格、務めと栄光」です。神の霊によって生かされましょう。

①神が与えて下さった資格について:
人は自己の能力、才能、力を誇り、傲慢にも何か特別の資格を持っていると自負します。「資格」とはギ語で「ヒカノーセン」と言います。神が与えて下さったもので、新しい契約に仕えるものとなる資格を与えて下さったのです。

②私たちは「新しい契約(ギ語:カイノス ディアテーケー)」に仕える者です。古い契約に仕える者(ユダヤ教主義者)を念頭において書かれた。

③旧約と新約における神の救いの違いを、文字と御霊の働きの比較によって説明している。「文字は殺し、御霊は生かす」とシンプルに表す。文字(ギ語:グランマ)はモーセ律法(へ語:トーラー)を表し、御霊は新しい契約を表し、それは旧約の律法を成就するものである。それは神の栄光(ギ語:ドクサ)につながる。


LinkIcon2013年8月4日・礼拝メッセージ

7月

2013.07.28
「幻を見る人」使徒言行録2章17~18節
説教者:鈴木龍生 師

 幻は夢を見るようなことだが、幻を見る人は限らない。聖書では、神の霊や御使いが、何を行い、語るべきかを人の心の深層に告げる。

①コルネリオの幻:使徒10:3~6
コルネリオにキリストの福音を知らせようとして幻の中で御使いを遣わし、ヨッパに人をやってペテロを招くようにと告げたのであります。

②ペテロの幻:使徒10:9~16
神はペテロを用いて、幻をお見せになったのであります。ペテロはコルネリオにキリストの復活を宣べ伝ええました。

③アナニヤの幻:使徒9:10~19
アナニヤはパウロを訪問し、迫害者のために祈ることを、キリストは命じられる。

④ パウロの幻:使徒16:6~15
夜中にパウロは幻を見た。一人のマケドニヤ人が前に立って、「マケドニヤに渡って私たちを救ってください」と懇願しました。


LinkIcon2013年7月28日・礼拝メッセージ

2013.07.21
「真の手紙を人の心に」Ⅱコリント3章1~3節

 初代教会の時代には、多くの伝道者たちが各教会を巡回していた時に、教会からの推薦状を携帯していました。中には混乱を起こす者もいたので必要となっていたのです。

①パウロ自身も推薦状の件は否定はしませんでしたが、コリント教会の信徒自身がパウロを紹介してくれる推薦状になると言うのです。彼は自己推薦はしないと言い、使徒職の証印(ギ語:スフラギス)を示すのです。

②推薦状や手紙は人間の手で書かれたものであるが、パウロは自分の心に霊によって刻み込まれていると言う。伝道者の適格性について言えば、導いた信者の生活、存在そのものにつながる。

③信徒の責任は大きいのです。パウロによって託された存在証明は、自らの生活、証しによって反対者の議論を論破しなければならないのです。生ける神の霊により、パウロの使徒の真正性が明らかにされて行きます。

LinkIcon2013年7月21日・礼拝メッセージ

2013.07.14
「神の前に良い香りを」Ⅱコリント2章14~17節

 パウロ先生は「わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りであり、それは命から命に至らせる香りである」と言うのです。「良い香り」とはギリシャ語で、オスメー(香ばしい)、ユーオーディア(香り)との二重の強調された言葉です。またギ語で「アロマ」という言葉は「高貴な香り」との意味があります。今朝も私たち自身を神の御前に献げさせていただきましょう。

2013.07.07
「赦す愛と力づけ」Ⅱコリント2章5~11節

 パウロはコリント教会に対して、余り言いたくない事ではありますが、あえて厳しい指示を出したのです。時間をかけて教会は解決をしたのです。それは罪を犯したリーダーに対する処罰、悔い改め、愛の赦し、力づけになり、教会形成に健全さを残したのです。

①処罰対象は不品行をおかした指導的な教会員に対するものでした。
一人と言うよりは、諸問題を起こした人々の代表的な人に対するものであったとのことです。

②効をを通して、悔い改め(ギ語:メタノイア→心の転回の意味)に到り、パウロはキリストにある赦し(ギ語:アフェシス、カリゾマイ→放免、去らせるの意味)を与えなさいと伝言する。

③教会的な成長をはかり、その人に愛と力添えをしたかを問う。ためす(ギ語:ドキメー)のです。悔い改めの実が結んでいるかを判断しました。そうしないとサタンに利用されてしまうのです。教会の建徳がパウロによって深く教えられます。


LinkIcon2013年7月7日・礼拝メッセージ

6月


2013.06.30
「神は真実な方です」Ⅱコリント1章18~22節

 パウロがコリント教会を先ず訪問し、それからマケドニヤに行く約束でしたが、彼は諸事情を考えた上で、コリント教会訪問を延期して、真すぐにマケドニヤに行ったのです。彼をよく思っていない人々は、彼を責め、気まぐれ、二枚舌を使う信頼に値しない人間と言いふらす。その反論と弁明が今朝の聖書箇所です。

①彼の判断が聖霊の導きで決めたのですが、理解されないで、なお批判を増すことになったのです。かってに約束を破る人物であるとか、気まぐれだとか、自分の御都合主義で動いていて無責任だと言うのです。

②神の真実にかけて言いますが、自分は神の導きに従うことを第一にしていると強く言明するのです。真実とはギ語で「アレーセイア:真理、誠実、正直、信実、信頼」を表します。へ語で「エメス、アメン:まこと、確かに」で、「アーメーン」と語源が同じです。正教会等だは「アミン」と唱えられています。

③彼の行動は明確に「然り」であり、「然りか否か」とのあいまいなものでないと言う。真実を語るとはそのような決意が必要です。いかなる状況でも、変わりなく真実であり、「然り」なのです。人間関係でも真実を大切にしたい(信頼関係)ものです。


LinkIcon2013年6月30日・礼拝メッセージ

2013.06.23
「神から受けた純真と誠実」Ⅱコリント1章12~14節


 久しぶりにⅡコリントの手紙に戻りました。連続講解説教を続けていますが、教会暦関係が入りますとしばらく途切れます。Ⅱコリントの手紙は「涙の手紙」と言われ、パウロが多く(5つ)の断片的な手紙を切り貼りして現在の形になったと言われています。

①1章での2回の学び、「神の慰め」と「苦難、死の危険から救い出して下さった希望の神、復活・・・」についてでした。すべてを神に望みをかけているとパウロは大変な経験から言うのです。

②彼は自らの言動を良心に照らし、やましいものは何もないと言うのです。神から来る聖さと誠実さを持って行動して来たと証す。人間的な知恵によらず、神の知恵と恵みにより証を宣べ伝えていると反論するのです。

③神が証人となって下さることは、私たちにとって何と誇り(ギ語:カウケーシス)でしょうか。あなたがたが私の言う真意を十分に正しく理解(ギ語:エピギノースコー)してくれる事を嬉しく思う。あなた方を誇りに思う。

LinkIcon2013年6月23日・礼拝メッセージ

2013.06.16
「神に従う人の道」箴言4章18~27節


 本日は「父の日特別礼拝」です。聖書にありますようにお父様を大切に思い、お父様を遣わして下さいました「天の父なる神様」の教えに聞き従って行きましょう。

①父の日の起源:1909年にアメリカ・ワシントン州スポケーソノラ・スマート・ドッド夫人が、男手一つで6人の子供(自分も含め)を育ててくれた父を讃えて、教会の牧師にお願いして、父の誕生月の6月に記念礼拝をしてしていただきました。墓前に父の好きだったバラの花を供えてたのです。後(1072年)に米国で記念日(6月第3主日)となりました。

②箴言とは:ヘブライ語「マーシャール:針」の原語で、人を生かす(針)教えと意味します。ヘブライ人の「知恵文学」の典型であり、生活の規範となりました。民族の長い歩みから生まれ、あのソロモンが自然、人間、神の関係をあらゆる面からとらえて数千の箴言を説いたと言われたことから「ソロモンの箴言」と呼ばれています。

③父の諭し:わが子に対する大切な教えを遺言のように展開しています。1つは神に従う人になれ。2つ目は御言葉を聞き、心に蓄え。3つ目は御霊に導かれ、肉の良くや悪から遠ざかりなさいと言う。御霊に満たされることにより、霊的な点検機能は働き、正しく豊かな生活が送れる幸いを高らかに述べている。

LinkIcon2013年6月16日・礼拝メッセージ

2013.06.09
「豊作の年を冠として」詩篇65篇9~14節


 本日は「花の日、子どもの日」礼拝です。世界中の教会が共に記念の礼拝を守っています。神が創造された自然を愛し、花を慈しみ、子どもたちを受け入れたいものです。

①花の日、子どもの日の由来:1856年、米国のマサチューセッツ州チェルセアの第一ユニバーサル教会牧師のチャールズ・H・レオナルド博士が、子どもたちが神を信じ、神に従うようにと宗教教育を提唱、父母にも進めて特別礼拝を守ったのが起源です。一年中でお花が豊富なこの季節に、バラやシャロンの花を教会に持参し、近所のお世話になっている所に持参するのです。

②詩篇65編を取り上げた理由:花も子どもも神が与えて下さった賜物です。すべての地に豊かな恵みを与えて下さる神に讃美しましょう。9~10では耕作における神の働きが記され、有名な「神の川は水で満ちている」と、油山聖会で良く語られました。

③11~13節は神がもたらす豊かな実りが、形を変えて語られています。神に造られた被造物は、ものみな歌い、喜びの叫びをあげているのです。ハレルヤ!

LinkIcon2013年6月9日・礼拝メッセージ

2013.06.02
「彼らは生き返る」エゼキエル書37章1~10節
説教者:市橋隆雄 師



市橋隆雄師

LinkIcon2013年6月2日・礼拝メッセージ

5月

2013.05.26
「神様に喜ばれる聖徒」へブル人への手紙11章5~6節
説教者:チョン・ピルト師  通訳者:キム・スンホ師



チョン・ピルト師

LinkIcon2013年5月26日・礼拝メッセージ

2013.05.19
「神の救いの約束」使徒言行録2章12~21節


3大教会暦のペンテコステ(聖霊降臨日)の祝福をお祈り致します。世界中のキリストにある教会で共に特別礼拝を守れる事を感謝致します。神の約束の聖霊降臨が私たちの教会にも注がれますようにお祈り致します。

①ペンテコステの意味:元々はギリシャ語の「第50日:五旬節」と言われます。また3大祭りの一つで「シャブオット」と言われ、収穫を感謝する「七週の祭り」と呼ばれましたが、過ぎ越し祭(イエスの十字架死)から50日目にあたります。復活40日、昇天後10目にもあたります。イエスの約束の聖霊が人々に注がれたのです。

②聖霊に満たされるとは:聖霊はへ語で「ルーアハ・カドシュ」、ギ語で「プニューマ・ハギオン」と呼ばれます。「満たされ」は原語では「プレソー」で、原語のプレロー(本質的な満たしの意味)からきています。大音響、振動、火のような舌という形で、公な形で一人一人の上に留まったのです。

③初代教会が成立:聖霊に満たされて、息子、娘は預言をし、若者は幻を見て、老人は夢を見ると言うのです。ペテロの神の御言葉のメッセージで多くの人々(3000人)が救われたのです。そして初めて教会が出来たのです。ペンテコステは教会誕生の日でもあるのです。「刈り入れの祭り:小麦の収穫の初穂」に比較されます。多くの祝福が注がれたのです。ハレルヤ!

2013.05.12
「母ハンナの感謝」サムエル記上1章22~28節


本日は「母の日礼拝」です。お母様方に感謝して、聖書からその深い意味を教えられ、信仰生活に活かして行きたいと思います。

①母の日の起源と意味:5月の第2日曜日が記念日になっています。世界中の教会が記念礼拝を守っています。1905年(108年前)5月9日、アメリカのフィラデルフィアに住む少女(アンナ・ジャービス)が、母の死に遭遇したことで、生前に母が好きだったカーネーションを祭壇に飾ったことに由来しました。1914ン年に大統領のウィルソンが、5月第2日曜日を母の日と制定。

②本日は「母の日」を記念して、聖書の中で有名な預言者サムエルの母である「ハンナ」を取り上げました。彼女には長く子供が与えられませんでした。シロの神殿で男の子が与えられるように祈ったのです。そして神は聞かれて、サムエルが与えられました。祈りの約束通り3歳で祭司エリに預け、神に委ねたたのです。

③ 信仰の模範として、ハンナから次の3つの事が教えられます。1つは一番苦しい時に、神に目を向けたことです。2つ目は神を信じて祈り続けることです。3つ目は約束を実行したことです。私たちもハンナさんの信仰に見習いましょう。


LinkIcon2013年5月12日、礼拝メッセージ

2013.05.05
「神に希望をかけて」Ⅱコリント1章8~11節

 異邦人伝道者パウロは、数々の迫害に会いました。彼ほど伝道の働きにおいて大きな苦しみに会った者はいないであろうと言われています。イエス様に会う前は、彼こそがキリスト者を迫害者でした。その逆経験があるからこそ、耐えたのではないでしょうか。

①パウロはコリント教会を特別に愛していました。この第二の手紙は資料によると、5つほどの手紙が切り貼りされて、現在の手紙になっていると言われています。トータル的な意味では、先週触れました「涙の手紙」も含まれたと言っても過言ではないとです。

②彼がアジアで経験した苦しみは、生きる希望を失うほどのもので、忍耐を超え、死を覚悟したと言われています。その中でも「神に希望をかけて」て、伝道に励んだのです。その根拠は復活信仰にあったのです。自分自身でなく、復活の神により頼んだのです。

③神に望みを堅く置き、死に至るまで忠実であろうと決心したのです。同時にコリントの兄弟姉妹が彼の為に、日夜熱心に祈り続けたことも忘れてはならないのです。祈りの大切さを覚えます。



LinkIcon2013年5月5日、主日礼拝メッセージ

4月


2013.04.28
「神の慰めによって愛せよ」Ⅱコリント1章3~7節

本日の礼拝からコリント第二の手紙に入ります。パウロはエフェソからコリントの信徒に第一の手紙を送りましたが、両者の関係は悪化してしまい、批判をする者が次々に出てきた。勿論、彼を慕う信徒も多くはいましたが。パウロは大きな痛みを感じて、「涙の手紙:今は現存しない」を書き、テトスをも派遣したのです。さらにこのコリント第二の手紙を書いたのです。教会はやっと悔い改めたのです。今朝は3つの点から学びたいと思います。

①中心点である「神の慰め」とは何でしょうか。パウロの手紙には「苦難、患難、試錬」という言葉が多く出てくる。私たちの人生にも、苦しみや悩みがつきものです。避けて通れないものも有ります。しかし神様は逃れる道を備え、真に慰めてくださるお方です。慰めはギ語で「パラクレーシス」と呼ばれ、「パラ」とは「傍らに」で、「カレオー」は「呼ぶ」との意味です。パラクレートスが「助け主」で、神の御霊を表します。

②他者への慰め:人は悲しみの時、迫害や苦難の時に慰めを必要とし、慰め手を求めます。神はそんな人々に、牧者の慈愛、父母の愛を持って豊かに慰めて下さったのです。

③慰めから希望へ:キリストの教会は、慰めを共にする共同体で、「パラクレーシス・エクレシア」と呼ばれます。教会は「疲れた者、重荷を負う者、病んでいる者」のために神の慰めをもって接する「愛と慰めの共同体、共生」が、重要な働きです。


LinkIcon2013年4月28日、主日礼拝メッセージ

2013.04.21
「満たされた人生の5つの開」使徒言行録8章30~39節
説教者:ボブ・ケンディグ博士



ボブ・ケンディグ師


LinkIcon2013年4月21日、主日礼拝メッセージ

2013.04.14
「目を覚まして励みなさい」Ⅰコリント16章13~20節

コリント第一の手紙の終わりにあたり、4つの勧告をパウロがしています。勧告だけでなく、その模範を示した協力者、信徒たちの名前を出して示す。彼は常に教義と実践をトータルに示す。

①4つの勧告を示す。それは信仰者として大切な基本的教えです。
常に霊的に目を覚ますこと(ギ語:シャーケード)、堅く信仰に立つこと、男らしく強くあれ、すべてにおいて愛(アガぺー)がべースであるようにとの4点です。

②コリント教会のステファナ一家や、アキラとプリスカ夫妻を上げて模範としている。ステファナはアカヤでの初穂(ギ語:アバルケー)です。彼とフォルトナト、アカイコがコリント教会から遣わされてパウロに会いに来た事を大変喜んでいるのです。

③最後に親愛な挨拶で終わるのです。エフェソにいるパウロからの私信ですが、良く交わったアジアの諸教会や、パウロと共にエフェソに来たアキラとプリスカからコリント教会の信徒によろしくと言っている事を伝えているのです。

LinkIcon2013年4月14日、主日礼拝メッセージ

2013.04.07
「募金の奨励」Ⅰコリント16章1~4節

先週は復活日(イースター)礼拝でした。長くレント(受難節)の説教をして、イースターの説教をしました。再び連続講解説教で第Ⅰコリントの手紙に戻ります。

①エルサレム教会の信徒たちへの募金(献金)が主テーマです。その背景に少し触れてみましょう。1つは長年続く災害の影響を受けた飢饉です。周囲からの迫害、不作等が信徒たちの生活を苦しくしていたのです。ローマ15章でこのような人々を助ける義務があるとパウロは言います。具体的な物質を持ってです。

②パウロは次に「献金の原則と準備」について、十分な理解と細心の注意を与えるのです。教会と各個人との生きた関係を、献金を通しても告白するのです。受け身ではなく、自発的にするのです。

③献金が最終的には神に対するもの(供え物)である事を示唆する。献金と言えば「マラキ書3:10節(1/10献金)が出てきます。「献金、募金」はギ語で「ロギア」と言い、特別な献金を指す。困窮にあったエルサレムの教会と人々を、愛のささげものにより慰め、励ます事は、パウロの重要な任務となったのです。私たちも神の前に精一杯の献金を捧げましょう。神は祝されます。

LinkIcon2013年4月7日、主日礼拝メッセージ

平成24年度・下半期

2012年10月~2013年3月


3月

2013.03.31
「キリストの復活」Ⅰコリント15章1~8,12~14節

「イースターおめでとうございます。」皆さんの上に神様の祝福が豊かにありますようにお祈り致します。

①イースターは「復活日」と言い、私たちのために十字架にかかって下さったイエス様が、3日目の朝(日曜日)早くよみがえって下さった記念日で、キリスト教会では3大記念日(他はクリスマス、ペンテコステ)です。ギ語「アナスタシス」と呼びます。

②イースターの重要な点は、神は必ず約束の言葉を実行(実現)して下さるお方であることの証明です。更に大事なことは、イエス・キリストを救い主と信じ受け入れる者は、罪の赦しと永遠の命を授けて下さることの証明です。ハレルヤ。

③今朝の聖書で3つの要点が有ります。キリストの十字架、埋葬、復活の事実です。キリストの福音にはすべての人を救う力があるということです。その福音を信じ続けて、伝える事(伝道)です。私たちの生涯で常に「主を覚えて(メメント・ドミニ)」、希望を持って前進致しましょう。お祈り致しましょう。アーメン。

LinkIcon2013年3月31日、礼拝メッセージ

2013.03.24
「世に打ち勝つ私たちの信仰」Ⅰヨハネ5章4~5節
説教者:石崎政登 師




石崎政登 牧師



LinkIcon2013年3月24日、礼拝メッセージ

2013.03.17
「ビアドロローサからゴルゴダへ」マルコによる福音書15章21~32節

 本日もレント(受難節)メッセージですが、その中でも大変重い内容です。イエス様が十字架を担われてヴィアドロローサ(悲しみの道)を通り、ゴルゴタの丘に向かわれ、十字架に付けられるという悲しい内容です。シモンと同じように担わせて頂きましょう。

①ローマの統治下でのピラト総督が、イエスの処刑を拒み「エッケホモ(この人を見よ)」と叫んだのです。赦しかったのです。ところがパリサイ人たちは赦さなかったのです。政争、暴動を恐れてしぶしぶ処刑の許可を出すのです。

②ヴィア・ドロローサ(ラテン語:苦難と悲しみの道)を、自分が掛けられる十字架の横棒を背負い(当時の慣習)、1キロほどの道を14留(ステーション)を経て歩まれたのです。人々の罵倒の中を歩むイエスの苦難を偲んで、ヴィア・クルシス(十字架の道)とも言われました。シモンの助けで共に背負い行かれたのです。

③ゴルゴタのイエス:へ語で「グルゴレト:どくろ」、ラテン語ウルガタ訳が有名な「カルバリ」と言われています。イザヤ書53章でのキリスト受難は、大変惨い形で成就したのです。十字架の死がなければ、罪の赦しもなく、復活もなかったでしょう。

LinkIcon3月17日、礼拝メッセージ

2013.03.10
「消えることのない永遠」イザヤ書55章13節
説教者:鈴木龍生 師



 「素晴らしい神の招きであります。終わりのない永遠を思い、希望を語っています。次の三つの現実へと導いてくださいます。」

① 消えることのない愛を(雅歌8:7)
人類に対する神の愛がいかに強いかを歌っています。大水と洪水は強大な力を表す表現として用いられますが、それらも愛を消したり、押し流すことはできません。

② 消えて行くこともない資産(Ⅰペテロ1:3~4)
資産は神による子とされた者たちの特権であります。しぼむこともない天の蓄えの資産を継がせられました。キリストに信頼する者の希望であります。

③ いのちの書から消すことはない(黙示3:5)
すべての信者の名は、命の書に登録されています。イエス・キリストは、忠実であった人々の名前を父なる神と御使いたちに告げます。

★愛、資産、いのちの書は神からの最高の賜物として受けるしかないものです。

LinkIcon3月10日、礼拝メッセージ(動画)

2013.03.03
「ゲッセマネの祈り」マルコによる福音書14章32~42節

 レント(受難節)第三主日礼拝を迎えました。今朝は大変有名な「イエス様のゲッセマネの祈り」について学びます。十字架の苦悶はこのゲッセマネから始まっていると言われています。本日の礼拝はカトリック教会等では「オクーリー(主に目を注ぐ)」礼拝です。

① ゲッセマネについて:イエス様は弟子たちと「最後の晩餐」を終え、讃美を共にしながらゲッセマネの園に来られました。ヘブル語で「油しぼり」といわれたオリブ園の場所で、エルサレムの東側、キドロンの谷を渡ったオリブ山の西麓にありました。

② ゲッセマネに来られた目的:イエス様は側近の3人の弟子たちと最後の祈りを共にするためでした。血のしたたるような汗を流すような真剣で、悲しみに満ちたイエス様の祈りの姿に比して、3度も眠りについてしまった弟子たちの姿を、あなたはどのように見られますか。弟子たちの姿は私たちかもしれませんね。

③ 終わりの時の心得とは:「目をさまして、祈りなさい」と主は言われます。それは誘惑に陥らないためであると言われました。私たちは心は燃えていると言いますが、主は私たちに「何か疲れてしまうと眠ってしまう肉体の弱さを持っている」と言われる。

LinkIcon3月3日、礼拝メッセージ

2月

2013.02.24
「真の救いを求めるとは」ローマ書10章8~13節

 レント(受難節)も第二週に入りました。チャド師の特別礼拝が4月21日に伸びたために、急きょローマ書を選びました。パウロの最大書間と言われ、多くの人々に愛され、信仰の支えになって来た手紙です。神の救済の歴史は、キリストの十字架と復活(福音)により決定的なものとなりました。

①最初に大切な神の御言葉について、旧約の申命記30:14を引用して「御言葉は近くあり、口に、心にある」と語る。ギ語で「レーマ」という。ここでは本質的な「ロゴス」を使わない。

②告白と信仰を結び合わせて端的に表せている「信仰告白:クレドー」が書かれている。初代教会からの信仰告白の形成です。その告白の内容は「主イエス・キリストの死と復活」である。信じた者は救われる(ギ語:ソーセーセー)のです。

③「主の名を呼び求める者は、誰でも救われる」のです。何の差別もありません。旧約のヨエル2:23からの引用です。このことは歴史(旧新約)を通して、イスラエル民族が生きた信仰生活の表れです。私たちもしっかり信仰告白して行きましょう。


LinkIcon2月24日、礼拝メッセージ

2013.02.17
「わたしの代わりの弁護者」ヨハネによる福音書16章4~11節

 いよいよレント(受難節)に入りました。今日からイースター(復活日:今年は3月31日)までに渡り、イエス様のご苦難のメッセージを続けます。私たちもイエスの十字架を担わして頂きましょう。

①レントについて:先週の13日(水)は「灰の水曜日」と言われ、そこから40日間(日曜日を除く)を四旬節(受難節)と言い、私たちの救い主イエス・キリストの十字架の受難を覚え、父なる神様への悔い改めと、御子に対する献身と服従を新たににする期間です。昔は「灰の式」として灰をかぶったと聞いています。

②英語のレントは、ラテン語のクワドラジェジマ(四旬節)から来て、「春、長い」との意味があります。良き備えをしましょう。

③本日の聖書箇所は、イエス様の告別説教の1つです。ご自分が召されたなら「別の助け主、弁護者:ギ語パラクレートス」があなたがたの所に来ると言われたのです。さらにその御霊は「罪、義、裁き」について明らかにされると言われるのです。



LinkIcon2月17日、礼拝メッセージ

2013.02.10
「復活の初穂として」Ⅰコリント15章20~24節

 今週13日から「レント(受難節)」に入りますので、しばらくコリントの手紙とはお別れです。今朝も信仰の基本である「復活」がテーマです。中心は「復活の初穂であるキリスト」です。

① 眠った者の初穂としてキリストがよみがえられました。「よみがえらせて」とは、ギ語で有名な「エゲーゲルタイ」という言葉です。「復活された:ギ語で有名なエーゲルセー」です。また、初穂はギ語「アバルケー」と言われています。両方とも大切な言葉です。初穂はレビ23:10~14にあります。参考にして下さい。

② 死がひとりの人(アダム)を通してきたように、復活もひとりの人(キリスト)を通して来たのです。このことはすべてのクリスチャンの復活を意味します。深い結びつきの根拠があります。

③ 終わりの時(ギ語:テロス)の事が述べられています。その前に順序が有ると言われています。まず初穂であるキリストが再臨して、キリストに属する者がよみがえさせられるのです。復活信仰こそ私たちの最大の拠り所、希望ではないでしょうか。ハレルヤ


LinkIcon2月10日、礼拝メッセージ

2013.02.03
「ハンナの祈り」サムエル記上1章9~15節

 2月は「ナザレン女性月間」です。その意味で代表的な「ハンナ」を取り上げました。信仰深いハンナは、「ハンナの涙の祈り(讃美)」で世界中のクリスチャンから尊敬され、慕われている女性(母)です。困難な中で、主を一途に祈り求めたハンナを見習いましょう。

①ハンナのおかれた状況:エフライム人エルカナの二人の妻の一人で、子供がなく、多くいたぺニナとの間で確執に悩んだ。エルカナはハンナを支えたが、ハンナの性格もあって悩みが深かった。

②ハンナは一家でシロの聖所で礼拝を奉げた後、個人的な祈りをして求めたのです。信仰の模範となる3つの要素が教えられます。一番目は、理解者は神であるとの。二番目は、その神は不可能を可能にするお方であり、全幅の信頼を置いた。三番目に、子が与えられた時には神に捧げますと誓ったのです。 

③母の涙の祈りは神を動かし、あのサムエルが与えられたのです。何と幸いな恵みでしょう。シャムーエール(神から求めた者、神の名)とされ、偉大な預言者になるのです。昔から「ゆりかごを動かす手が世界を動かす」と言われてきました。私たちもハンナンのように「涙の祈り」をさせていただきましょう。

LinkIcon2月3日、礼拝メッセージ

2013年1月

2013.1.27
「キリストの復活」Ⅰコリント15章12~19節

 15章はキリスト信仰で最とも重要な「主の復活」の記事です。12章、13章、14章と学んできましたが、その流れの中でのまとめとして復活を捉えたいたいと思います。

①私たちは日曜日の朝に礼拝を守っていますが、その根拠は、主イエス様が金曜日に十字架で亡くなり、3日目の日曜日の朝早く復活されたことに対する記念としているのです。信仰の基本とします。

②復活はギ語で「アナスタシア」、復活されたはギ語で「アゲロー」です。異邦の地ギリシャの大都市であるコリント教会では、復活論争が起こっていたのです。ギリシャ思想を受けている人々は、復活(特に死者の復活)はないと主張した。

③復活がないとすると、3つの点がでてきます。1つは、私たちの信仰は実質のないものになる。2つ目は、私たちはまだ罪の中にいるとのことです。3つ目は、すべてが無益であるとパウロは言うのです。主イエス様の十字架の死と復活は、信仰の両輪です。

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2013.1.20
「神の恵みが働く」Ⅰコリント15章9~11節


 本日はパウロの信仰と謙遜さ、常に神の恵みに感謝して、神と共に歩む姿に学びたいと思います。パウロほど劇的な生涯を送った人はいないと言われています。私たちがパウロと同じように歩むべきとは書いてありませんが、その信仰の基本は同じです。

①パウロの証が最初にきます。罪びと、迫害者であった者が、神の恵みにより罪を赦され、救われたのです。そして神様を宣べ伝える者と変えられたのです。

②パウロは「神の恵みによって今日のわたしがあるのです」と言っています。彼の信仰、働きの中心は神の力に依り頼むことでした。つまり「土台をイエス様に置くこと」なのです。

③彼の謙遜な姿勢は、いつも神様に信頼し、神の恵みを無駄にしないことです。常に神様と共に歩むのです。「恵み」はへ語で「へーン」、ギ語で「カリス」、英語で「グレイス」と言われます。アメイジン・グレイスが有名です。大切なのは神の恵みです。


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2013.1.13
「福音によって救われる」Ⅰコリント15章1~8節

 久しぶりにコリントの手紙ひ戻りました。パウロの時代においてコリントは、ローマ帝国のもっとも重要な都市の一つでした。パウロの牧会伝道で一番長く滞在して(一年半)建て上げた教会がコリント教会でした。社会的、宗教的な困難さを克服しての教会形成でした。それだけに私たちの日本の教会に参考になる点が多く有ります。

①15~16章はまとめの所です。「十字架と復活」が中心のまとめであり、新約聖書全体を貫く重要な項目でもあるのです。一言で表せば「イエス・キリストの福音」なのです。復活は27日の礼拝で学びますので、今朝は「福音」にしぼりたいと思います。

②「福音」とはギリシャ語で「ユーアンゲリオン:良い知らせ」と言われます。イエス・キリストによる救いが完成される神の国の到来を告げるとの意味があります。旧約的にはイスラエルの民の諸捕囚からの解放に代表される出来事に表されます。

③パウロは「あなたがたに福音を知らせましょう」と言ったのです。良い知らせを困っている人や求めている人々に伝えるのです。福音によって救われるのです。人にとって「救い」が必要であると言うのです。救い主としてキリストは来て下さったのです。

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2013.1.6
「天幕を広げよ」イザヤ書54章2~3節

 新年明けましておめでとうございます。今年も神の御言葉にしっかりと養われて、一歩一歩前進させていただきましょう。本日は新年教会標語についてのメッセージです。一年間の目標にしましょう。

①イスラエルの人々が捕囚の地のエジプトから神によって救われたように、バビロンの長い捕囚から戻って来た民を受け入れるための準備をせよと主は言われます。「見よ、新しいことをなす(イザヤ43:19)」と主はイスラエル民に希望の福音を語られるのです。

②3つの命令が語られるのです。天幕を広げること、住まいの幕を張り伸ばせ、網を長くして鉄の杭を強固にせよとの3つです。
天幕はへ語で「オーヘル」、ギ語でスケーネーといい、テント、仮小屋、天幕等に言われています。それらを広げ(へ語:ラーハブ)よと言われるのです。より大きく広げよとの原語の意味です。

③天幕とは時代の変遷のなかでそれぞれに用いられ、幕屋、テント、神殿、聖なる場所を表し、今の私たちは意識が異なる事でしょう。今では教会と言うほうが良いでしょう。60周年を迎え、会堂をリフォームする飯塚教会に最適なビジョンではないでしょうか。

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2013.01.01
「新しくなる」Ⅱコリント5章17節

「新年の祝福を主によってお祈り申し上げます。」
今年も主の御言葉によって、私たちをしっかりと養って下さいますように祈ります。元旦にあたり「キリストによって新しくされる」ことを学びましょう。

①パウロの手紙の中で有名な聖句の一つです。キーワードは「新しい」ということです。ギ語で「カイノス」です。ギリシャ語で「新しい」という言葉は2つあります。「カイノスとネオス」です。カイノスは全く新しくなるで、ネオスは古いものから新しいものに変わるで、時間が経つと古くなると言うのです。質的内容が違うのです。

②私たちは、キリストによって全く新しくされた(新生)ものです。古い性質が肉の思いであるのに対して、この「新しいいのち」は霊の思いを持っているのです。新しい聖なる性質、朽ちない命です。

③キリストにあって、私たちは愛され、罪赦され、平安することが出来ます。喜びと感謝を持って日々過ごさせていただきましょう。

12月

2012.12.30
「今日まで守られて」詩篇103篇1~5節

今年の最後の礼拝です。一年間にわたり主がお守り下さり、何よりも尊い神の御言葉を与えて下さったことを感謝致します。信仰生活は「祈りと神の御言葉」に養われることに尽きます。

①詩篇103:1~5を選びました。この詩篇は「もっとも麗しいもの」と言われ、「聖書の中に咲いた一つの花」(ヴァイザー)と表現しています。1~2節は、主をたたえ、主の御計らいを何にひとつ忘れてはならないと言う。年末感謝にふさわしい聖句です。

②3~5節は、神の6つの恵みが挙げられています。「罪、病、命、慈しみと憐れみ、生活、若さ」の6つです。

③人生のさまざまな営みを通して、大小にかかわらず生きて働き、守ってくださっている神の恵みを一つ一つ数えて、神様に感謝して行く人生を生きよと言われているのです。ハレルヤ!

2012.12.23
「イエス様の誕生日」マタイによる福音書1章21~25節

 「クリスマスおめでとうございます」。主の祝福をお祈りいたします。「天に栄光、地に平和、人々に愛を」と言われますが、クリスマスが正にそのような時となってほしいと願っています。

①クリスマスの語源は、ラテン語「クリストゥス・マッセ(ミサ)」と言い、キリストの礼拝、キリストの降誕祭・・・と呼ばれています。フランス語「ノエル」、ドイツ語「ヴァイナハテン」、ギリシャ語「クリストゥ・ゲナ」と言い、「キリストの誕生」を意味します。

②イエス様がお生まれになる時代の背景としては、当時のユダヤはローマ帝国の圧制に苦しんでいました。神が特別に選ばれ、愛されたユダヤ民族がなぜ苦しまなければならないのでしょうか。人々は神が約束してくださった「メシア(救い主)」を待ち望んでいました。メシアはヘブル語ですが、ギリシャ語では「キリスト」と呼ばれました。「油注がれた者」という意味です。

③この方は2つの名前を付けられています。「イエス」と「インマヌエル」です。神が預言者を通して言われた名前です。イエスは「救い」、インマヌエルは「神は我々と共におられる」との意味です。イエス様の誕生地も預言通り「エルサレム」でした。すべてが神の預言通りに実現したのです。

2012.12.16
「平和の君がお生まれになる」イザヤ書11章1~5節


 いよいよ来週の聖日はクリスマス礼拝と祝会です。洗礼式も行われます。今朝はキャンドルに3本灯がともりました。今朝もイザヤ書からクリスマスの意味を聞きましょう。

①有名なメシア預言の1つです。今朝出てくる「エッサイ」とは、ダビデ王の父の名です。その200年ほど後に出たのがイザヤです。強国アッシリヤやバビロンに壊滅的な打撃を受ける南ユダの時代で、イザヤは廃墟の中でも、ひとつの芽が出て実を結び、人々に希望を与えると言うのです。

②その若枝に主の霊がとどまったのです。そのみどり子はインマヌエルとなり、苦しみの中にいる民のメシア(救い主)となるのです。3つの性質をもつ霊的存在でした。知恵と識別、思慮と勇気、知識と畏敬の霊に満たされたのが、真の救い主キリストです。

③平和をもたらすお方は、「エッサイの根株に生え出た若枝」なのです。時代を超えて貧しい人々の救いとなり、希望を与えるお方です。また正しい裁きと公平な弁護をして下さいます。まことの「平和の君」とは、そのようなお方です。

2012.12.09
「闇から希望の光が輝く」イザヤ書9章1~6節


 アドベント(待降節)第二主日礼拝を迎えました。キャンドルも2本灯がともりました。「希望、平和、喜び、愛」を表すと言われています。アドベント期間中は紫色を中心にして、第三、第四に白又はピンク色を表して喜び、愛を表すしていくそうです。

①歴代の王たちが堕落して行く中で、神様はイスラエルの灯火を消さないために、預言者を起こし、王を助け民衆を励まし、正しく導こうとされました。イザヤ(原語:ヤーウェは救いなり)もその中の最大の預言者でした。今朝のイザヤ9章もメシヤ預言の一つです。

②戦争と暗黒の中にある人々にとって、イザヤには暗黒の中にさし込む大きな光がはっきり見えていたのです。具体的には、イスラエルの捕囚の民が回復され、アッシリヤの圧制から解放されることを意味しているのです。

③5節は有名なクリスマスメッセージで、このような状況の中で、ひとりの「みどり子」が生まれ、人々に希望と救いを与えるのです。4つの恵みを持つ方です。「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられたのです。ハレルヤ!

2012.12.02
「人々に良い知らせを」イザヤ書61章1~3節


 本日から「アドベント(待降節)に入りました。祈り備えてクリスマス(神の御子イエス様の誕生日)を待ち望みましょう。アドベントはラテン語で「来るべき」という意味があります。ギリシャ語の「エピファネイア(顕現)と同義です。今年はイザヤ書が特に心に響きました。3週連続で学んでいきたいと思います。

①イザヤ61:1カラ3節では、神より遣わされたメシア(キリスト)を待望している内容です。このイザヤ預言から約750年年後にキリストは約束通りに誕生されたのです。神学的には第三イザヤのメシアとしての内容になっています。イザヤは油そそがれた、聖別された預言者でした。

②当時の貧しい人々「へ語:アナウ、ギ語:プトーコス」への解放宣言がなされます。捕らわれ人、つながれている人、弱い人、しえたげられている人が貧しい人と言われました。また有名な言葉に「へ語:アムハーレツ(地の民)」と言われた人々が多くいました。そのような人々をいやし、良い知らせを告げるために私を遣わしたと言う。

③暗い心に代えて讃美の衣をまとわせるために来て下さったと言います。感謝と喜びを持って主を崇め、讃美致しましょう。キリストの誕生によって「まことの救い」が実現したのです。

11月

2012.11.25
「残された者の尊さ」イザヤ書4章2~6節


 いよいよ今年もクリスマス(主の御降誕日)が近づいて来ました。来週はアドベント(降誕節)に入りますが、今日からその意味について聖書から解き明かしたいと思います。

① 本日の聖書箇所は「メシア預言」と言われるところです。「若枝:へ語でネーツェル」はメシアの呼び名の一つです。同じイザヤ11:1節には「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち・・・」とあります。

② イスラエルの生き残った者、エルサレムの残された者にとって、若枝は麗しさ、栄光、誇り、輝き、希望となる。「残りの者」とは英語で「レムナント」、ギリシャ語で「レイマ」と言います。彼らは「聖なる者:アラム語:ハーシーディム」と呼ばれる。

③ 聖なる民と呼ばれるだけでは満足すべきではありません。実質的に清められる必要があります。主は「裁きの霊と焼き尽くす霊によって、汚れを洗い、流血の罪からすすぎ清め」てくださいます。これは十字架の贖罪をあらわします。私たちも「残された民」の一員です。人々の救いのために執り成しの祈りをしましょう。

2012.11.18
「神の国のビジョンに生きよう」歴代誌下7章14節
説教者:神田英輔 師




※動画編集中です。今しばらくお待ちください。

2012.11.11
「神の教えに従う」 箴言8章32~36節


  本日の礼拝は「子供祝福礼拝」です。一般社会では「七五三」といわれ、宮参りされますが、教会では幼子、子供を連れて牧師に祝福のお祈りを一人一人にしていただくのです。イエス様も両親に連れられて神殿に行かれました。

①子供は神様から特別に招かれて、祝福を受ける存在であるのです。祝福式は2000年前にイエス様が幼子たちに手を置いて祝福されたことに基づいています。親は子供の成長を願い、子供は大人のように信仰を知的には十分理解出来ませんが、素直に信じます。

②箴言はヘブル語で「ミシュレー」と言います。知恵の書と言われ、多くの人々が教えられ、実生活に応用しています。ソロモンの格言とも言われて、ソロモン王が色々と大切な教えを残されました。神様からの教えに導かれて勉強や、対人関係でも良い影響を与え、神様に喜ばれる人として成長して行くのです。

③私たちのモデルである「イエス様」は、「知恵が増し、背丈も伸び、神と人々から愛された」とあります。神様の愛と両親の守りで少年時代を過ごされて、心も体も成長されました。今日の礼拝でイエス様のように一人ひとりが成長してほしいと願っています。

2012.11.04
「聖なる都」 ヨハネにの黙示録21章1~4節

 本日は「聖徒の日」と言われ、「召天者合同礼拝」をいたしました。特にこの一年間に召された3名の方々を中心にして、先に天に召された多くの方々を偲びつつ、ご遺族の皆さん、教会員と共に礼拝を守らせていただきます。記念会は教会にとって大切な時です。

①先に召された方々がおられる「天の国、聖なる都」とは、どんな所でしょうか。黙示録は力強く描いています。21章はクライマックスである「新天新地、聖なる新しい都エルサレム」が来るべき望みとして展開されています。黙示とはギ語で「アポカリュプス」といわれ、啓示されているのです。

②神の聖なる都は、夫のために飾られた花嫁のように整えられています。新しいエルサレムは、キリストのからだである教会の象徴でもあるのです。聖なる都こそ神が直接に臨在される所です。

③神は「慰め主」として、先に召された方々の涙も、痛みも悲しみもすべてぬぐい取ってくださったのです。神との深い交わりの中で、圧倒されるような聖さ、愛、真実・・・に触れるのです。だれでも神の都にあっては、神の臨在と御顔を仰ぎ見るのです。

10月

2012.10.28
「信仰によって歩みなさい」 マルコによる福音書2章1~12節
説教者:ボブ・ケンディグ博士



 ※LinkIconボブ先生のメッセージはこちら

ボブ師

2012.10.21
「霊で祈り、理性でも祈りなさい」 Ⅰコリント14章12~19節



パウロは教会を造り上げるためには、霊性と知性のバランスが必要であると言うのです。教会の礼拝や祈祷会、諸集会は新しい方々に分かる内容でなければいけないと言うのです。自己中はダメです。

①各自は霊的な賜物(ギ語:カリス)を熱心に求め、健全な教会形成に寄与するものでなければならないのです。個人だけのものに終わってはならないのです。他者を生かすものでありたい。

②霊でも祈り、理性でも祈りと讃美をせよとパウロは言います。もし新しい人がいた時に、異言や霊の讃美があった時に理解出来なく、躓きを与えてしまうことになるのです。「ハレルヤ、アーメン」との当たり前の言葉も、逆効果になってしまうのです。

③その当時に広く語られた「異言」の問題を例にあげて、教会で1万の異言を語るよりは、5つの理性の言葉を語ると言う。異言を否定しているのではない。霊的な理解には深みがあります。

2012.10.14
「喜びをもって主に仕えよ」 詩篇100篇1~5節

 今月は「ナザレン日月間」で、本日は今から105年前に最初のナザレン教会が出来たことを記念する礼拝です。先週はフィリピの手紙を取り上げましたが、本日は詩篇100編を通してナザレン教団の目指すスピリットを学びます。

①ナザレン教会の創立:1908年10月午前10時40分に「祈り会」の途中で霊の一致が与えられて、合同決議して、ナザレン教会が正式に結成されました。その以前の1895年10月に135名の人々がF・ブリジー博士を立てて第一ナザレン教会を結成した。そして世界に広がって行ったのです。

②創始者ブリジー博士の言葉「ナザレン教会は与えられた使命に忠実であらねばなりません。それは豪華な大会堂を建てるのではなく、飢えた人々を救い、裸の人に着せ、悲しめる人の涙をはらい、人々の魂を救うことです」。さらに有名な言葉に「暁に太陽は決して沈まず」があります。新聖歌436「未だ見ぬ地」です。

③詩篇100編の「喜びを持って主に仕えよう」は教団の宣教目標の標語です。これは当然の信仰の応答なのです。私たちは、喜びを持って主を礼拝し、贖いの主を崇め、複活の主をすべての中心に置くのです。「霊に燃え、主に仕え」て行きましょう。

2012.10.07
「福音の前進に役立つ」 フィリピ書1章12~18節

 10月はナザレン教団伝道月間(ナザレン日は第二週)です。それにちなみ2週にわたり特別に記念説教をします。「宣教に生きる教団、教会」でありたいと希望を持って受け止めたいと思います。

① ナザレンの意味について:「ナザレ」はヘブル語で「ナセル:見張り」という意味があります。イエス様が育ち、生活された小さな村です。旧約聖書で「彼はナザレの人と呼ばれる」と預言され、イザヤ書4:3では「ナジール:聖なる者」から「ナジル人」と呼ばれた。ナザレンとは「キリストを信じる者」の総称です。

② 今朝はフィリピの手紙を取り上げました。「パウロの宣教」で逆境が福音の前進になるという神の業を見る。ナザレン教会の現況を見ると、まさにそのような願いを持たされることでしょう。

③ 獄中書間といわれるフィリピの手紙に、神の大いなる御業を見ます。フィリピはローマの植民地になってからは「小ローマ」と呼ばれるぐらいに重要な町になりました。ヨーロッパで最初に生まれた教会です。困難な中で福音が前進した.典型的な例です。「喜びの手紙」と呼ばれるぐらいでした。私たちも希望を持たして頂きましょう。私たちの伝道は神の宣教です。

平成24年度・上半期

2012年4月~2012年9月


9月

2012.09.30
「霊的な賜物を身につけなさい」 Ⅰコリント14章1~5節

 コリントの手紙と聖書全体の所でも最大の教えである「信仰、希望、愛」の愛の章が終り、気が抜けたようになりました。でも私たちは再び教会を建て上げるために各自の賜物が大切であることが教えられます。建て上げるはギ語で「オイコドメオー」と言われます。

① 神の賜物の1つとしてパウロは「預言」をあげています。預言は神のことばに与り、また語ることです。人々をは励まし、慰め、信仰に成長するために援助し、清くなることを助けるのです。

② 霊的な賜物は「適切に秩序正しく」と言い、その中心に「愛:アガぺー」をおくように勧めるのです。私たちの主であるイエス・キリストは「大祭司、預言者、王」なのです。パウロは異言を語ることは禁じてはいませんが、それよりも「預言」を語れと言うのです。異言は自分の徳を高めますが、預言(現在ではメッセージに通じる)は他者に神の真理を示し、教会の徳を高めます。

③ 異言には解き明かしが必要とパウロは言うのです。コリント教会の人々は異言を誇った人々が多くいたのです。それだからパウロは愛の賜物、特に預言を追い求めよと言う。へ語で「ナービー」と言い、先見者という意味です。

2012.09.23
「信仰・希望・愛」Ⅰコリント13章8~13節

聖書の中で「愛」について述べられている項目としては、もっとも重要であり最大のものです。祝会、記念会のハガキや祝詞で私は多く用いています。キリスト教が「愛の宗教」と言われている所以がここにあります。キリスト教の愛は「神の愛(アガペー)」です。

①世の終末(キリストの再臨)の時には、すべてのものは、すたれるのです。
しかし、「愛だけは決して絶えることがありません」とパウロは力強く宣言するのです。美しい「愛の賛歌」が厳しい戦いの中で高らかに歌われています。
②コリント教会の人々に対して、幼な子の信仰から大人の信仰を持ちなさいと言うのです。幼な子は自己中心的(自己中)であり、わがままです。視野も狭いのです。しかし、大人は自分のことよりも、他人のことを優先させます。お世話もし、我慢も出来、自制心もあります。
③私たちは信仰の目をもって、主イエスの再臨された時、その御顔を目の当たりに拝することが出来るのです。永遠に消せないものは、信仰と希望と愛なのです。その中で最も尊いものが愛で、永遠に生きるのです。

2012.09.16
「愛の尊さ」 Ⅰコリント13章4~8節

本日の礼拝は敬老記念(慶長)礼拝です。お年寄りを敬い、多くのご高齢者が私達の教会に与えられている事を感謝しましょう。前半は敬老日の由来とその尊さについて学び、後半は「神の愛の定義、性質」について展開しています。

①一般的な敬老日は1996年に制定され、その主旨は「多年に渡り社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」とのことです。箴言16:31に「白髪は輝く冠、神に従う道に見いだされる」とあります。旧約の偉大な「信仰の父と称せられたアブラハム」も、75歳から「神の大いなる働き」に召されました。

②旧約の十戒の2枚の板の2枚目の最初に「あなたの父母を敬え」と書いてありました。またクラーク博士の有名な言葉の真意は次のような言葉であったと言われています。「少年よ、この老人のように(キリストにあって)大志を抱け」と語り帰国したのです。

③愛は最もすばらしい神からの賜物であり、全ての行いのベースになるのです。前回に「愛がなければ一切はむなしい」と教えられました。神の愛(アガぺー)こそ、クリスチャンの霊的な恵みであり、愛の性質が今日の聖書箇所で16個書かれています。

2012.09.09
「愛がなかれば、無に等しい」 Ⅰコリント13章1~3節

本日より有名な13章の「愛の章、愛の讃歌」と言われる箇所に入ります。12章では私たちには豊かな霊の賜物が与えられている事を学びました。その中でも最高の賜物、道を教えようと言うのです。

①当時の教会が正しく理解しなかったために混乱を起こした3つの行為、賜物について展開しています。これらは今の教会でも起こることです。その3つは異言、預言、奇跡ある力の諸問題です。具体的には14章で述べられていますが、ここでは「神の愛の絶対性」が説かれています。霊的な理解力が求められます。

②当時のコリント教会では、異言や預言が語れることを楯に他の人々を批判して混乱が起きました。これらは神と語る言葉で他者には分からないのです。異言は自らが陶酔、自己満足に浸るものではないのです。そこに愛がなければむなしいのです。

③ 信仰の問題が提起されます。極限的な言い方が言われています。山を移すほどの力、殉教の死ですらも神の愛がなければ一切は無益とパウロは厳しく言います。愛の欠如から問題にしたのです。

2012.09.02
「子どもを祝福する」マタイ19章13~15節

教会をキリストのからだととらえ、その器官である信徒には責任が負わされているのです。それはとっても大切な任務なのです。教会は有機体ですから、健全で成長して行かなければなりません。

①神は教会の中に色々な人を働きに応じて立てられ(ギ語:オイコドメイ)ています。専門用語で言いますと、職制、働きが確立されて行かないと教会は成長しませんし、正常に運営出来ません。

②キリストのからだである教会全体のために、神は8つの職制、働き手を任命されました。この中で使徒、預言者は現存しません。また他の働きも正確に捉えないと誤解を招くものもあります。

③大切なのは各自に与えられている「賜物」の問題です。優れた賜物を追い求めて(ギ語:ゼローテ)、教会の働きのために用いなさいと言う。熱心に追い求める最高のものは「愛」です。有名な13章の「愛の章」につながるのです。


8月

2012.08.26
「賜物を用いて奉仕する」Ⅰコリント12章27~31節

教会をキリストのからだととらえ、その器官である信徒には責任が負わされているのです。それはとっても大切な任務なのです。教会は有機体ですから、健全で成長して行かなければなりません。

①神は教会の中に色々な人を働きに応じて立てられ(ギ語:オイコドメイ)ています。専門用語で言いますと、職制、働きが確立されて行かないと教会は成長しませんし、正常に運営出来ません。

②キリストのからだである教会全体のために、神は8つの職制、働き手を任命されました。この中で使徒、預言者は現存しません。また他の働きも正確に捉えないと誤解を招くものもあります。

③大切なのは各自に与えられている「賜物」の問題です。優れた賜物を追い求めて(ギ語:ゼローテ)、教会の働きのために用いなさいと言う。熱心に追い求める最高のものは「愛」です。有名な13章の「愛の章」につながるのです。

2012.08.19
「各部が互いに配慮しあう」Ⅰコリント12章22~26節

パウロは教会と人間のからだの類比を述べています。教会を「キリストの体」と言い、この世の人間の組織や団体とは異なると言う。そしてキリストの体には「多様性」があり、かつ多様性が必要である。さらに相互の依存が大切ですと述べるのです。

① 体で弱いと思われたり、見栄えがしないと思われる器官がかえって必要なのです。そのような器官がバランスをとるために必要であり、神様は御霊の賜物を注いでさらに良くしてくださるのです。

② 体の中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合い、配慮し合うのがすばらしい姿です。御霊の賜物が正常に用いられた時に表れる恵みです。コリント教会には逆の事が起こりました。御霊の乱用でした。混乱が起こりました。

③ パウロはローマ人の手紙12:15で「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」と言っています。神の目とこの世の目の基準は違うのです。神の愛によって「愛する子」としてくださいました。見劣りすると思えるところを、必要だと言ってくださるのです。そして尊く用いてくださるのです。

2012.08.12
「平和を求めよう」詩篇122篇1~9節

本日は平和月間にちなみ「平和の祈り」をし、世界の平和を詩篇から学びたいと思います。先週は広島と長崎に67年前に原爆が落とされ、多くの人々が犠牲になりました。世界で唯一の被爆国です。
21世紀は「平和と愛を願う世紀」と言われています。

① 平和について:へブル語で「シャローム」と言われます。その語源はシェン・ラメド・メムと言われ、平安、健康、充足、知恵、救い等を意味する。旧約では237回も出てきます。ギリシャ語では「エイレーネー」と呼ばれ挨拶言葉にもなっています。

② 詩篇122編は「エルサレムの平和を祈る」内容です。神の平和、平和の町と言われています。アブラハムがその子イサクを神に捧げようとしたモリヤの山、ダビデ王が首都とし、イエスが十字架を背負い歩き、救いが成就した聖地です。

③ エルサレムの平和が世界の平和につながるのです。詩篇122編は巡礼歌で、エルサレムの城門に入った時の喜びと感謝が賛美となっている。イエスの時代、世界はローマに統一されたが、長続きしなく、神の平和こそ真の平和であり、永続すると言われた。

2012.08.05
「オリーブの若木」 詩篇128篇1~6節

8月は「青年日月間、平和を祈る月」として備えられています。本日は青年のためのメッセージです。青少年のためにお祈り下さい。
最近、多くの教会で青少年が激少したと言われて、危機感が一杯です。どこに原因があるのでしょうか。

① 本日の聖書箇所は詩篇128編です。祝福と平和を願う内容になっています。日常家庭生活における祝福が、聖都エルサレムと選民の公的幸福の基盤となることが教えられる。

② ブドウの木は神の祝福の象徴であり、妻は神からの賜物といわれる。オリーブの若木は命と力の象徴です。勤労の実を食べ、主の道を歩む者は祝福を受ける。信仰と生活は一体となるのです。

③ 共同体の祝福について述べられています。最初は個人的な教訓詩の形をとっており、その祝福が共同体に広がるのです。クリスチャン(信仰者)の祝福は個人に留まらず、神の教会の榮え、主の臨在のエルサレム、世界に広がるのです。


7月

2012.07.29
「体は1つである」 Ⅰコリント12章12~17節

コリントの信徒への第一の手紙の12章、13章、14章はこの手紙の中で最も美しい所と言われています。パウロは12章の初めに、一人ひとりに対して神から豊かな賜物が与えられると言いました。でも出来たばかりの教会には数々の問題もあったのです。

① 12~13節には「キリストの体」が述べられています。教会を指しているのです。生き生きとした有機体、その交わりと関わりが展開されています。13節に具体的な例が整理しながら対照的に描かれています。キリストの体に属しているものは、皆が一つの霊をもつのです。

② 14節からは具体的にコリント教会に起こっている問題を書いているのです。強い人と弱い人との区別、分派なども出てきているのです。ここでからだと肢体が有機的につながり、教会は健全に一つとならなければならないと言うのです。

③ 教会は単なる形の上での構成ではなく、各肢体が生きた肢体となるようにキリストによって結合するのが、正しい教会なのです。
教会はすべてが一つの御霊により主イエスを告白するのです。

2012.07.22
「キリストの王国」 ミカ書4章6~7節
説教者:鈴木龍生 師

私は主を仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む。私の神は私の願いを聞いてくださる。(7:7)
「ミカ」という名前は、「だれがヤーウェ(神)のようであろうか」

①ミカは、イスラエルの支配者であるイエスについて、力、威光、威力、平和に示しています。

②ベツレヘムでのキリストの生まれが語っていますが、これは実に美しい一篇があります。

③終わりの日にもたらされる王国の予言であります。すべての国々で守られて、剣や立て槍が鋤と鎌に作り直される日が来ます。

2012.07.15
「賜物を全体の益に用いる」 Ⅰコリント12章1~7節

パウロはコリント教会の諸問題について、現実を直視しながら具体的に問題を掘り下げて来て勧告してきました。前回は聖餐について展開され、礼拝の本質に触れてきました。今朝は御霊の賜物についてです。コリント教会の信徒はその賜物を豊かに受けたのです。
12章から14章までは霊の賜物について多面に展開がされている。

①御霊の賜物についての正しい理解:コリントの教会員は、信徒になる前は異邦人であり、偶像礼拝者が多くいた。霊的な面で無知であった。「イエスはのろわれよ」と叫んでいたのです。

②御霊の賜物の多種多様性:神の霊、聖霊によらなければ「イエスは主である」と言えないと言う。イエスは十字架と復活による贖い主である。勝利者であり、万物の生ける支配者であるのです。

③主は同じ、その主からの御霊も同じです。しかし賜物は多種多様です。主に仕える務めも色々ありますが、賜物が教会全体の益とならなければなりません。自分の益ばかりを求めてはならないと言うのです。最後に賜物は愛を動機として用いられるようにと言う。

2012.07.08
「自分をわきまえ知る」 Ⅰコリント11章27~34節

先週は礼拝で大切な「聖餐」について学びました。本日は聖餐を受けるにふさわしい姿と、ふさわしくない姿勢について展開されています。一人ひとりが十分を吟味した上で与りなさいと言っている。

① 聖餐式の意味:そもそも聖餐式はなぜするのかとの問いです。それは「パンを食べ、この杯を飲むごとに、主が来られる時まで、主の死を告げ知らせるのだ」との厳粛な記念の営みなのです。

② 聖餐式は単なる食事の時間ではなく、神との契約の時です。パウロはふさわしくない態度で受けることは、主の体と血とを犯すとリアルに言うのです。ゆえに陪餐者は自分を吟味して備えと言う。

③ 当時のコリント教会での「愛餐」に分争が持ち込まれ、差別があり、真の晩餐礼が軽んじられる傾向があった。聖餐は厳粛に守るべき聖礼典です。現在も主との交わりをリアルに保ち、私達の信仰を聖別する大切な時です。霊的により深く養われましょう。

2012.07.01
「主の晩餐の意味」 Ⅰコリント11章23~26節

 半年振りにコリントの手紙に帰ってきました。教会暦、準教会暦が続いたために長い間、コリントの手紙が出来ませんでした。今朝は「聖餐」についてです。本日は第一主日ですので、タイムリーに聖餐式があります。よく学びつつ信仰を持って受けましょう。

① 聖餐の歴史:愛餐から聖餐へ
聖餐の原型は「過ぎ越しの祭り」にあります。イスラエルの民が奴隷状態から解放されたことの記念、またエジプトでの長子殺害と疫病からの守りを感謝したこと等があります。過ぎ越しの祭りは「ぺサハ」と呼ばれ、最大のお祭りで世々に継承中です。

② イエスによる最後の晩餐、聖餐の勧め
十字架に掛かられる前夜に弟子たちとお別れの晩餐をされました。
贖いの小羊としてのイエス様の「血と体」で死を象徴する「ブドウ酒とパン」を持って、今後に記念として行えと言われた。

③ 聖餐の意味と重要性
大きく分けて5つの要素が有ります。主のご苦難の記念(アナムネーシス)として行う。主の現臨の喜び(エピクレーシス)。交わり(コミュニオン)。宣教(ミッション)。最後に父なる神への感謝(ユーカリスト)があります。洗礼と聖餐は重要な2大聖礼典(サクラメント)です。主の臨在を深く覚えましょう。



6月

2012.06.24
「ヤコブの新たな旅立ち」創世記28章10~17節

 先週は「父の日礼拝」で、「信仰の父アブラハムとその子イサク」を取り上げました。今朝はイサクの子のヤコブ」を取り上げ、そのヤコブの新しい旅立ちを聖書から取り次がせていただきたいと思います。神様の不思議な導きを信仰の目を持って受け止めましょう。

① エサウとヤコブの兄弟関係について:
2人は父イサクと母リベカから生まれた双子の子どもです。元々エサウ(兄)が家督(父の後を継ぐ)権を持っていたのです。ところがヤコブを愛し、エサウのお嫁さんたちを良く思わなかった母リベカの入れ知恵で、エサウの家督権を奪うのです。

② ヤコブの旅立ち:
エサウの怒りにふれたヤコブは逃げるように親の元を離れて行くのです。旅の途中での野宿の経験が彼を変えるのです。石を枕に眠る中で夢を見ます。天からの階段(はしご)に御使いたちが上り下りをしているのです。主からの約束が与えられるのです。

③ 神への応答:
神との臨在の場所を「べテル」と名づけたヤコブは、新しい信仰と人生のたび立ちをするのです。ヤコブは祭壇を築き、「神の家」とし礼拝を捧げました。この地を子孫に与え、祝福を与えると言われた主に感謝を表したのです。

2012.06.17
「父の涙と信仰」創世記22章1~12節

 本日は「父の日特別礼拝」です。5月の「母の日」に比べて少し軽い感じはしますが、歴史と聖書からその尊い意味を学ぶことにより認識を新たにすることが出来るのではないでしょうか。

① 父の日の由来について:最初に提唱したのはジョン・ブルース・ドット夫人です。彼女はアメリカ北西部開拓者一家の少女でした。父は南北戦争の英雄で北軍のウイリアム・ジャクソン・スマート氏でした。戦争中、女手一つで働きながら6人の子どもを育てたお母さんが、お父さんの復員後、病のために亡くなり、その後にスマート氏が男手一つで6人の子どもを立派に育てたのです。

② 父の日制定について:そのような父親を尊敬していたドット夫人は、「母の日」が制定されたばかりでしたが、当然「父の日」もあるべきと牧師教会に嘆願しました。その後に歴代の大統領により具体化して、1972年に正式にアメリカで祝日となるのです。

③ 「信仰の父アブラハムとその子イサク」のお話です。100歳で出来た愛する子イサクを「全焼のいけにえ」として捧げよとの神の命令が下ったのです。アブラハムが従って屠ろうとした時に神は代わりの雄羊を用意されたのです。アドナイ・イルエです。

2012.06.10
「神の独り子イエス様」ヨハネによる福音書1章14~18節

  本日の礼拝は「花の日、子どもの日」礼拝です。世界中の教会が記念して守っています。神様に守られて、子どもたちが花のようにスクスクと育つように願い、祈るものです。

①花の日、子どもの日の由来:今から156年前(1856年)にアメリカのマサチューセッツ州チュルシイ市にあるファースト・ユニバーサリスト・チャーチでC・H・レオナルド牧師が提案したことに始まります。「子どもたちが信仰に歩み、両親が子どもを神に捧げる日」として1866年に米国メソジスト教会が年会において6月第二聖日に特別礼拝を持ち、その後に多くの教派でも持たれて定着しました。

②この日は、夏の花が咲き始める頃と重なっていますので、「花の日曜日、シャロンのバラの日」とも言われています。子どもたちにも地域で日ごろお世話になっている方々に感謝の心を表す時とするのです。次週の父の日も「バラの花」を記念しています。

③父なる神様と子なるイエスの関係の中で、言は肉体をとって宿りイエス誕生となったのです。神の子がこの世に誕生して、人間を救うために十字架に掛かられた神の子イエスの尊さです。

2012.06.03
「初代教会の共同体の姿」使徒言行録4章32~37節

  先週はペンテコステ(聖霊降臨日)礼拝を守り、初代教会が出来たことを聞きました。本日はその初代教会の姿を学び、現在の私達の教会の有り方に参考にしたいと思います。

①使徒言行録2:43~47と4:32~37は平行記事であり、初代教会の原始信仰共同体が財産共有に裏付けられた姿で描かれています。実際的には今、イスラエルでは「キブツ」の姿で残っています。聖霊降臨の結果、驚くべき一致が与えられたのです。

②信者は持ち物を提供して共有し、自己主張しなくて、与え与えられたのです。その結果、貧しい者は一人も出なかったのです。分配し合ったのです。彼らがイエスを信じる信仰に促されてそのように喜んでしたのです。全ての営みが一致なのです。

③初代教会の特色は4つあります。その内容は「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ること」です。心も思いも一つにして神と人々に仕えて行った。使徒たちも大いなる力を持って主イエスの復活を証しして伝道した。人々から好意と信頼された。今の教会に欠けている点です。心して働きを進めたいものです。



5月

2012.05.27
「聖霊が降り力を受ける」使徒言行録1章1~6節、2章1~4節

  本日の礼拝は「ペンテコステ(聖霊降臨日)礼拝」です。「3大教会暦」の1つで大切な時です。各自が聖霊に満たされる事を願い守りましょう。初代教会が出来た日でもあります。

① ペンテコステの意味:ギリシャ語で「第50番目」との意味があります。七週の祭り(シャブオット)に関連します。イエス様が復活されて40日間、人々に顕現されて昇天されました。その後10日目(計50日目)に約束の聖霊降臨があったのです。その記念を世界の教会は祝い、特別に礼拝を守るのです。祈り待ち望んだ結果、聖霊降臨はあったのです。

② 聖霊降臨の出来事:突然、天から激しい風が吹いて来るような響きが起こり、家全体に広がり、炎のような分かれた舌のようなものが各自に留まり、皆が聖霊に満たされて他国の言葉(異言)で語り出したのです。

③ 教会誕生の日:ペテロの説教、証しにより3000人の人が洗礼を受け、仲間に加わったのです。初代教会が誕生したのです。そして原始共同体を作ったのです。不思議な主の業が次々と起こり、救われる人々が起こり、教会は成長して行ったのです。

2012.05.20
「聖霊の油が注がれる」イザヤ書61章1~3節

  先週の17日はイエス様の昇天された日でした。そして約束の聖霊:イエスの身代わりの御霊(パラクレートス)降臨は27日です。その備えとして、今朝はその聖霊について旧約から見ます。

①イザヤ預言について:イエス誕生から750~800年前にイザヤによって「メシアに注がれる主の霊」について語られています。メシアの歌とも言われ、救い主イエスを信じる者、貧しい者に良い知らせ(福音)が与えられ、傷ついた者にいやしが与えられると言うのです。

②自由と解放が与えられる:レビ記25:10「50年目を聖別して解放宣言」がされるたのです。有名な「ヨべルの年」です。捕囚され、人が解放されるのです。嘆いている人が喜びに変えられるのです。

③教会が、クリスチャンが聖霊に満たされる:皆が命の御言葉を語り、一つとなり、町に向かって祝福を宣言します。真の命が回復して救われる魂が起こります。喜びの知らせが各所から届くのです。あの初代教会の恵みが、私達の教会にも満たされるのです。

2012.05.13
「ハンナの祈り」 サムエル記上1章12~20節

 今朝の礼拝は「母の日」特別礼拝です。お母様方に感謝して守らせていただきましょう。世界中の教会が母の日礼拝を守っています。

①母の日の起源:1908年にアメリカのウェスト・ヴァージニア州のウェブスターという町の小さなメソジスト教会で、ジャービス夫人の追悼記念会が行われたことに起源します。娘のアンナが母の好きだったカーネーションを飾り守りました。皆さんが感動したのでした。それから広がったのです。

②聖書上で代表的な母の例と言われる「ハンナ」を取り上げました。ご主人はエルカナ(神が所有した)です。彼には2人の妻がおり、ハンナには子供がおらず、ぺニナには複数の子供がいた。ハンナは思い悩み、祈ったのです。そして主の前に請願を立てたのです。

2012.05.06
「主の召命に従う尊さ」 エレミヤ1章4~10節

 5月はナザレン神学校月間です。献身者奨励のメッセージをするように言われています。今朝はエレミヤの召命について学び、各自が全員「献身」の思いを持ち神様に仕えましょう。

①イザヤ、エゼキエル、ダニエルと並び、4大預言者と言われるエレミヤについて学びます。エレミヤは「ヤーウェ(主)は建設する、彼は主によって高められる」と言われました。BC7世紀末、エルサレム陥落、捕囚前後の大預言者でした。

②神によってエレミヤは選ばれていたのですが、若いからと神からの召命に戸惑いをみせたのです。しかし主は全てを知った上で召されたのです。当時の堕落を鋭く糾弾した為に迫害されたのですが、神の愛と真実を確信して主張を貫いたのです。

③わたしが共にいるから「恐れることなく、わたしが命じた事を語れ。」と主は言われ、救いはわたしがすると言われた。エレミヤに再建の為の神の権意が委ねられました。


4月

2012.04.29
「建設者ネヘミヤ」 ネヘミヤ2章1~5節
説教者:鈴木龍生 師

①城壁の再建 2:12
ネヘミヤは、「私の神が、私の心を動かして」城壁再建というわざに召されたことを確信していました。
ネヘミヤは祈りの人、行動の人でありました。
実に城壁再建は祈りなしにははじめらなかったのです。
4:14 
神のご事業はいつも建設することであります。サタンは破壊者です。

②新しい共同体 8:1
律法の言葉を聞いた時、民は皆泣いていました。
今日の講壇が最も必要とするものは聖書の説教であります。
使徒17:11~12
ヨハネ5:39 あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思うので、聖書を調べています。その聖書が、わたしについて証言しているのです。
使徒4:22

③活動を継続  6:3
ネヘミヤ記に見るように、私たちの信仰生活、また教会の建設という信仰と奉仕の生活の途上においても必ず妨害があります。
ネヘミヤは祭司ではありません。今日で言えば、一般信徒です。
私たちは奉仕をするため、教会の建設のために働かせてもらうため、いつでも「はい」とすぐに応じられる用意をしておきましょう。
12:31
狐1匹の体重に耐えられないと、馬鹿にされた城壁でありましたが、今や大きな聖歌隊が行進できるほど強国になりました。
マタイ27:39~42
.ルカ9:62 するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手を鋤につけてから、後ろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」

2012.04.22
「エマオの途上の2人の弟子の開眼」 ルカ24章13~16節、28~35節

 今朝の礼拝も復活関連の出来事です。主イエス様が復活された日の夕方のことです。故郷に帰る2人の弟子に同伴される旅人(イエス様)との交わりと食事を通して、霊的に開眼する弟子の姿に教えられます。私達も霊的に生かされましょう。

①失望してエルサレムから故郷のエマオ村に帰る2人の弟子の心境と、私達の心はかけ離れているでしょうか。無関係と言い切る事は出来るでしょうか。その道は人生の道でもあるのです。

②イエス様が傍に来られ、別の姿で一緒に歩いて下さっているのに、彼らの目は遮られていて主イエス様だと分からなかったのです。聖書の解き明かしをして下さっても分からなかったのです。でも心が燃えて来ていたのです。不思議な経験です。

③夕食の時に、イエスはパンを取り、祝福してこれを裂き彼らに渡されました。「彼らの目が開かれ、イエスだと分かった」のです。イエスが共にいて下さった事と、御言葉の備えがあった事、パン裂きによりイエスと一体となった事が開眼の導きになった。あなたも霊的な目を開いていただきましょう。

2012.04.15
「主イエスとの再会と命令」 マタイ28章16~20節

 イースターを終えまして、主イエス様は復活のお体をマリアや弟子達、500以上の人々に40日間に渡って現わされ、昇天されました。その10日後に約束の聖霊が豊かに注がれました。それがペンテコステ(聖霊降臨日)です。

① マタイ28章とマルコ16章は平行記事です。イエス様の公生涯での大切な3つの働きは、宣教と教育と癒しでした。今日はその中での「宣教」という事です。弟子つくりと大宣教命令を出されました。弟子達はガリラヤに行き、山に登り、主にひれ伏した。

② 全ての人を弟子とし、洗礼を授け、教えを守るように教育する。大切な弟子づくりがガリラヤから始まり、全ての民に広がるのです。イエス様は昇天後のことを考えておられたのです。

③ 弟子つくりには3つの段階があることが教えられます。洗礼のためのしっかりした教育です。次に訓練のための教育です。最後に良い働きをするためのリーダー養成です。イエス様も「これらをまもるように教えなさい」と言われました。個人の家庭や生活の場で「聖書教育(聖書の教え)」をしっから学ぶことが重要です。

2012.04.08
「主の復活の喜び」 マルコ16章1~8節

 「イースターおめでとうございます」主の祝福が豊かに有りますようにお祈りいたします。先週は受難週でした。イエス様が私達の罪を一身に負うて十字架に掛かり、死んで下さいました。そして3日目に復活されました。十字架の死と復活は信仰の中心です。
① 週の初めの日(日曜日)の朝早く3人の女性は墓に行ったのです。地震が起こり、入り口を塞いでいた大きな石は転がされ、墓に入れた。2人の天使の若者がそこにいたのです。女性たちは大変驚き恐れた。番兵も震え上がり、死人のように硬直した。
② 天使は「驚くことはない。あの方は復活してここにはおられない」と言った。ギ語で有名な「エーゲルセー」と言う言葉です。また復活は「アナスタシス」と言う言葉です。
③ 女たちに次のように言われた。「弟子たちに会い、主は死者から復活されてガリラヤに行かれる。あなたがたもガリラヤに行きなさい」と告げなさいと。弟子たちはなかなか信じなかった。あなたはどうでしょうか。

2012.04.01
「イエスの死と私たち」 マルコ15章33~41節

 本日は棕櫚の聖日(パームサンデー)と言われ、イエス・キリストがエルサレムにロバに乗って入城された日です。受難週には入りますが、本日は群集の歓呼の声に迎え入れられた時です。


① エルサレム入場について:人々は「ローマ帝国からの支配と圧政から解放してくれる王」として、期待して「ホサナ、ホサナ」と歓声を上げて迎えいれたのです。通られる道に各自が服を敷き、棕櫚の枝を切って引き、またかざして歓迎したのです。


② 歓呼の声をした人々は、期待に応えられないと知ると、わずか数日後には「イエスを十字架につけよ」と叫ぶのです。ユダの裏切りと不当な裁判でイエスはむごい十字架刑に処せられるのです。


③ ビアドロローサ(悲しみの道)を十字架を背負い、ゴルゴタの丘で朝の9時に磔になり、12時には全地が真暗闇になりました。3時には「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」(詩篇22:1)と大声で叫ばれ、ついに息を引き取られたのです。イエスの死は私達の贖罪でした。その感謝を持って聖餐式に与りたいものです。

平成23年度・下半期

2011.7月~2012.3月


3月

2012.03.25
「ゲッセマネの祈り」 マルコ14章32~42節

 いよいよイエス様は最後の晩餐を終え、ゲッセマネに行き「最後の祈り」をされました。ユダの裏切りによる捕縛、そして裁判、十字架に架けられて行くですが、その心は如何がでしたでしょうか。

①あの有名なスポルジョンは「救主の試練の時の祈り・・・それは孤独な祈りであった。愛する3人の直弟子からも離された・・・」と言う。「油絞り」と言われるゲッセマネで、汗がまさに血の滴るように流れ落ちたのです。苦渋のイエス様の祈りでした。

②3人の弟子は眠りに陥り目を覚ませていることが出来ませんでした。主が死ぬばかり悶え苦しみ始めておられるのにです。神からも人からも見放された孤独なイエス様の姿です。私達はどのように見たらよいでしょうか。あなたの罪の赦しの為なのです。

③十字架の死の苦しみはゲッセマネから始まったのです。精神的な極限の苦しみ(苦痛)でした。カルバリでは肉体的な極度の苦痛でした。眠り続ける弟子に「もうそれでよかろう(ギ語でアぺケイ)」と言われた主は、十字架の道をたどられるのです。

2012.03.18
「苦難の僕(しもべ)」 イザヤ53章1~6節

 レント(受難節)も深まり、4月1日は受難週、6日は受難日、8日はイースター(復活日)を迎えます。今朝も受難節の題です。

①旧約聖書のイザヤ53章は有名な「キリスト預言」と呼ばれ、「苦難の僕」の内容です。キリストの受苦と贖いが預言されています。
人間の罪の贖いが、祭壇に供えられる子羊に例えられるのです。

②その僕イエス様は、人々から侮られ、捨てられた上に痛みと病を負うたのです。それは私達の背き、咎、罪のためであったのです。

③神の小羊とはイエス・キリストを指すのです。人間の罪に対する贖いとして、イエスが生贄(いけにえ:アグヌス・デイ)として血を流して死んで下さいました。第二イザヤが預言するのです。

2012.03.11
「過越しの食事とユダの裏切り」 マルコ14章21節

 受難節の中で有名な「過越しの食事」の出来事と、弟子であるユダの裏切りの記事です。先週に続き4福音書に全部出て来ています。
ユダ一人だけが裏切り者のようですが、他の弟子達もやがてイエス様を裏切ることになるのです。私達は無関係でしょうか?

①「過越しの祭り」は旧約の出エジプト(出エジプト12:1~20)を記念する大切なユダヤの祭りです。エルサレムの全ての家庭では過越しを守ります。昔、イスラエル人がエジプトで奴隷だった時に神が不思議なしるしを示し守られた事を記念するためです。

②過越しの犠牲を捧げる日で、エルサレムの市内各所に祭壇が設けられ、祭司たちがその犠牲を聖別し、奉献したのです。その捧げた小羊を各家庭に持ち帰り食するのです。犠牲の小羊こそイエスです。

③2階座敷でイエス様を囲み、最後の晩餐が行われたのです。イエスは「この中に私を裏切ろうとしている者がいる」と言われた。ユダの内通はイエスには分かっていたのです。普通には言えば私達は「ユダは何と悪い裏切り者」と糾弾してしまうのが普通でしょう。主を裏切るのは私達、いや私かもしれないのです。祈りましょう。

2012.03.04
「高価な香油を注いだ女」 マルコ14章3~9節

 今月から受難節メッセージ(先月22日から受難節)に入ります。今日の内容は4つの福音書全部に記載されています。一人の女の人(マリア)のイエス様に信仰を第一として尽くす姿に見習いたい。

①ベタニアにおける一人の女の人の行為が、今朝の中心点です。ベタニアはエルサレムの東南約3Kmのオリブ山麓の小さな村です。有名な3兄姉の家と、その近くに皮膚病を病むシモンの家が有りました。その食事に招かれたイエス様と弟子達でした。

②そこへ一人の女の人が大変高価な純粋のナルド(ギ語でナルドス)の香油を石膏(アラバストロン:雪花模様)を割りイエス様に注いで、葬りの備えをしたのです。なんと麗しい行為でしょうか。

③その行為を弟子たちは「無駄、貧者に回せ」と憤慨して言う。イエスは「なぜ女を困らせるのか。私に良いことをしてくれたのに」と言われ、埋葬の備え(終油)という尊い行為を指摘された。人の思いでなく、神を第一とする事を学びたいと願っています。

2月

2012.02.26
「わたしに倣う者となりなさい」 Ⅰコリント11章1~6節

 神の教会は国や民族ではなく、神の民、礼拝共同体として選ばれ召された者たちの群れです。ルターは「キリスト者は自己自身に生きないで、隣人において、またキリストにおいて生きる」と言う。

①パウロは常にキリストに倣いて働いてきました。それだからこそ「あなたがたも私に倣いなさい」と言えたのです。ラテン語で「イミタチオ・パウリィ」と言います。この言葉は「イミタチオ・クリスティ」(キリストに倣いて:ケンピス)から来ています。

②教会、集会における秩序の問題を述べています。ほむべき事はほめ、叱責すべきことに対しては叱責します。言い伝えられた伝承を守って行くことにたいして評価する。

③ キリスト者実生活においては、不十分な点があり、指導、訓練が必要と言う。創造の秩序がが問題とされる。具体的には礼拝時における「かぶりもの」に対する男女の問題であった。今も時代を超えて礼拝出席の姿勢、その心は大事です。

2012.02.19
「すべてに神の栄光を現す」 Ⅰコリント10章29~33節

 何事をするにしてもイエス様は常に父なる神の栄光のためにされました。それは生活全般に及びます。衣食住、伝道、働き等です。

①食べる事は生活に基本ですが、神様は何を食べてもいいが、もし他者の良心と信仰が損なわれる恐れがあるなら避けなさいと言う。ある面ではクリスチャンは、十字架によって罪から解放され、この世の伝統や習慣からも自由にされています。真に感謝な事です。

②24節に「自分の利益ではなく他人の利益を求めなさい」とありました。ややもすれば逆にクリスチャンは「自己中」に陥りやすい事が多いのです。「私が、わたしが」と声高に叫ぶのです。神様が見えないのです。神様の栄光になるように心掛けたいと思います。そうすると神様も共にいて支えて下さいます。

③人々に躓きや、惑わす原因を与える存在にならないようにしなければならないとパウロ先生は言います。神の黄金律(マタイ7:12)の実践。教会、家庭、社会の全領域に於いてです。

2012.02.12
「聖餐式の意味」 Ⅰコリント10章17節

 本日は大切な聖餐式についてパウロは述べています。当時は晩餐と呼ばれていました。その起源、意味、目的について学びましょう。
11章、12章も関連記事が出てきます。でも22日からレント(受難節)が始まりますので、3月からはその関連記事に入る予定です。

①イエスが十字架にお掛りになる直前に弟子たちと「過越しの食事」を共にされました。そのパンと杯が聖餐式の原点になりました。エジプトでの奴隷生活の中で、災いや病や神の裁きが通り過ぎたと言われています。それは各家庭の鴨居や玄関に小羊の血を塗った事で実現したのです。奴隷からの解放の記念をも表しています。

②聖餐の意味ですが、パンがキリストの体(十字架の上で裂かれた)を表し、杯(ブドウ液)はキリストの流された血(十字架の上でやりで突かれてわき腹から流れ出た血)を表します。

③聖餐の目的は、一つはこのキリストを覚えること、もう一つはキリストを告げ知らせることです。キリストと一つとなり、キリストにあって皆一つとなることを表します。

2012.02.05 (鈴木龍生 師)
「キリストによって生きる」:ヨハネによる福音書6章57節


  キリストを持つことは、生命を持つことであり、キリストの賜物を受けることは、生命を受けることであります。

①聞く者は生きる
 キリストの言葉を聞く者は、永遠の命を持つと言っています。

②食べる者は生きる
 キリストとの生き交わりは聖餐式において教会が経験するところであります。
 いのちのパンであるキリストに出会う時、人は命と力とに満ち溢れます。

③信じる者は生きる
 キリストを信じる者は復活し、永遠の命を得ます。信じる者にとって、
 肉体の死は、すべての終わりではなく、永遠の命の始まりであります。

2012.1月


2012.01.29
「主の血に与る」:Ⅰコリント10章14~22節

  先週は試練に耐え、解決の道を主は備えて下さっているから、不平やつぶやかないで主を信じて行こうとの励ましをいただきました。
本日は聖餐式に与る時の「主の御体と血」に対する勧めです。

① 杯はキリストの血に与ること、裂かれるパンはキリストの体の交わりに与ることですとパウロは言います。キリストの死によって、人が義とされて神との和解の道が開かれたのです。

② キリストとキリスト者および教会との一致に続いて、主にあるキリスト者相互の一致の大切さをパウロは言うのです。一つの体、共同体との自覚が大切です。

③ 「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる」(ヨハネ6:54)。霊的な出来事が目に見えるリアルティーとして表されます。血と肉はキリストの十字架と復活を表しています。

2012.01.22
「神は真実な方です」:Ⅰコリント10章10~13節

  神を試みた人々はそれだけで収まらず不平、不満をもらすのでした。パウロは昔イスラエル人が捕囚地のエジプトから脱出し、40年間の荒野の旅をしている様子に私たちの信仰を例えているのです。

①色々な状況があるにせよ、人間の不平、つぶやき、文句は神への不信仰、信頼のなさの表れです。不平を言った者は滅びに入るのです。時の終わりが迫っているからです。

②確かに長い430年間の奴隷生活は過酷であり、さらに40年の出エジプトの荒野の旅は大変であったと思います。神につぶやいたり、試したり色々あったことでしょう。

③しかし神は真実な方です。絶えられないような試練に会わせないだけでなく、逃れる道も備えてくだいます。多くの人々がこのお言葉で慰められ、力を得て来ました。神は全能の方です。

2012.01.15
「自らの節制と服従」:Ⅰコリント9章24~27節

  コリント市はギリシャの大都市でした。ギリシャはご存知のように、オリンピックの発生地でした。パウロは皆が知っている競技にたとえて、成熟した信仰を求めています。

①パウロは福音宣教の進展と教会の一致を目指して戦っていました。キリストのからだなる教会に仕える彼は、その責任と奉仕を自覚し、競技者に見習い節制していたのです。

②コリント郊外で2年ごとに競技大会が開かれていたのです。ローマ皇帝は競技好きで、4年毎のオリンピックでは長すぎるとの理由でした。イスムス大会と呼ばれていました。パウロはその例に見習い、神の働きのために節制して備えたのです。

③栄冠を得るために自らの体を打ちたたいて、走り抜きましたとパウロは言うのです。見えない義の冠を神は授けて下さいます。ゴール(天国)を見上げて前進させていただきましょう。

2012.01.08
「福音のために全力を尽くす」:Ⅰコリント9章19~23節

 異邦人宣教の最大の伝道者はパウロです。そしてそのパウロの宣教姿勢と成功した伝道の秘訣が展開されている。私たちに大いに参考となる箇所です。特に23節は重要である。

①すべての人に仕える(19~22節):パウロの宣教姿勢はすべての人の「しもべ」となり、すべての人(相手の立場)のようになったと言う。特に律法関係について多くを述べている。

②救霊のために:パウロの願いと使命は宣教であり、その宣教を通して導かれた人が福音により救われることです。幾人かでも救われてほしいとの切なる願いを持つのです。

③パウロの実生活は福音のためにある:日常の生活すべて(飲み食いを含めて)が、福音のためにしていると言う。ピリピ1:21「わたしにとって生きることはキリスト・・・」と、キリストに生かされ、福音のために全力を注ぐ姿勢に感銘を覚えます。

2012.01.01(新年礼拝)
「神を愛し、隣人を愛せよ」:マルコによる福音書12章29~31節


 「新年の祝福を主によってお祈り申し上げます」。新年礼拝において、今年の教会標語「神を愛し、隣人を愛せよ」との御言葉のメッセージを聞き、私たちは信仰の原点にしっかり立ち戻りつつ、色々な主にある働きを進めて行きたいと思います。

① 私たちの主であるイエス・キリストは、最も大切な戒めは2つあると言われ、「真の神を愛し、自分を愛するように隣人を愛しなさい」と言われた。申命記6:4~5で神を愛する姿が示される。

② 第一番は神を愛すること、第二番は自分を愛するように隣人を愛することです。レビ記19:18からの引用です。律法学者の問いにイエスは神の御言葉を持って答えられたのです。私たちもイエス様のように、全ての問題に対し聖書を指針にしましょう。

③ ここでの大切な「愛」は、知識的、人間的な愛(ソフィア、エロース)ではなく、神の愛(アガぺー)です。今年一年間に渡り、色々な働き、伝道、教会形成に渡り、常にこの信仰の原点に立ち、愛を持ち、喜びを持って主に仕えさせていただきましょう。

12月


2011.12.25(クリスマス礼拝)
「御子イエス様の誕生」:ルカによる福音書2章8~14節

 クリスマスの祝福をお祈り致します。神の御子イエス・キリストがお生まれになった喜びの日です。世界中で最初に知らされたのは、ベツレヘムの郊外で羊の番をしていた羊飼いたちでした。

①羊飼いの姿:山野で夜に野宿をしながら羊の番をしていた羊飼いに、突然に主の栄光がめぐり照らした。非常な恐れを持った彼らに「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。それは救い主メシアの誕生」との御言葉を伝えたのでした。

②羊飼いらはすぐに行動を起こしたのです。町に行き天使の告知を確かめるのです。神の言葉に触れたものは変えられるのです。ベツレヘムの馬小屋に駆けつけ、幼子イエスに会ったのです。

③クリスマスは神をあがめ、賛美する時です。「天に栄光、地には平和、人に愛が」と天使、天の大軍が喜びの賛美を響かせるのです。
私たちも喜びを持ってクリスマスをお祝い致しましょう。

2011.12.18(アドベント第四週)
「主の淑女マリア」:ルカによる福音書1章26~38節

 クリスマスおめでとうございます。キャンドル4本に明かりが灯り、今日から25日にまでの1週間がクリスマス週間となります。
今年は25日にクリスマス礼拝を行います。

①今朝はイエスの母マリアの信仰、生き方から学びたいと思います。
天使ガブリエルから「おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる」と告げられたのです。突然あなたにそのような声がかかると、あなたはどうしますか。

②マタイ福音書では「受胎告知」がされました。マリアは驚き、戸惑い、恐れ、考え込んだのです。大変な事が起こったのです。
窮地に立たされたのです。婚約者ヨセフも同様です。

③天使は「恐れることは有りません。聖霊によって男の子を産む。その子を「イエスと名付けられ、世界を救う主」となる事でしょう。マリアは全てを神に委ね、心からの讃美を捧げました。

2011.12.11(アドベント第三週)
「神は我々と共におられる」:マタイによる福音書1章18~25節

 本日はマタイ福音書を通し、クリスマスの意味を知りたいと思います。中心聖句は、旧約のイザヤ7:14よりの「インマヌエル」との語です。そして「メシア」という言葉です。

① 婚約中のマリアとヨセフに、受胎告知がされました。恐れと苦悩が始まるのです。万策尽きた時に、夢顕現(天使)の神の言葉に全てを委ねたのです。ここに正しい人の信仰に委ねて姿を見ます。

② インマヌエルとはなんでしょうか。イザヤ書に何回か出てくる言葉で、「神は我々と共におられる」との意味があります。救い主イエスの誕生が、インマエル預言の成就であることを言っています。

③ ヨセフは神からの顕現通り、マリアを妻として受け入れ、その子を「イエス」と名付けた。これらは天使が命じた通りでした。私たちもクリスマスにあたり、信仰の再点検をし、喜びと希望に生かされて行きましょう。

2011.12.04(アドベント第二週)
「平和の君」:イザヤ書9章1~6節

 本日の聖書箇所は有名な「インマヌエル預言」と呼ばれるところです。イザヤの活動した時代は、戦争が絶えず、北イスラエル王国は大国のアッスリアに滅ぼされ、南のユダ王国もかろうじて生き延びていたのです。民は飢え、苦しみ絶望状態の中にいました。

① イザヤはそんな民に希望の預言をし、神は神を信じる者を決して見捨てないと言う。闇の中を歩む民、死の陰の地に住む人々は、光を見、その光は輝いていた。大いなる希望、救いの喜びです。

② しかし、現実には戦争の恐怖、侵略のおののきがあるのです。敵の軍隊の靴音、鞭や杖、武器で住民を脅かし、略奪を繰り返すのです。ガリラヤ地方の民衆は非常に大きな苦しみを受けました。

③ 平和の預言者イザヤは、平和を実現するひとりの王の誕生を預言しました。それが「ひとりのみどり子」でした。メシアであるイエス・キリストの誕生預言とされている勇名な箇所です。その名は「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられたのです。希望の福音となったのです。

11月


2011.11.27(アドベント第一週)
「エッサイの若枝」:イザヤ書11章1~5節

 今年もアドベント(待降節)を迎えました。クランツの4本のローソクに1本火が灯り、4週後にクリスマス週を迎えます。良き備えを持ってクリスマス(主のご降誕日)を迎えましょう。

① アドべントについて:ラテン語(アドベントゥス:到来、来るべき)から来たものです。「キリストの到来」のことです。ギ語(エピファネイア:顕現)と同義で、キリストの再臨(ギ語のパルーシア)を表現する語としても用いられます。

② 聖書の数多くの箇所で「ユダ族のダビデの子孫から救い主(イエス・キリスト)が出ることが預言されています。今朝のイザヤ書11章は「メシア預言」と呼ばれ、9章「インマヌエル預言」と並んで有名です。イザヤが待望するメシア(救い主)は、ダビデ家の家系(ダビデ王の子孫)から現れると言うのです。

③ メシアの特質として、主の霊が留まることですが、その6つの特徴があり、大別では3組に分けられます。「知恵と識別の霊」、「思慮と勇気の霊」、「主を知り、畏れ敬う霊」です。この点において主イエス様こそ真のメシアにふさわしい方なのです。

2011.11.20
「豊かな収穫への感謝」:詩篇65篇10~14節

  今朝は子供祝福式、収穫感謝記念礼拝です。初めにCS(教会学校)のミニ礼拝をしていただき、教会員が理解してCSのために執り成しを祈るようにとの願いがあります。

①「幼子を来るままにしなさい、止めてはならない」と言われたイエス様に見習い、幼子を大切にする教会で有りたいと思います。

②収穫感謝礼拝の意味を学び、いつも私たちに恵みと働きを与えて下さいます神様に感謝いたしましょう。17世紀の初めの頃、信教の自由を求めて英国から102名の清教徒(ピューリタン)がアメリカ大陸に大西洋を2ケ月もかけて渡り、荒地を開墾して、最初の収穫を祭壇に献げて感謝礼拝を持ったことを記念する礼拝です。

③詩篇65編の主題は、豊かな収穫を与えてくださる恵みの神様への感謝です(収穫感謝への賛歌)。私たちの神は祈りを聞かれる神であると同時に、また頼みとすべき救いの神である。21世紀にも変わりない全能の神である。委ねて前進させていただきましょう。

2011.11.13
「主にあって自分を知る」:Ⅰコリント8章1~6節

  連続講解説教に久し振りに戻りました。来週からは教会暦に沿いますので、コリントの手紙はしばらく有りません。今朝はクリスチャンとしてよく突き当たる問題が提議されています。

①異教社会でクリスチャンは、どのように信仰を維持しなければならないかが問われています。偶像の神殿に供えられた肉のお下がりを食べて良いかとの問題が、1つの代表的な問題として言われています。ユダヤ教律法では禁じられた問題だったのです。

②コリント市民生活はギリシャの宗教、文化の影響を受け、公的にも私的にもその中に生活せざるをえないのです。当然、それらの肉は食べます。これらに順じる諸問題は多くあります。

③困難な対応の時に、神に祈り、自分の置かれた立場、他者のことを覚えた時に、信仰の本質に関わる以外では、愛を持って行いなさいと言われる。人を躓かせないためです。深く教えられます。

2011.11.06
「主は羊飼い(牧者)」:詩篇23篇1~6節

 今朝の礼拝は「聖徒の日、召天者記念礼拝」として守ります。先に天に召された方々を偲び、その方々の信仰を尊び、見習う時、同時に改めてそれぞれのご遺族のお慰めを祈るものでであります。

①多くの教会が「諸聖徒の日:オールセインツー(万聖節)」として礼拝を守り、午後に墓前や納骨堂でも式を執り行っています。春はイースター(復活日)に同様に守ります。

②詩篇23編は、病んでおられる方をお見舞いしたときや、告別式等でよく読まれる箇所です。あの偉大な王であったダビデが危険と苦闘した時に読んだ詩篇であると言われています。

③牧羊者の経験から、自分と神との関係とその守りへの感謝わ歌った感動的な詩篇です。何回読んでも神の深い恵みを味わい知るのです。多くの人々が慰められ励ましまされてきた事でしょう。

10月


2011.10.30
「信仰による義」:ローマ書3章21~26節

 今朝の礼拝は「宗教改革記念」として守っています。ルターの宗教会改革は、ルネサンスと並んでヨーロッパ、世界を変え、今のプロテスタント教会の誕生の原動力となった偉大な働きでした。

① 宗教改革の背景と根本精神について:教皇レオ10世がサン・ピエトロ大聖堂を改築するために贖宥状(免罪符)を発行したことにたいする抗議から始まったのです。お金次第で「天国の鍵」が買える教皇の権威、1枚の紙切れで免罪や、天国資格に抗議したのです。

② 宗教改革の基本モチーフは「信仰のみ」「恵みのみ」「聖書のみ」でした。人が罪赦されるのは、行いやお金を積むことでなく、ただキリストが私たちの身代わりになり十字架に掛かり、血を流してくださったことを信じる信仰のみにより救われるのです。

2011.10.23
「信仰と行い」:ヤコブ書2章18節
説教者:鈴木龍生 師

 この手紙は、離散している十二部族の人たちにあてて書かれている。教会の伝承によると、ヤコブ書は、イエスの弟子やこブによって書かれた。キリスト者として、生きることについて助言をしている。

①ヤコブの手紙は、信仰への攻撃ではなく、信仰があると称しながら、それを行為をもって示すことをしない偽善的信仰への抗議なのである。

②例話は、旧約や田舎の生活からとられている。ヤコブの手紙は、イエスの教え、田舎の日常生活からとった親しみやすい例話の内容など、いずれも類似している。

③パウロは、「愛によって働く信仰」であると語る。同じようにヤコブは、 「行いのない信仰は、死んでいる」と語るのである。ヤコブとパウロは、お互いに矛盾しているのではなく、お互いに補足し合っていると見ることができる。

2011.10.16
「ありのままを生きよ」:Ⅰコリント7章25~31節

 コリントの手紙は他の書簡と少し違うのは、非常に具体的な諸問題を取り扱っているのが特徴です。それだけに当時と今の私たちの状況、背景の理解が必要。通じること、通じないことの分別が大切。

① 今までに「分派の問題、不道徳の問題等」を学んできました。7章は「結婚問題と終末」に触れるのです。6章から続いている問題でもあります。クリスチャンと結婚、未信者と結婚、未婚のクリスチャンに対するパウロからのアドバイスです。

② 聖書は神の言葉です。物事の基本原則を私たちに教えるのです。パウロはその基本原則を当時のコリント教会の状況に適用しているのです。またコリント教会からの質問に答えている内容です。

③ 危急の時、時の迫りの時の背景理解が必要です。そのような状況下では「人はそれぞれの現況に留まるべきである」と言うのです。この世のことに執心していると、神の御心を見失ってしまう。有りのままを主に捧げることが大切です。(マタイ6:33)

2011.10.09
「宣教に生きる教会」:マタイ28章16~20節

 今朝は「ナザレン教会創立記念日」です。アメリカのロサンゼルスで、世界で初めてのナザレン教会、第一ナザレン教会が創立メンバー135名を持って出来たのです。それが1895年10月第二聖日でした。ナザレンは宣教に生きる教会です。

①復活のイエス様の第一声が「宣教せよ」でした。先ず、「行って全ての民を弟子とする」でした。教会や家庭に閉じこもるのではなく、人々の中に出て行く。そして信頼関係を築く。最も親しい人々を愛し、交わりの中で神の聖霊の美を結んで行く。

②人々に対して「父、子、聖霊の名により」バプテスマ(洗礼)を授ける。この肉的な世(死)から、霊的(永遠の命)な神の世界に移してあげる。神の家族と共になっていただく。

③主イエス様が命じられたことを守るように教える。最も有名で大切な「山上の教え(垂訓):5~7章」を中心に、人々に大切な「神の掟」を教える。ガリラヤ地方を隈なく回られて、諸会堂で神の福音を教えられたイエス様に見習って行く。

2011.10.02
「分に応じて歩めよ」:Ⅰコリント7章17~24節

 今朝の聖書箇所は、当時の社会、教会の置かれた状況を考えなければなりません。ローマ帝国の時代背景、コリント教会の構成メンバー等を理解した上で、現在の私たちクリスチャンにどのような教えが可能かを探りたいと思います。

① ローマ帝国下での階級制度は厳しいものがありました。皇帝、支配階級、市民権を持つ者、下層の者、奴隷層、さらに男女差別・・・。
そういう状況の中で「コリントの信徒への手紙」が、パウロによって書かれたのです。

② おのおの召された時(身分)のまま、主から分け与えられた分に応じて歩めと言うのです。私たちに誤解を与えているのでしょうか。それには根拠があるのです。信仰に入った時から「永遠の命」が与えられているのです。世と神の国が明確に区別されたのです。

③ その与えられた神からの賜物に応じて、神との豊かな関わりに入れていただく事が重要と言うのです。有りのまま従うのです。割礼の有無は問題ではないのです。ガラテヤ3:26を参照。
私たちは神により、大きな代価を払い買い取られた者です。

平成23年度・上半期


2011年4月~2011年9月


9月


2011.09.25
「私たちは聖霊の宮です」:Ⅰコリント6章15~20節

 私たちの信仰の土台はイエス・キリストです。それを受けて次に、私たちが「聖霊の宮、神の宮」とパウロは言うのです。宮と言うと目に見える建物をイメージしますが、そうではありません。同じ内容が以前に学んだ3章にもありました。
① 正しい倫理的、道徳的解釈が、娼婦と交わるような体が、神殿となって良いだろうか?自分の体には、自分で支配出来る部分と、出来ない部分があると言うのです。
② 主に結びつく者は、自分の体が主の霊と一緒になると言うのです(ラテン語:ソーマ・クリスティ)。それはキリストの教会を表す言葉となるのです。
③ 3章で学んだ内容でもありますが、「神からいただいた聖霊が宿って下さる神殿」なのです。大きな代価を払い、買い取られたのですから、自分の体で神の栄光を現しなさいとパウロは言う。

2011.09.18
「老いる日まで守る」:イザヤ書46章1~4節

 本日は慶長記念日です。私たちは信仰の先輩の方々を尊びたいと思いイます。聖書でそのことを教えられたいとおもいます。

① イザヤ書46章3節と4節は神の愛を強くあらわしています。長い人生の中で、倒れ伏すときも何度かあったことでしょう。特に年老いたた時は、如何にその思いが深いでしょう。

② 神様の方から近づいてくださるのです。神様はそういうお方です。手を差し伸べてくださいます。年老いるまであなたを背負い、救い出すと言われるのです。なんと幸いなことでしょうか。

③ 「わが子よ、いとし子よ、私がどうしておまえを忘れることがあろうか。あなたの試練の時、苦しみの日に、一組の足跡しか見なかったのは、私があなたを背負って歩いていたからだ。」足跡

2011.09.11
「信仰者とこの世の人々」:Ⅰコリント6章1~7節

 先週は、5章でコリント教会員の中に不品行、不道徳な行われているのに、それを黙認し、取るべき処置をしないでいる問題をパウロは厳しく指摘した事にふれました。本日の6章では、教会の問題を教会内で解決しないで、世俗の裁判に訴える間違いを指摘する。

① 仲間内で争いがあったと言うのです。具体的には述べられていませんが、多分金銭的な不正問題であると言われています。すぐに世俗の裁判に訴えたのです。ここに矛盾を感じます。

② パウロがここで言いたいのは、ささいな事件(ギ語:ピオテーイコス)を法廷に出すのを恥と思っていたのでしょうか。そうでは有りません。教会内にそれを解決出来る指導者いなかった事です。

③ 互いに訴ったえ合うこと自体が敗北ですとパウロは情けなく思いながら言うのです。良く祈り、愛を持って解決したいものです。そうしないならば、世の人に証しになりません。世の裁判官は教会のことも、信仰(霊的なこと等)も分かりません。

2011.09.04
「不道徳な行いに注意」:Ⅰコリント5章1~8節


 9月に入り、秋の伝道シーズンに入りました。私たちは大いに学び、大いに伝道しましよょう。主の祝福を祈ります。

①コリントの都市は商業都市で大いに栄えました。しかしもう一方では「偶像礼拝」が盛んで、アフロデイト(女神アシュタロテ)礼拝が公然と行われ、その女神の神殿に1000人を超える神前娼婦がいて売春が行われていた。教会も倫理的影響を受ける。

②教会にもこの世にもないぐらいの不品行が起こっていたが、放置されて解決出来ていなかったのです。教会の甘い体質がある。
悔い改めのない人に除籍をしないで放置している事を憂いた。

③パウロは自分を誇ると言う「古いパン種」を取り除きなさいと厳しく言うのです。今日は「過ぎ越しの祭り」と、十字架のイエス様の贖罪の「聖餐式」に与りますが、罪を悔い改めて与りましよう。

8月

2011.08.28
「主に忠実な者になる」:Ⅰコリント4章17~21節

 パウロが自分の代理として愛弟子テモテを、コリント教会に遣わしたのです。その目的とパウロの心情が出ています。

①テモテが如何に自分の代理としてふさわしいかを述べている。幼い時からの信仰教育を受けたこと。評判の良い人で、主に忠実な人であったとの事・・・。

②コリント教会の人々のパウロに対する中傷、うわさを聞く。自らも訪問したい思いを訴ったえるパウロの思いを彼らは理解出来ない。指導者の思いを理解したいものです。主の御心を優先にする伝道者パウロです。

③神の国は言葉ではなく力ですと反論します。あなた方は私が行く時、ムチを持って行くことか、それとも愛と柔和な心で行くか、どちらを望むかと問いかける。

2011.08.21
「キリストに導く養育係」:Ⅰコリント4章10~16節

 先週の「聖会」で、私たちはとっても恵まれました。恵まれただけで終わらないで、佐藤 彰先生の血のにじむような一言一言を受け止め、生かししていきたいものです。

① パウロ先生は、使徒としての今日までの自分の姿を素直に証しするのです。彼はいつも「対比」を持って語る特徴があったと言われています。注目しましょう。

② コリント教会に集まる一人ひとりを、愛する自分の子供だと言うのです。養育係が必要です。キリストに導く養育係になりなさいという。でも家庭には父親は一人です。私が父親ですと言う。

③ 福音を通してあなた方をもうけたと言い、私に倣いなさいとパウロ先生は言われる。家庭にとって父に倣うことは当然ですね。でもなかなか言える言葉では有りません。パウロ先生は愛を持って私たちを諭しておられるのです。

2011.08.14
「神の管理者」:Ⅰコリント4章1~5節

 4章に入りました。ここでは先ず使徒とそのあり方を述べ、次に使徒と教会について語られています。つまり、どんな場合にも教会の責任を負う者はどうあるべきかと言うことが述べられています。


①パウロは私たちをキリストに仕える者、神の奥義(秘められた計画)の管理者と考えるべきであると言う。仕える者はギ語でヒユべレスと言い、管理者はオイコノモスと言います。


②管理者に要求されるのは、「忠実」であることです。教会の責任をゆだねられている者は、神への忠実、人への忠実さが求められます。もしその忠実さが失われた時は、大きな教会でも無意味になる。


③キリストの裁きに先立って、人をさばいてはならないとパウロは言います。私を裁く方は主です。その裁きは、闇に埋もれていたものを明るみに出し、真理を明らかにするのです。

2011.08.07
「神の聖なる神殿」:Ⅰコリント3章10~17節

 8月の「平和を祈る月間」について、礼拝の前半で互いに「平和の祈り」をいたしました。世界に早く「神の平和」(マタイ5:9)がきますように願います。戦争や飢餓やもろもろの悲しみが無くなることを祈りましょう。

①パウロは熟練した建築士のように土台を据えたと言いました。その土台はイエス・キリストですと言う。アポロでもないし、パウロでもないのです。どんなに優秀でもです。そして神からの恵みによって上棟していくのです。「金、銀、宝石、木、草、わら」で建て上げられていくのです。各自の役割も明瞭になると言うのです。

②神からの恵みによって土台が据えられ、その上どのような教会を建て上げて行くのか、どのような方法で形成しゅるのかが重要です。試練の中も救われて今があると言う。

③驚くべき言葉が出てきます。「あなたがたの内に神の霊が宿って下さっている神の神殿」だと言うのです。今よく言われている「プレゼンス」という言葉です。「共にある、現存在」というそうです。その神殿を壊すものがいれば、その人は滅ぼされるのです。

7月

2011.7.31
「成長させて下さるのは神です」:Ⅰコリント3章1~8節

 大都市のコリント教会の大きな問題は、「分派」の問題でした。パウロは1章で「キリストの十字架」、2章で「御霊の力」、そして3章で「成長させてくださる神」に視点をおいて力強く語ります。

① あなたがたは相変わらず肉の人、乳飲み子、ただの人として歩んでいるとパウロは問いかけるのです。成熟していないのです。大人になっていないのです。

② 繰り返し言われていることは「分派」のことです。コリント教会の人々は、アポロやパウロをかつぎ出して争っていました。これらは「肉の働き」です。2~3章で3種類の人々が出てきています。「生まれながらの人、肉の人、霊の人」です。教会の問題や、逆に成長を目に見える形にとらえている。

③ 諸問題や、教会成長等を人の働きのみにとらえて、背後にある神の働きを見失うような霊的な目を持たなくなっていたのです。福音宣教も教会形成も、人のことばかり気にしないで、成長させてくださる神に目を留めましょう。

2011.7.24
「神の霊・世の霊」:Ⅰコリント2章10~16節

 神の奥義、知恵は啓示によってのみ知り得るものです。神の知恵と神の奥義にふれて、パウロは以下の事柄に追及しています。

① 神の奥義、知恵は何によって啓示されたのでしょうか。「御霊によって」です。御霊は全てのことを探り、神の深みにまで及ぶのです。人間的な手段ではないのです。たとえそれがどんなに優れていたとしてもです。

② 御霊はその探りの過程で、光を投じるために人の内側を点検されます。人の心を知れれるのは御霊のみです。信仰者、クリスチャンは神からその霊を受けています。それは世の霊ではないのです。信仰者はこの神の霊により、神の深い意思、御旨をしるのです。

③ 生まれながらの人は、この神の御霊の臨在がないのです。御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえるのです。成熟した信者は、十字架の福音だけでなく、広く万物、状況を理解することが出来るのです。成熟したクリスチャンにならせていただきましょう。

2011.7.17
「成熟した人」:Ⅰコリント2章6~9節

 パウロはコリントの教会員に成熟して、神の知恵を語りなさいと勧告します。それはこの世の知恵ではなく、霊的に導かれた神の奥義である十字架の純福音です。十字架につけられたキリストだけを宣べ伝えたのです。

①成熟(円熟)した人々の交わりに入る幸い:先ず教会内で交わり、祈り合い、証し合い、神の知恵を学び、理解して心に受け入れることから始まるのです。神の知恵(知識)はギ語でソフィアと言われ、旧約では神を畏れ、神に服従することを根本とし、新約ではキリストを知り、従うことでした(コロ2:3)

②隠されていた神秘としての神の知恵:神の奥義は霊の啓示により初めて知ることが出来ます。生まれ変わって聖霊を受けていない人は、神の奥義の十字架が愚かなものに見えるのです。エフェソ1:17を信じる。

③神の先行性:まだ知らなかった時、理解出来ていなかった時、思いも浮かばなかった時に、神はすでに備えていて下さったのです。神を愛する者たちは幸いです。成熟したクリスチャンにならせていただきましょう。

2011.7.10
「霊と力の証明」:Ⅰコリント2章1~5節

  パウロはコリント教会が分派に陥り、健全な成長が妨げられているのを憂い、十字架につけられたキリストについてのみ語りました。十字架の言葉こそ神の力であり知恵なのです。キリストにあってこそ1つになることが出来ます。

①宣教の極意:優れた力、才能、知識でするのでしょうか。宣教は神の御霊の働きがなければ実を結びません。パウロは優れた才能を持つ伝道者でしたが、彼は人を救いに導くのは御霊の力であるころを知っていました。

②証しの力:パウロは十字架のイエス様、十字架のことばを語りました。神の証しを宣べ伝えました。イエスの罪の赦し、キリストのよみがえりについて淡々と語りました。決してそれは雄弁では有りませんでした。平易に語り、救いの証しをありのまましました。御霊の力がバックアップしました。

③パウロの説教、宣教とは:世界最大の偉大な福音宣教者(世界最初の異邦人伝道者)、名説教家ではなかったのです。雄弁であろうが、なかろうが「十字架のキリスト」は変わりません。聞く側の信仰です。聖霊の執り成しがあるか、無いかです。十字架信仰があるか、どうかではないでしょうか。

2011.7.03
「神の選びとは」:Ⅰコリント1章18節、26節~31節


  先週には「分派」について学びました。「私はパウロにつく、アポロに、ペテロに、いやキリストにつく」と、各自が勝手なことを言い出した事を学びました。そうなると健全な教会形成が出来なくなります。そこでパウロは「十字架のことばに帰れ、十字架のキリストにつけ」と勧告するのです。

①十字架のことばは神の力です(18節):今朝の説教の中心聖句です。
 イエス・キリストが私たちの罪の身代わりになり、十字架で死んで下さった事によって罪の赦しが成就したのです。そして復活の命に与るのです。
十字架のことばは
 Ⅰ.イエス・キリストご自身と、福音を意味します。
 Ⅱ.信じない者(滅んで行く者)には愚かなものと見る。
 Ⅲ.信じる者には真の救いとなり、神の力となるのです。

②人の知恵と神の知恵について(19~21節):人の知恵に対する神の勝利(十字架の勝利)を、パウロは旧約のイザヤ書29:14を引用して迫ります。人間の知恵、力は神の前には空しいものなのです。福音の御業、十字架の事実を神からのものとして信じ受け入れることです。

③神の選びとは、人の選びの基準とは違います。この世的に優れている人ではなく、無に等しい人、無力な人を、あえて選ばれ召されました。それは、神が愛された人でした。私たちは、その主を誇りとします。

6月


2011.6.05
「神は真実な方」:Ⅰコリント1章4節~9節

 6月から「コリントの信徒への手紙」に入ります。皆さんからのご要望が有りましたので、しばらく学びたいと思います。これからの当教会の教会形成にとっても大切になる事でしょう。

① この手紙の背景について
この手紙の宛先のコリントの教会は、使徒18:1によればパウロが第二伝道旅行の際(紀元49年頃)、アテネから来て、天幕職人のアキラとプリスキラの夫婦に支えられて形成したと言われています。1年半滞在、シルワノやテモテに助けられて基礎を作りました。

② コリント市と教会について
ローマ帝国のアカイア州首都で、多くの民族が混在し、国際的な交通、通商の要地でした。多くの異教の神殿、風俗店があり、教会も多様な人々の構成で、分派もあった。

③パウロはその状況を愁い、真実の神を示し、神の恵みを証し、しっかりキリストに結ばれること、主の再臨を指し示し、待ち望む者とされることを強く語るのです。神は私たちを神の子と呼んで、主イエス・キリストの交わりに入れて下さるのです。

2011.6.12
「神の輝きを見る」:イザヤ書35章1節~4節

 ペンテコステ(聖霊降臨日)の祝福をお祈り致します。
教会3大暦の1つで、イエス様の昇天後に約束の聖霊が豊に弟子たちや人々に降臨したのです。また、本日は花の日子どもの日です。両方の祝福を祈り説教をします。

①「花の日、子どもの日」についての意味は、1856年の6月第2主日に米国のマサチューセッツのチャールズ・レオナルド牧師が、教会で児童が神様を信じ、両親が子供を神に捧げる日として、聖書や花を贈り、神様が作られた自然や花、小さき物を愛する心を教えたのです。

②ペンテコステ(聖霊降臨日)の意味は、ギ語で「50番目の日」と言い、主の復活祭から50日に祝われ、約束の聖霊が降臨し、教会が出来た日でもあるのです。宣教、教会形成には聖霊の支えが切に必要です。

③荒れた地が神の恵みにより、豊かな地へと変えられて行く姿を、自然の姿(例:花々、地)を通して語られる。回復のメッセージは今の私達に語られるのです。

2011.6.19
「父の諭し」:箴言6章20節~23節

 今朝は「父の日」礼拝です。5月の母の日礼拝に続いての記念礼拝です。母の日に比べて少し弱い?感じではありますが、大切に守りたいものです。礼拝が祝福されますように祈りましょう。

① 父の日の始まりについて:父の日の歴史としては1910年、妻を亡くし男手一つで6人(男5人、女1人)を育てくれた父ウイリアム・ジャクソン・スマートに感謝したいと、娘のジョン・ブルース・ ドット夫人が提唱したのが始まりと言われています。

② それはアメリカ全体に拡がり、1916年にウイルソン大統領により認可されましたが、正式に祝日となったのは1972年でした。実に56年後でした。日本でも1950年頃から始まり、一般行事となったのは1980頃です。健在者には赤いバラ、亡くなっている父には白いバラを墓前に供えたと言われています。

③ ユダヤ人家庭での教育:真の神様を信じ、聖書を中心とした「教え」がなされて来ました。それが「父の命令(戒め)、母の教え」でした。父の戒めはギ語で「パテール・エントレー」と呼ばれ、特別の権威を持って語られるのです。子ども達はその大切な教えをテフィッリーンという小箱に入れて左手に巻きつけて持つのです。

2011.6.26
「主にあって固く結び合う」:Ⅰコリント1章10節~17節

 Ⅰコリントの信徒の手紙に入っています。
1回目に概要、背景を説明しましたが、コリントはギリシャ南部の港湾に面したローマ支配の一大国際商業都市です。教会も成長と共に色々な問題も有りました。

① 教会内の分派争い:アポロ派、ペテロ派、キリストロ派と多様であった。それに対してパウロは「皆、勝手な事を言わず、仲たがいしないで、心を一つにして固く結び合いなさい」と言う。

② 洗礼の問題:パウロに授かったと自慢する人がいたので、私は何人にも授けてはいないと言う。教会の生命線は頭であるキリストです。主にしっかり結びついているかが大切です。

③福音を告げ知らせることが最優先にされなければいけません。キリストの体に結ばれる時、私達の自己中心的な心や思いも十字架ではりつけにされました。教会に一致が与えられる。人の力でなく、神の御手で一つとなる。

5月

2011.05.01
「初物をささげ、主を敬う」:箴言3章1節~12節

 新年度も5月に入りました。先週は「イースター礼拝」でした。共に復活の恵みに与りました。今月は旧約の箴言を学びます。

① 主の教え、戒めを守る
イスラエルの子ども達は、幼いときから律法の教師や両親から神の教えと戒めを学びました。主にあって訓戒、教育を受け、将来に良き備えと長寿を与えられるのです。

②心を尽くして主に信頼する
有名な聖句の5節です。自分の力の限界を知り、主により頼むことになるのです。どこにあっても主を認めよと言われています。主を畏れ、真すぐに主の道を歩く。

③ 神の約束
初穂を捧げ、主を敬い、礼拝する者に神の恵み、収穫が豊かに与えられる。時には懲らしめ、試錬は神の訓練です。神は本当の意味で、試錬や訓練の中で、心を尽くして主に頼むことを求めておられるのです。

2011.05.08
「「母の見守り」:箴言4章1節~9節

今朝は「母の日礼拝」です。お母様方に感謝する時です。その聖書的、歴史的な意味を学び、なお一層深めたいと思います。また、信仰継承に励みたいと思います。

①母の日の始まりについて
1907年にアメリカのウェストバージニア州に住むアンナ・ジャービスという女性が、母の命日に追悼会を開き、母の好きだった白いカーネションを飾り、母を偲んだのが始まりです。

②母の日の制定について                                             
クリスチャンで米国初のデパート王のワナメーカーは、翌1908年にシアトルの自店で母の日の催しものをして、顕彰した。ウイルソン大統領の知るところとなり、その提案で1914年5月第2日曜日が国の祝日と認められました。

③知恵の書と女性
父母の教えを守る子は幸いなり(アシユレー)と呼ばれます。その特別な愛と教えで育てられる子は、信仰の継承を心に受け止め、決して忘れない。

2011.05.15
「良き知恵と諭し」:箴言1章1節~9節

箴言はユダヤ人の生活や教育に大きな影響を及ぼしました。この「知恵、訓戒、悟りの言葉、知識、思慮」が内容になっていますが、私達の生活にとって大きな指針になります。

① 箴言の言葉の意味について
箴言(へ語:ミシユレー)の箴は、鍼灸治療で使う「ハリ」のことです。昔は竹製でしたので、竹かんむりの形で書くのです。ハリのように心に突いていただくように学ぶのです。

② 今朝の中心の言葉は、知恵と知識ということです。共に「倫理的、道徳的に優れた人生を送る教え、指針、力」を表しています。知恵(ホークマー)、知識(ダバット)は常に訓戒(ムーサール)と結びついています。

③ キリストの内に、知恵と知識との宝が隠されている」とコロサイ2:3にあります。「主を畏れることは知恵の初め」とあり、最優先事項となります。父の訓戒、母の教えが家庭にあることは幸いです。その源が神様の教えにあるのです。

2011.05.22
「神の霊と言葉に満たされて」:箴言1章20節~27節

 本日は当教会の創立58周年記念礼拝です。
真に感謝なことと同時に、祝福された礼拝となりますようにお祈りいたします。初期の方々の熱き思いを引継ぐのは私達の責任ではないでしょうか。

① 知恵の書である箴言で、比喩的に「知恵が叫ぶ」との表現をとるのです。大変興味深い内容です。叫ぶぐらい騒がしい社会であると言うのです。

② 浅はかな者、不遜な者はその事に愛着や好みをもつと言うのです。そんな人には悔い改めが必要なのです。主に立ち帰る事が大事です。

③ 神様は色々な方法で私達に語りかけてくださるのです。先ほどのように人を通し、また直接に聖霊を通し、人の心に語られるのです。神のささやきを心の耳で聞きましょう。

2011.05.29
「喜びをもって主に仕えよ」:ローマ書12章1節~8節
説教:石田 学 師(日本ナザレン教団理事長・小山教会牧師)


 本日の説教は、教団理事長の石田学牧師がローマ書から語ってくださいました。

4月

2011.04.03
「ゲッセマネの祈り」:マルコによる福音書14章32節~42節

  最後の晩餐を弟子達とされて、祈るためにイエス様は、ゲッセマネに行かれました。イエス様の祈りと弟子達の姿を学び、私達の信仰がレント(受難節)の中で問われます。

①ゲッセマネについて

 エルサレムを見守る対面のオリーブ山に、ゲッセマネ(油しぼり器)の園があり、イエス様は、祈るために行かれました。

②イエス様の祈りと弟子達の眠り

 孤独なイエス様の祈りと、疲れて眠ってしまった弟子達の姿を、私達は、どのように受け止めたら良いでしょうか。イエス様も生身の人でしたので、苦しみ、悲しまれました。罪のない方が全ての罪を背負って、十字架に付いて下さる僕の姿でした。

③目を覚まして祈る大切さ

 弟子達を責めるのではなく、私達は、このレントの中で各人が祈り、少しでもイエス様の祈りに与らせていただきたいものです。十字架を負わせて頂きましょう。

2011.04.10
「イエスの逮捕」:マルコによる福音書14章43節~50節

  レント(受難週)の中で、イエスの逮捕という痛ましい出来事は、私たちに衝撃を与えます。ユダに裏切られ、他の弟子たちも皆、イエス様を見捨てて逃げてしまったのです。

①12人の弟子の1人であるユダについて

 銀貨30枚でイエスを売り渡したユダの思いはどうなっていたのでしょう。名前の由来がすごいです。

②裏切りのサインとして、イエスに口付けした。そのユダにイエスは悲しい目をもって見つめます。何故ならイエスは、これから起こるであろう出来事を知っておられたからです。

③彼らが「ナザレのイエスだ」と言うとイエスは答えられたのです。「わたしである」ギリシャ語で「エゴー・エイミー」という有名なことばです。わたしたちの主は、イエス・キリストです。

2011.04.17
「十字架の死と埋葬」:マルコによる福音書15章33節~41節

 最後の晩餐を弟子達とされて、祈るためにイエス様は、ゲッセマネに行かれました。イエス様の祈りと弟子達の姿を学び、私達の信仰がレント(受難節)の中で問われす。

①ゲッセマネについて
エルサレムを見守る対面のオリーブ山に、ゲッセマネ(油しぼり器)の園があり、イエス様は、祈るために行かれました。

②イエス様の祈りと弟子達の眠り
孤独なイエス様の祈りと、疲れて眠ってしまった弟子達の姿を、私達は、どのように受け止めたら良いでしょうか。イエス様も生身の人でしたので、苦しみ、悲しまれました。罪のない方が全ての罪を背負って、十字架に付いて下さる僕の姿でした。

③目を覚まして祈る大切さ
弟子達を責めるのではなく、私達は、このレントの中で各人が祈り、少しでもイエス様の祈りに与らせていただきたいものです。十字架を負わせて頂きましょう。

2011.04.24
「復活と大宣教命令」:マルコによる福音書16章14節~20節

イースターおめでとうございます。今年も共に主のご復活日を覚え、祝福をお祈り致しましょう。主イエス様の復活の顕現を受け止めた人々の姿、そして弟子たちに命令された「世界宣教:グレートミッション」は、私達にも託された大切な命令ではないでしょうか。                       

①復活の日の出来事

 週の初めの日の朝早く、女の人たちは香油を持ってイエス様の埋葬してあるお墓に行きました。墓は空でした。驚く女の人たちに天使は「あの方は復活して、ここにはおられない(エーゲルセー)」と言われた。

②復活の顕現
復活されたイエス様に最初に出会った女の人(マグダラのマリヤさん)は、何と幸いな人
でしょうか。復活の良きおとずれ(福音:グッドニューズ)は、たった一人の女の人だっ
たのです。次に名も無きニ人の弟子だったのです。

③不信仰な弟子たちに「世界宣教」の命令

「全世界の全ての人々に主の福音を宣べ伝えよ(グレートミッション)が、復活のイエス
様の命令でした。そして、福音を信じない者は滅び、信じる者は救われると宣言されまし
た。宣教に一歩踏み出した時に、主も共に働いて下さるのです。ハレルヤ。

ショートメッセージ


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